三十四話 お互いの距離

 立花の家から連れ出された和沙は、瑞枝に彼女の車であろう、藍色のセダンに押し込まれ、本局へと向かって移動していた。今しがた助けられたというのに、車内の空気は重い。その原因としては、主に和沙をバックミラー越しに睨みつける瑞枝の視線だ。つい先ほどまで大立ち回りを繰り広げていた和沙ではあったが、その責めるような目に、つい身を縮こまらせてしまう。


「……今回の事は、既に鴻川に伝えてある。帰ったらよく話し合うように」

「……はぁ」


 叱られているのかどうかも分かっていない様子の和沙。その姿を見て、また瑞枝は眉を顰める。


「今回のお前の行動は、全て筒抜けだったわけでは無い。が、以前から御巫様よりお前の様子を出来る限り見ておくように言われていた。それは私だけではなく、一部の巫女や、守護隊にも出されている指示だ。だからこそ、今回はその内の一人がお前の姿を見た事で本格的に厄介な事態になる前に連れ出す事が出来たが……、出来れば今後はああいった行動は控えてくれないか?」

「あの……ですが俺は、友人の誘いで行っただけで、そういう場所だとは全く知らない……」

「なら今回の事で思い知っただろう。あれが立花家、照洸会の頭取、行ってしまえば組長のようなものだ。教祖、などと謳っているが、その実宗教らしい事はほとんどしていない。しているとすれば、信徒の洗脳くらいだ」

「……カルト宗教って事ですか?」

「あっちはまだ崇拝という点で宗教らしい部分が残っている。しかし、照洸会はただの非営利団体、その皮を被り、機を窺い見るハイエナだ。内敵よりも、あちらの方がよっぽど危険度が高いと判断している。以降、あの家には近づかないように」

「分かりました……」


 ここまで言われては頷くしかないだろう。力無く首を縦に振った和沙は、そのまま俯く形になる。バックミラー越しではその表情は分からず、瑞枝は和沙が自身の行動を反省しているのだろうと思っていた。

 先ほど見せた一面もそうだが、この和沙がそうそう反省などするはずもない。

 俯いた顔は非情ともとれるような表情を浮かべている。そう、反省ではない。和沙がしているのは後悔だ。それも自分の行動に対してではなく、辰信にあそこで痛い目を見せられなかった事に対するもの。決して己が行動を恥じているわけではない。


「それと、一つ気になった事があるんだが……」

「何ですか?」

は、お前がやったのか?」

「……」


 唖然とした表情に変わる和沙。まさか、この人物はそんな状況であると分かっていながらも、それに一切触れる事なくあの場を後にしたのか。あの状況を見る必要が無い、と断じるその判断力の高さに、和佐はある意味感服していた。


「まぁ……そうですね。俺がやりました」

「なるほど……。やはりあの鴻川の兄という事か。武術の一つでも嗜んでいる、という事か?」

「そう……ですね。鈴音と一緒に剣術の方を少々」

「剣術……?」


 嘘は言っていない。片倉から色々と教えられているのは鈴音だけではない。まぁ、教わると言うよりも、単に戯れていただけ、ともとれる内容だったが。

 和沙の口にした言葉に、イマイチ納得がいっていないのか、しきりに首を傾げる瑞枝。


「……まぁ、兄妹なんだから、同じ武術を習っていてもおかしくはないか」


 納得はしていないものの、着地点は見つけたらしく、一先ずこの話題に関しては落ち着く事となった。しかし、依然車内の空気はあまり良いとは言えない状況だ。とはいえ、そもそも和沙は瑞枝と直接話した事など片手で数えられる程度にしかない。故に、彼女との話があまりはずまないのも仕方の無い話だ。

 結局、ここから話が広がる事も無く、本局に着く頃には、すっかり夜も更け、こんな時間まで寄り道していた事を鈴音に怒られる和沙なのであった。




「なぁ~、今日は自主休学って事にしちゃ駄目か?」

「駄目です。何を言うかと思ったら、寝ぼけてるんですか? ほら、もう学校に行く時間なんですよ、さっさと準備してください」

「あぁ……しんどいだるいめんどくさい……」


 朝っぱらから和沙のぼやきになんぞ付き合ってられない、とでも言うかのように、鈴音は自身の準備を進めている。

 和沙が立花の家で強制的に照洸会に入信させられそうになって一夜が経ち、その時の疲れが今出ているのか、非常にだらけている和沙だったが、それを癒すのに一夜という時間はあまりにも短すぎた。少なくとも、今も寝ぼけ眼を擦る程度には疲労が抜けていない。

 和沙が昨日どのような状況に陥っていたのか、その話は鈴音にも行っているはずなのだが、彼女の様子は普段と一切変わりが無い。兄があれほどまでに危険な状況になったというのに、ここまで薄情な妹がいてたまるか、と昨夜はごねたのだが、結局その態度が変わる事はなかった。


「兄さん、まだですか!」

「はいはい、今行きますよ……」


 服を着替え、乱れた髪を整え……すらしない。最近は少し短くなったから、わざわざ整える必要は無い、などと言っていたが、その状態を鈴音に見つかり、結局強制的に整えさせられる事となった。

 ようやく和沙の身支度が整う頃には、既に時間ぎりぎりとなっており、玄関の外には非常に機嫌の悪い鈴音が仁王立ちで待っていた。その横には、これまた律儀に睦月もいる。


「おはよう……って、すごい顔ね……」

「ふぁ……、おはようございます……。待たせておいてこんな事を言うのもなんですが、別に待つ必要は無いと思いますよ。俺らの事なんか放っておいてさっさと行った方が先輩としても得でしょう」

「鈴音ちゃんが言ってたわよ。放っておいたら、準備にわざと時間かけて、学校をサボろうとする、って。気持ちは分からないでもないけど、あまり鈴音ちゃんを困らしたら駄目よ」


 どうやら和沙の目論見は完全に見破られているようだ。なかなか上手くはいかないものだ、などと鈴音が聞けば本気で殴られそうな事を呟きながら、目の前を歩く二人に付いていく。

 しかし、学校へ行くのはこうして完全に捕まった以上、大人しく従うのだが、学校生活に昨日の件が絡んでこないかどうかが目下の懸念点となっていた。いかんせん、昨日和沙が助け出されたのは、学年どころが学校内でも人気を誇る生徒の実家だ。影響が出ないとは言い切れない。下手をすれば、一部の生徒から顰蹙を買いかねないが……そうなったら鈴音に頼むしかないだろう。




 そう、考えていた和沙だったが、意外にも学校生活を送る和沙の周りは拍子抜けする程に平穏だった。立花の姿は、クラスメイトという事もあり見かける事はあれど、結局向こうから話しかけてくる事はなかった。元々、そこまで頻繁に話すような間柄でも無かった為、周囲から疑われるような状況になっていないのが救いか。

 何はともあれ、これで無事平穏な学園生活を送る事が出来ると思っていた和沙だったが、昨日の出来事のインパクトが大きすぎて、もう一つ、その頭を悩ませる要素が残っている事を完全に忘れていた。


「ね、ね、和佐君。そろそろアタシの仕事風景見に来る気になった?」

「あ~……」


 そう、真砂紫音の存在である。


 昨日の事で完全に頭がいっぱいになっていた和沙は、ここ最近急激に近づいてきた紫音の事が完全に頭から抜け落ちており、普段の状態なら近づかれる前にどうにか逃げ出せていたのだが、今日に限ってはこうして接近を許してしまった。更に言うと、今現在彼女を止める者はいない。昨日の影響で辰巳とはほとんど会話する事は無く、もし顔を合わせる機会があっても言葉は交わさないであろうと予想している。

 そうなると、もはや自分の身は自分で守るしかないのが事実。故に、和佐はこれまで以上に彼女の存在を気にしておかなければならなかったのだが……


「き、今日はちょっと……。昨日の事もあるし……」

「昨日? 何かあったの?」

「あぁいや、知らないならいいんだ……」


 瑞枝は伝えたと言ったが、その対象はあくまで鈴音のみ。可能性として、彼女伝手に睦月へと流れているくらいだろうか。何にしろ、知られている人数は少ないに越したことはないだろう。


「えぇ~、教えてよ~。アタシと和沙君の仲じゃない」

「……」


 非常に渋い表情をして周囲を見回すも、誰一人として目を合わせようとしない。おかしな話だ。普通、学園モノではこういった状況になると、必ずと言っていいほど口を挟んでくる脇役がいるのだが……今は不在なのだろうか?


「とりあえず、離れて……ね?」

「えぇ~、なんで~? ね、ね、アタシだけに教えて」


 片目でウインクをし、愛嬌を投げ放つも、今和沙が求めているのはただただ彼女に離れてもらう事であり、そういったサービス精神は求められていないと彼女は何時気付くのだろうか?

 全力で頭を抱えたい思いに悩まされながらも、やんわりと断っていた和沙は、その後に鳴り響いたチャイムによって救われる事となる。

 その後、全力で教室から出てトイレに駆け込み休み時間いっぱい個室に引きこもるようになるまであと四十九分……

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