第52話 激震 中
「凪先輩!!」
和佐と別れてから数分、全速力でその足を動かした甲斐もあり、無事に凪と合流する事に成功した七瀬だが、凪の近くに日向がいない事に気づく。
「先輩、日向は……」
「あぁ、ちょっと向こうで休んでるわよ……っと!!」
触手をいなしながら凪は視線を温羅とは反対の方角へと向ける。その先には、巨大な遮蔽物があった。
「っ!!」
「私の心配は無しですか~……。まぁ、いいけどね……」
アンコウ型の温羅から繰り出される攻撃を防ぎ続ける凪を一切気にせず、七瀬は日向の元へと向かう。
遮蔽物の裏側に回ると、壁にもたれかかるようにしていた日向がいた。しかし、その体には力が入っているようには見えない。
「日向っ!?」
七瀬が呼びかけるも、返事が無い。脳裏に一瞬、最悪のパターンが浮かんだが、よくよく見ると、その小さな胸が上下しているのが確認出来る。少なくとも、生きてはいるようだ。おそらく、何らかの攻撃の余波で気を失っているのだろう。
「……」
日向の少し乱れていた姿勢を正してやると、七瀬は弓を手に遮蔽物から飛び出し、凪のすぐ後ろへと付く。
「あっちの状況はどう?」
「和沙君が抑えてくれています。ですが……、あまり長くは持たないでしょう」
「そっか……。うん、なら仕方ないわね」
「先輩? どうしました?」
覚悟を決めた、と言うより、どこか諦めた様子の声色で凪は呟く。その声を聞いた七瀬は嫌な予感を感じながらも、その弓を引き絞る。
「七瀬、来てもらってすぐで悪いんだけど、日向を連れてここから離脱しなさい」
「先輩!?」
そして、その予感は当たった。
「さっき、派手に吹き飛ばされた時、結構マズイ勢いで頭を打ってるの、あの子。だから、万が一にも後遺症なんかが残る可能性があるから、早めに検査が必要よ」
「ですが、それじゃあ……!」
「……私一人でコイツと戦う事になるわね」
凪の言葉は、先ほど和沙から聞いた言葉とフレーズは違うが、意味は同じだ。もう二度と聞きたくなかった言葉を、この短時間で二度も耳にしたせいか、七瀬は普段の冷静さが嘘のように取り乱す。
「だ、駄目です!! 和佐君も、凪先輩も置いていくなんて絶対に駄目です!!」
「……七瀬」
「もう少し、もう少しだけ耐えてください……! 私が何とかして、あの温羅の弱点を見つけて、一気に押し返します! ですから、それまで攻撃を何とか捌いて……!」
「七瀬!!」
「ッ!?」
凪の呼ぶ声に、七瀬の体が思わず硬直する。怒鳴っているわけではない。むしろ、その声は、泣き止まない子供をあやすようなものだ。
「聞きなさい。ここで私達二人がやられる訳にはいかない。いや、そもそも足止めを受けている時点で、もう負けているようなものよ。けど、最悪の事態はまだ防げる」
「最悪……、全滅ということですか……」
「そ、私と和沙がそれぞれ抑えている間に、あんたが日向を連れて撤退する。これが今の最善策。……あんたに全部押し付けるようで気が引けるけど、ま、こんだけやれば十分でしょ」
「そんな、諦めたような事を……」
「私だって、諦めたくは無いわよ! けど、状況があまりにも悪すぎる。だったら、一つでも多く、希望を残す必要があるわ。それを理解して!」
「和沙君と言い、先輩と言い、どうしてそんな簡単に……」
「何? あいつも同じ事言ってたの?」
言葉の意味は違えど、二人が言っている事に差異は無い。和沙も、全員が揃えば何とかなる、などと言っていたが、逆に言えば揃わなければどうしようもない。そして、この状況を見たとき、おそらく全員が揃う事はもう無いだろう。……つまりはそういう事だ。
「似た物同士、ってやつね」
「……そんなところ、似なくていいです」
「そう? それは残念」
残念、などと口で言っておきながら、凪の表情は笑っている。こんな状況にも関わらず、いや、こんな状況だからこそだろう。
「で、返事は?」
「……」
七瀬は口を噤んでいる。当然だろう。選択肢は無い。しかも、唯一のそれを選べば、凪を見殺しにする事になる。
躊躇ってしまうのは仕方が無い。しかし、ここで選ぶべき最善の選択は紛れも無くそれだ。
仲間を見殺しにした、という謗りを受ける事が怖いのではない。ただ、仲間を失う事が怖いのだ。
「返事!!」
「……はい、承知しました」
しかし、ここで万が一にも自分達が倒れてしまうと、温羅の侵攻を許してしまう事になる。候補生が残っているとはいえ、戦闘経験がほとんど無く、おそらく小型が複数体襲ってくるだけでも苦戦するだろう。
それらを理解し、無理矢理自身を納得させた七瀬は、苦渋の決断を下す。
「必ず戻ってきます。だから、それまで絶対に死なないで下さい」
それだけ言うと、七瀬は凪の背から離れ、日向の隠れている遮蔽物へと向かう。
「死ぬな、ねぇ……。なかなか無茶な事言ってくれるじゃない」
離れていった七瀬に視線を向ける余裕は無い。凪は未だ猛攻を続ける触手の攻撃に対処することで精一杯だ。こんな状態で、死ぬな、などと言われても、それは難しいと返すしかないだろう。
しかし、だ。彼女には隊長としての矜持がある。上級生としての意地がある。それに何より、後輩に頼まれた以上、それを無碍にするなど、先輩としてのプライドが許さない。
「上……等……!!」
振り下ろされた触手を盾の真正面で受け止める。そのまま押しつぶすつもりだったのか、温羅の膂力と触手全体の重さが相まって、凪に大きな負担をかける。……しかし、その程度では彼女は倒せない。
「うらぁっ!!」
これまでと違い、いなすのではなく、力で押し返す。予想外のパワーで下から跳ね上がった触手は無防備になり、その隙に凪が触手の根本に肉薄し、そのまま盾で薙ぎ払う。流石に斬る事は出来ないが、強力な打撃をまともに受けた触手は、横に項垂れ、沈黙する。触手が再生する等の現象は確認していない。おそらく、これであの触手は使い物にならないだろう。
ふと、凪が背後に視線を向けると、日向を抱えた七瀬が凪を見ている。近くにいれば、本当に大丈夫なのか、と再三に渡って確認してきそうな表情をしている。左手で追い払うような動作をし、さっさと行け、と意思を示す。七瀬は一瞬、視線を伏せるが、次に顔を上げた時には、既に迷いは消えていた。
和佐の時と同じように、七瀬が凪に一瞥すらくれずにその場かた飛び立った。
これで、あの二人は大丈夫だろう。そう思ったのか、凪が目の前の敵に一層敵対心を向ける。不安材料はもう無くなった、これで思う存分動き回れる。
「それじゃ、ここからが本番よ!!」
盾を構えた凪が、眼前の敵に向かって、全力で吠える。
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