三十八話 三度目

「櫨谷!! 聞こえるか、櫨谷!!」


 明の身体の上を覆う瓦礫を避けながら、何度も何度も呼びかける。咄嗟に防御は出来たものの、いかんせん距離が近すぎた。何しろ、周囲に舞い上がっていた煙のようなもの、それらが一斉に誘爆し、爆発したのだ。正面からの衝撃を殺したところで、四方八方から襲い掛かる爆風など防ぎようがない。

 何とか首は繋がっているが、彼女の御装はところどころが焼け落ち、その奥の肌もまた、目を逸らさずにはいられない程大きな火傷を負っている。これでは今までやってきたナンパはもう出来まい、と哀愁漂う視線で見つめる三人であったが、ちゃっかりと顔だけは守っていた。


「……ふ、顔は……命、だからね……」

「こんな状況で何を……」


 呆れたようにそう言いながらも、紅葉の顔には安堵の表情が浮かんでいた。その瞬間までは、だが。


「ほらやっぱり、あれくらいの爆発じゃそう簡単には死なないよね」

「「!!」」


 突如として背後から聞こえた声に、臨戦態勢を取りながら振り向く一同。彼女達の視線の先には、腰に手を当てて小さく笑みを浮かべている神流の姿があった。


「こんにちは。あれ、おはようだっけ? まいっか、そんな事は」


 眼前に敵がいるのにも関わらず、神流の態度はあくまで軽いものだ。敵と認識されていないのか、それとも敵ではあるが脅威とは思っていないのか、どちらにしろ、今の紅葉達にとってかなりマズイ状況である事には変わりない。何せ、彼女に唯一真正面から対抗できる和沙がいないうえ、四人いるとはいえ一人は完全に戦闘不能だ、連携で追いつめるのにも手が足りない。


「……何の用だ?」


 紅葉が少しずつ位置を調整し、背中に負傷した明をかばうような位置取りをしている。神流にとって今の状況は好機以外の何物でもない。何せ、一人は重傷を負って戦うどころか立ち上がる事すら出来ない。そのままトドメを刺すもよし、彼女を上手く利用して紅葉達を防戦一方に縫い付けるもよし、なんでもござれ、だ。……しかし、神流はただその場に突っ立っているだけで動こうとはしない。むしろ、その身は隙だらけでまるで戦いに来たようには見えない。

 だが、彼女達は知っている。そんな状態であっても、不意を突いた攻撃にすら対処が可能だという事を。警戒心を一切引っ込めず、紅葉が瑠璃と千鳥に手で合図をする。明を連れて下がれ、と。その合図に従う千鳥とは反対に、瑠璃が紅葉の横に並ぶ。


「お前……!」

「紅葉ちゃん一人じゃ無理。どうせすぐに倒されるんだし、私もやる」

「……お前までちゃん付けで呼ぶのか……。止めてくれ、鳥肌が立つ」


 軽口を叩きながらも、二人が構えを解く事は無い。が、反対に神流もまた、一切構える事をしない。流石に疑問を抱いた紅葉が、それについて問い詰める。


「我々じゃ相手にならない、という事か?」

「ん? あぁ、そんな事は無いよ? 仲間を安全な場所に運びたいんでしょ? それを待ってるだけ」

「はぁ?」


 理解が出来ない、といった顔だ。実際、彼女達にしてみれば、自身が優勢であるこの状況を捨てるような行いをしている神流に対し不信感と疑問を抱くのは当然の事だろう。まさかフェアプレイ精神とでも言うのだろうか? 


「別に、私の目的は貴女達を倒す事じゃないからね。あの子を連れてった一人が帰ってきてからでもいいし、何なら貴女の部下達とでも戯れようか?」

「……」


 どこまでが本気でどこまでが冗談か、その顔からは一切読み取れない。ともすれば馬鹿にしているようにも見えるが、それにしては目的と行動が合致してもいる。本当に足止めをするだけならば、別に戦う必要は無いし、ここでこうして彼女達と会話をしているだけで十分なのだ。その行動は理にかなっている気もしなくはない。


「……だったら、私がやる」

「おい、灘」

「手、出さないで。あの人相手にどこまでやれるか、試さなくちゃならないんだから」

「……面倒な奴だな」


 聞くところによれば、彼女は和沙の母親との事。和沙の強さの一端は彼女にあると言ってもいい。つまり、彼女に対抗する事が出来るようになれば、和沙と並ぶ事も可能だし、何なら超える事すら出来るかもしれない。

 瑠璃が初めて自身よりも上だと思った少年の、強さの根源が目の前にいる。これに心を震わせない、なんて事は到底無理な話だろう。


「ん~……、あんまり気は乗らないんだけどなぁ……」


 その言葉通り、神流の声には覇気が無い。瑠璃一人ではどうしようも無い、と思っているのか。いや、実際瑠璃と鈴音、そして和沙の連携でようやく一太刀浴びせられた程だ。瑠璃が一人で奮戦したとしても、それが報われるとは限らない。


「……」


 だが、そんな事は知った事か、と瑠璃が構える。彼女としても、この戦い全体としても、この人物は大きな鍵を持っている。ここで倒せなくとも、少しはダメージを与える事が出来れば、以降の作戦が大きく進む事は確かだ。


「しょうがない。少し相手をしてあげよう」


 神流もまた構え……いや、構えない。

 そうだ、この人物が一般的に構えと言われるものを見せる事はほとんど無い。余裕の表れ、と表現する人もいるだろうが、今こうして直接対峙してみてようやく瑠璃はその意味に気付く。

 神流は、あえて隙を晒す事で、自らに降りかかる攻撃を絞り込み、対応を行いやすくなるようにしているのだ。その為、構えずこうして無防備とも思えるような様子で立ち尽くしている。

 が、問題はそこでは無い。確かに、彼女は来た攻撃全てに対応するのが目的だろうが、問題はその隙が全方向に向けてさらけ出されている、という事だ。


「……」


 どこから攻めればいいか分からない。そんな困惑が瑠璃の頭の中でぐるぐると巡っていた。明らかに隙のある無しがはっきりしていれば、そこに打ち込めば危険、もしくはそちらを囮に別の方向に隙を作らせる、などといった戦い方も可能だろう。だが、こうも隙だらけだと、逆にどう攻めればいいのか分からなくなる。正面か、後ろか、左か、右か、はたまた頭上もあるかもしれない。

 それら全てから攻めてみるシミュレーションを頭の中でしてみるが、その悉くが捌かれ、いなされ、次にその目に映るのは地に倒れ伏した自分の姿だ。


「あれ? 結局来ないの?」


 自身を睨んだまま微動だにしない瑠璃に対し、クエスチョンマークを浮かべている。自分の無形の構えがそうさせているにも関わらず、本人は呑気なものだ。

 しかし、このまま膠着しているのもまた問題だ。とりあえず、攻めてみる。これだけでも十分可能性はある。幸いにも、対峙する相手からは明確な殺意は感じられない。例えしくじったとしても、殺される確率はかなり低いはずだ。

 そう判断し、瑠璃は体を低くし、踏み込む直前の構えをとる。それを見て、神流はどこか嬉しそうな顔を浮かべ、まるで瑠璃を迎えんとするかのようにその場で棒立ちをしていた。


「……ふっ!」


 構えていた瑠璃の姿が一瞬横にぶれ、次の瞬間には神流の真正面に地面を砕きながら踏み込んだ瑠璃の姿があった。あれだけの選択肢があったにも関わらず、彼女が選んだのはまさかの真正面。これには驚きの表情を隠さない神流であったが、当然、そんな素直な攻撃を受ける程神流は馬鹿では無い。

 瑠璃が袈裟に振り下ろそうと掲げた刀を見て半身を引き、彼女の攻撃を避けようとした。


「??」


 が、その瞬間に瑠璃の姿が消える。気付けば、半身を引いたせいで背中を向けていた側に回り込まれ、まさに後ろをとられる形になっていた。正面を攻めたのはこれを誘発させるためか。彼女の小さな体では、高速で曲がる事は出来ても、正面から背後に回り込むには何度か軌道の調整が必要だ。それをあえて真正面から攻めると見せかけ、背中に回り込みやすくした。その意外な行動を前に、やはり神流は笑っていた。


「ッ!?」


 予想出来た事ではあったが、やはり瑠璃の刃が神流に届く事は無かった。和沙の刀が止められた時と同じように、瑠璃の太刀もまた肘と反対の手の甲で刃の部分を止められる。幸いなのは、その状態で密着していない、というところか。すぐに刀を引き、後ろに飛び退く。引けば案外簡単に刀が戻ってきたところを見るに、そこまで強く止めてはいなかった模様。とはいえ、それが自身に対する必要最低限の態度である事に、瑠璃は心の奥底で怒りの炎が渦巻いていた。


「……」

「お、まだやる気かな?」


 平正眼に構える。狙いは突き。それは構えを見れば誰が見ても分かるだろう。線が止められるのであれば、点の攻撃で確実に当てる。そういう意図の構えだ。

 再び前に踏み込む。が、今度は先ほどとは違う。一歩ずつ前に進んでいくのだが、左右に体を振りながら……つまりジグザグに動きながら神流へと肉薄する。

 しかし、この動きは見切りやすい。どこで曲がるのかさえ分かれば、そこから逆算して進路を割り出す事が可能だからだ。だからこそ、瑠璃はこの動きをしている。先を読むなら読めばいい。この技を本当の姿は、ジグザグに動いて相手を攪乱する事ではないのだから。

 結局先ほどと同じく、全く動かない神流を見て、瑠璃は攻め時と判断。一気に速度を上げる。

 ジグザグに動く速度、では無い。その地点から真っすぐ前に、だ。

 完全に左右に振られていた神流の視線は、その一瞬、ほんの一瞬だが瑠璃の姿を見失った。それはそうだ。何せ、彼女はすぐ目の前、神流とほんの一メートル程度しか開いていない場所に現れたのだから。左右へ動きの先を読んでいた彼女にとっては、まさしく死角を突かれた形になる。

 そして、今度は線で止められないように突き、点での攻撃を試みる。音速など軽く超えてそうな瑠璃の付きが、乾いた音を立てながら神流へと襲い掛かる。全身のバネを利用して突き出された切っ先は、神流へと襲い掛かる……が、次の瞬間、瑠璃の視点は上下が逆さまになっていた。


「……え?」


 事態が飲み込めないといった様子で、小さく声を漏らす。と同時に、その小さな体が地面に叩きつけられ、今しがた声の漏れた口から苦悶の悲鳴が出そうになるも、叩きつけられたと同時に肺の空気が一気に抜け出た為、声らしき音は出ずにいた。

 投げられた。そう理解したのは、逆さまになった視点で、神流が腰を落とし、瑠璃の右手……太刀を握っている側の腕の裾を掴まれているところを見てからだ。

 少し離れた場所では、紅葉が口を開けて呆然としている。目の前で起こった事が信じられない、とでも言いたげだ。

 それもそのはず、彼女が放った一撃は、紛れも無く音速を超えた必中の一撃だった。当然、巫女隊メンバーだけでなく、なんなら和沙でさえも避ける事は難しいかもしれない。が、それをこの女性は難なく躱し、更には突きこむ勢いを利用して瑠璃を投げ飛ばしたのだ。技術もそうだが、その反射速度は尋常ではない。人を超えたその動きに、瑠璃は為すべなく敗北したのだ。


「……うん、いい動きだけど、もうちょっと相手の動きをしっかり見ないとね」

「……」


 攻撃が当たる直前まで冷静に見ていられるのはお前だけだ、と言いたげに口をパクパクとさせていた瑠璃だが、何かに気づき、太刀を支えになんとか立ち上がろうとしている。


「根性は認めるけど、あんまり動かない方がいいんじゃない? 今の、内蔵にダメージがいってるでしょ?」


 神流の言葉は最もだ。瑠璃の身体には、地面に叩きつけられた時のダメージが残っている。更に言えば、それは肺などに衝撃を与え、まともに息を出来なくさせていた。

 だが、この好機を逃すまいと立ち上がる瑠璃を、神流は興味深そうに見つめていたが、やがて小さく構える。

 構えた、という事は、彼女もまた戦うという事だ。これまでのはあくまで準備運動……どころか、降りかかる火の粉を振り払ったに過ぎない可能性もある。あれほどまでに簡単にいなされたのだ。同じ手が通用するとは流石の瑠璃も思ってはいない。

 しかし、だ、これまでは彼女一人だったからこそあそこまで見事に捌かれた、という可能性も無いわけでは無い。ならば、二人ならばどうか? それを実践する為に、瑠璃は低く構え、そして……


「ふっ……!!」


 再び踏み出した。だが、神流に叩きつけられたダメージが予想以上に効いているのか、先ほどのような速度は無く、ともすれば避ける事はおろか、そのまま真正面から対応出来るレベル。

 だが、神流は理解していた。

 瑠璃がただ、無策のまま突っ込んでくるだけの考えなしでは無いことに。


「っ!?」


 突然、神流が頭を下げる。そして、一瞬前まで顔があった場所を巨大な鎌が通り抜けていった。


「……チッ」


 その顔からは似合わない舌打ちの音が聞こえるも、千鳥は手を止めない。振りぬいた勢いを利用し、再び神流の首を刈り取ろうとする。が、流石に一度かわされた以上、二度目が通用するはずがない。

 はずがない……のだが、千鳥にとってはそれすらも想定の範囲内だった。


「お……、っとぉ、危ないね!」


 地面すれすれをなぞり、下から掬い上げるように太刀が襲い掛かって来る。そうだ、ここにいるのは千鳥だけではない。ダメージを受けているとはいえ、千鳥の援護が入った瑠璃は本来の実力を発揮できる。そうなれば、いかな神流とはいえ、そう簡単には捌けない。

 前からは瑠璃、背後からは千鳥がそれぞれ刃を躍らせ、その度に神流がすれすれでかわす。まさしく紙一重、ではあるが、同時に二人は気付く、気付いてしまう。

 このまま続けていても当たらない、と。

 決めるのであれば、避ける事すら叶わない程の高速の一撃が必要だとも。

 それを理解した瑠璃は、千鳥にアイコンタクトを送る。そして、少し後ろに引くと、太刀を収め、鯉口を切った。反対側にいる千鳥もまた、大きく水平に刃部分を引いている。


 一瞬の膠着……、そして二人が動いた。

 僅かに時間差のある波状攻撃。だが、その本質はそこでは無い。上段を瑠璃、下段を千鳥が大きく横に薙ぎ払う事で、半端な回避行動をとらせないというもの。瑠璃の速度に気をとられれば、後ろから千鳥が足を刈り、千鳥の鎌を避けようとすると、瑠璃の太刀が浴びせられる。

 高速のコンビネーション攻撃、これを避けられた者は今のところおらず、またかわす事そのものが困難だというこの一撃。

 だが、その一撃は……無常にも空を切った。

 対面する二人の顔が驚愕に塗りつぶされている。何せ、避ける事も叶わず、ただ斬られるだけだと思われた女性が、鎌と太刀の間、ほんの三十センチ程の隙間に体を合わせ、宙に身を躍らせながら二人の攻撃を避けたのだ。

 狼狽える二人。その隙を見逃さず、未だ振りぬかれた状態のそれぞれの武器を掴むと、神流は回転の勢いを利用し、二人を投げ飛ばした。


「ぐ……!!」

「……きゅぅ」


 壁に叩きつけられた二人は、その時点で戦闘不能に陥る。明のようなダメージを受けているわけでは無いが、完全に失神させられた状態だ。いとも容易く二人の攻撃を捌いた神流は、服に付いた埃を叩いた後、未だ自分に対して一切戦闘意思を見せない紅葉に向き直る。


「ホント、若い頃の姿でよかった。でなきゃ、あんな狭い隙間どうやってもすり抜けられないものね。……で? 君はどうする?」


 紅葉は失神している二人へと視線を向ける。あれだけの攻防を見せたにも関わらず、神流の息は一切乱れていない。その様子を見て、紅葉は肩を竦める。


「私が貴女に勝てるとでも? ウチの武闘派をこうもあっさりと倒しておいて、私が敵うとでも?」

「やってみなきゃ分かんないじゃない?」

「どう考えても無理な話は止めてくれ。貴女と戦える人間なんて、ここには……」




「それじゃ、俺がやろう」

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