十七話 声

 ようやく解放された和沙だったが、出口から外に出た瞬間、一瞬感じられた解放感はどこへやら、すぐ傍にある気配にこれまた顔を顰めながら、うんざりとした表情を浮かべる。


「……そこまで嫌そうな顔をする事は無いだろう?」


 そこにいたのは、先ほど例に挙げた紅葉だ。ほんの数日前に対峙したとは思えない程、その態度に敵意は感じられない。むしろ、和沙に対し好感を覚えているのではないか、という程柔らかい笑みを浮かべている。


「どいつもこいつも……! 何の用だ!?」


 織枝には個人的な頼みで振り回され、その妹琴葉には絡まれる。それ以外も挙げればキリが無いが、いい加減和沙の堪忍袋の緒は切れかけていた。むしろ、何故今まで切れていないのか、不思議ではあったが。


「そう邪険にする事は無いだろう。別段、私は君と喧嘩をしにきたわけじゃないんだ。ただ、そうだな、最近彼女が悩んでいた事を知ってはいたが、それをどう解決するかこちらでも手をこまねいていたんでね。代わりに解消してくれたようで、その礼を、と」

「よし、その礼は聞いた。もう行っていいな!?」

「忙しないな……。何か用でもあるのか? もし何も無ければ、食事でもどうかと思ったんだが……」

「俺にはその何も無い、という今が一番重要なんだよ! ここ最近色んな場所に引っ張り回され、ようやく休みだと思ったら、今度は個人的な用ときた! 俺ぁ便利じゃねぇぞ!?」

「なるほど、なら何も無い、という事でいいんだな。少し歩くが、いい感じのカフェがあるんだ。そこでどうだ?」

「話を聞け!!」


 瑠璃といい、紅葉といい、この街の巫女隊はマイペースな者ばかりだ、と悪態を吐くも、紅葉は不思議そうな顔をしている。おそらく、食事を誘って断られた事が無いのだろう。それも、個人的な理由で、だ。だからこそ、何も無い、と言った和沙を半ば強制的に連行するようにして連れていくのだが……、どう見ても甘酸っぱい青春の一ページ、とはとてもではないが言えない。

 結局折れた和沙が付いて行った所は、確かに彼女の言う通り、若者に人気がありそうなこじゃれたカフェだ。その証拠に、学生と思われる姿もチラホラ見かける。思われる、というのは学生服では無く、私服を着用しているが故のものだ。たまに制服を見かけたとしても、それは学生のものでは無く、おそらく祭祀局の職員と思われるものだ。


「呑気なもんだ」


 コーヒーは苦くて無理、紅茶は渋くてダメ、などと宣った和沙の前に差し出された薄い黄色の劇的に甘い液体を、特にこれといった感想も言わずに口に運んでいた和沙は、周りで談笑している学生らしき人物達に視線を向けながらそう呟いた。

 祭祀局職員は次々と仕事が舞い込んでくる状況だ。ちょっとした息抜きをする為に、こういったところに足を運ぶのは分かるが、学生に関しては別だ。

 学校が休校になっている最大の理由、街に現れた天至型の対処の為、一時的に学校が休校になってはいるが、だからといって遊び惚けていいという訳では無い。人によっては、天至型のせいで家にも帰れず、避難生活を余儀なくされている者達もいるというのに、樹からそれなりに離れているこの辺りでは、こういった現実を直視出来ているのかすらも怪しい学生がよく見られた。


「いいじゃないか。それだけ今が平和、という事だ」


 こちらはこちらで、目の前に置かれたカップに、少し鼻を近づけ、その香りを楽しんだ後にゆっくりとコーヒーで喉を潤している。その様子を信じられないものでも見ているかのような視線で見つめて……いや、目撃している和沙。


「ホントに高校生かよオタク」

「君にだけは言われたくない、と言いたいがね。まぁ、世間の目もあるから、多少そういう風に振る舞っているところはある。が、今は力を抜いている状態だ。これが私本来の姿と思ってくれていい」

「ほう……、これが、ねぇ……」


 目を細めて紅葉を眺める和沙の頭の中では、自身の敗北など認められないとでも言うかのように、修羅の形相で大剣を振るう彼女の姿が思い出されているのだろう。あれが作られた、と言われても、信じる人間がどれだけいるか。少なくとも、あれもまた彼女の一つの顔である事は間違いないだろう。

 常に冷静沈着で落ち着いた雰囲気を醸し出す、というのも悪くは無いが、それはそれで面白みが無い。人間、一つくらい型破りなところがあってもいいものだ。彼女の負けず嫌いな一面は、まさにそれと言えよう。


「そういや、あれは上手い事機能してんのか?」

「あれ?」

「あれだけ苦労して建てたもんを、こんなに早く忘れんのか……」

「あぁ、壁の事か。代名詞で言われても分かりづらいだけだ。もう少し具体的に言ってくれると助かるんだが……、壁の現状、か。悪くは無い、というのが今のところ見た感じでの感想だ。向こう側からの攻撃はしっかりと防いでいるし、侵入してくる事もなくなった。当面は安全が保障された、という事だ。……が、あれも所詮は時間稼ぎに過ぎない。奴らが本格的に壁の破壊に乗り出してくれば、いずれ破られる。それまでにこちらから仕掛ける必要があるのだが……」

「現在準備中……ってとこ?」

「そうだな。何せ打開策自体は見つかったものの、必要な物を揃えるのが困難でな。織枝様が手配はしているが、まだ時間がかかるそうだ」

「あの人もなかなかに忙しいもんだな」


 和沙のせいで心労が絶えない、とは彼女の口から直接聞いた言葉であるが、それ以外にも織枝の仕事は山積みだ。別段、和沙だけのせいではなく、むしろ彼のお陰で幾分か仕事が楽になっているくらいだ。だが、そうやって手助けが出来る内容自体もたかが知れている。織枝は今も膨大な仕事を前に、弱音一つ吐かずにたった一人でデスクに向かって手を動かし続けている。


「サポートくらいしてやれんのか?」

「難しいだろうな。あの方の仕事は専門性こそ無いものの、機密性の高いものばかりだ。いくら巫女とはいえ、一介の職員に手を出せる事は無い」

「いや、専用のサポートを雇うとか、やりようはあるだろうよ」

「そうだな、あの方が身内以外の人間を信用すれば、の話だが」


 それは無理だろう。一番の側近とも言える人間が裏切っていたのだ。もはや彼女は内心で誰を信じればいいのか、分からなくなっているに違い無い。親族以外の身内を、ましてや外部の人間ならば、確実に信用のしの字も見せない可能性すらある。約一名を除いて、の話ではあるが。


「……よく考えれば、ここ最近織枝様によく仕事を頼まれるうえ、個人的な話もよくする人物を知っているんだが、興味は無いか?」

「勘弁してくれ、過労死するわ……」


 ふ、と小さく笑いながら、カップを口元に持っていく紅葉。果たして、どこまで本気なのか。その顔からはうかがい知れない。まぁ、最初から最後まで全部本気の可能性もあるが。

 そんな彼女を渋い表情で眺めていた和沙だが、ふとこういった洒落たカフェには似つかわしくない、小さなテレビが目に映った。おそらく、その設置に仕方から、普段はそんなところに置いていないのだろうが、ここ最近の情勢を鑑みてか、それとも客に少しでも情報を伝える為か、店内のどこからでも容易に見る事が出来る位置に設置されていた。そして、そのテレビ上では、ついこの間建てられた壁について、コメンテーターがコメントをしている最中だった。


『いやはや、しかしあんな壁を建てただけで仕事をした気になっている祭祀局には、やはり市民の声は届いていない、という事でしょうか?』

『実際建ったのは壁だけで、市民が本当に必要としてる仮設住宅の増設などは無し。壁の向こうはまだ安全ではない、などと言って、帰る事すら出来ませんからね。これでは事態が収束するのはいつになるやら』

『市民の中には、このまま祭祀局がこの街を捨てるのではないか、と懸念を抱いている市民もいるそうですが、どうなんでしょうか?』

『可能性あhありますね。手が付けられなくなったから捨てる、なんて昔から人がよくやっている手法ですよ。今はこの街にありますが、もともと祭祀局だって、かつては現佐曇市では立ち行かなくなったkじゃらこの街に移動してきたのですし、二百年越しにこの街を見捨てたとしてもおかしくは無いでしょう』


「……」


 勝手な事を言う、と思わないでもない。しかし、だ、実際一部の職員からはこの街から祭祀局本部を移設するべきだとの話も上がっている。そんな身勝手な事を出来ようはずも無い、と織枝が諫めたが、このコメンテーターが口にしている事も間違いではないのだ。正直、織枝以外の職員が、いつ逃げ出してもおかしくない状況である。

 今のコメンテーターの言葉が耳に入ったからかどうかは分からないが、周りで和沙達と同じようにティータイムを楽しんでいた人々が、ざわつき始めた。その話の内容は、やはり今この街で起こっている事についてだ。

 中には、心無い事を言う者もいる。今の祭祀局には真面目にこの状況に対応する気は無い、本当に織枝様は今回の事を真剣に考えているのか、など、とてもではないが、忙殺されている織枝に聞かせられるものではない。

 姿が見えづらい場所にいた為か、そういった者達が和沙と紅葉に気づいた様子は無い。だからこそ、その口からは不満の数々が漏れ出てくる。

 自分達が言われるならまだしも、織枝に対しての言葉は見過ごせなかったのか、紅葉が席から立とうとする。当然、店を出ていく為ではない。文句には文句を、というやつだ。だが、それを和沙が手で制す。


「っ……!?」


 紅葉にしてみれば裏切られたも同然だ。どんな形であれ、和沙もまた、彼女達と立場を同じくする者。なんなら、今現在一番織枝に近い人物と言ってもいい。そんな彼が紅葉を諫めたのだ。味方だと思っていた人物が実は、と思われても仕方の無い話だろう。


「勘違いするなよ……。お前もそちら側なら、不祥事の一つでも起こせばこうなるのは分かってたはずだ。今更有象無象のボヤキ如きでどうこう言うな、みっともない」


 そうだ、彼女達は政府側。何かが起これば槍玉に挙げられるのは分かっていたはず。ここでどうこう言ったところで、何かが変わるわけでも無い。更に言えば、こんな大衆が集まる場所で織枝の擁護などすれば、どんな扱いを受けるか分かったものではない。

 解決法は既に判明している。言いたい奴には言わせておけばいい、それが和沙の認識だ。例え文句を言われたとて、後にきっちりと結果を出し、黙らせればいい。……かつて似たような境遇に落ちた経験のある和沙にしてみれば、この程度、何て事は無いのだろう。批判したくばすればいい。だが、その言葉を飲み込む羽目になるぞ、と。


「ぐ……」


 紅葉の表情には、ただ悔しさのみが滲み出ている。自分達のトップとも言える人物にこれだけ疑惑が集中していながらも、自分達には何も出来ない。それを理解し、自らの不甲斐なさに嘆くように。

 とはいえ……


「随分な言われようだな……」


 同調圧力と言うべきか。それにしては個人の色が強く出ているような気もするが。

 日本においては、遥か昔からある固有の文化のようなものだ。問題となった人物を、立場がどうあれ全員が寄ってたかって叩くのは。碌な人間性とは思えないが、個よりも群を重要と考える日本ではよくある話と言える。人種的な意味でも、鬱憤を抱えやすい人間が多い。一度都合のいい的が現れれば、こうして皆で叩き合う事も度々ある。和沙の時もそうだった。

 それらをどう乗り越えるかが、今の彼女達の最大の課題でもある。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る