三十九話 御巫対ミカナギ

 紅葉が何とか戦いを避けられないか、と口を動かしていた時だった。唐突に蒼い光が迸り、気付けば彼女の隣には和沙の姿があった。今まで影も形も無かった人物が現れた事に、紅葉は驚きを隠せずにいる。


「やっぱりこっちが当たりか。向こうは囮だな?」

「気付くのが少し遅いんじゃない? お母さん、そんな子に育てた覚えは無いんだけどなぁ」

「……そうだな、そんな風に育てられた覚えも無いし、こんな事になるなんて思ってもいなかった」


 どこか茶々を入れるような神流の言葉に、和沙は低く、重い声で答える。そうだ、あの日、あの時、神流が命を落とすような事が無ければ、こうして対峙する事も無かったかもしれない。もしかすると、和沙がこの時代に来る事も無く、幸せな家庭を築いて全てが終わっていたかもしれない。

 ……だが、それはありもしない幻想だ。現に、今ここで親子二人が相対しているのだから。


「あんたがあの智里、って少女に手を貸している理由は何となく分かる。昔っからそうだったもんな、どんな人にも分け隔てなく救いの手を伸ばす。お人好し過ぎて聖人にまで片足を突っ込んだから」

「そういう千里は随分と雰囲気が変わったよね。……もしかしてグレた?」

「その程度ならどれだけ良かったか……。見たくないものを見、見るべきものを全て隠され、共にあるべき人を見殺しにされた。理由としては十分だろ。母さんは人を無条件に助けてきた、だが、俺は無条件に人を憎む。手は差し伸べず、ただ全てを見殺しにする」

「その割には、妹の事は大事にしてるじゃない。やっぱり、茜の事があったから?」

「……」


 和沙は答えない。その代わりと言ってはなんだが、小さく紅葉に指で何かを指示している。その意図を理解した彼女は、すぐさま瑠璃と千鳥の下へと向かう。


「やっぱり、身内には甘いじゃない。私があの子たちに攻撃するかもと思ってこうして向かい合っている間に助けに行かせたんでしょ? 千里も相当なお人……」


 そこまで言ったところで、突然神流が構える。いや、防御した。横方向に白刃取りの要領で掴んだそれは、紛れも無く和沙の長刀だ。神流が斬り込んで来た。

 ……なんて事は無い。お人好し、とも思われた和沙のその行動は、神流の意識を一瞬でも逸らす為の作戦だ。最初から、彼にとって紅葉達がどうなろうが知った事じゃなかった。要は彼女達を囮に使った、という事だ。


「……酷い事するじゃない。やっぱり、そんな子に育ってお母さん悲しい」

「悪いが、あんたのように才能やセンスに恵まれてる訳じゃないんでね。使える手は何だって使ってきた。これまでも、そしてこれからも……!!」


 和沙の足元を黒い光が走る。次の瞬間、地面から神流に向かって黒い水晶状の棘が生えてきた。それを後ろに向かって大きく飛ぶ事でかわす神流。どうやら、最強の巫女を相手にするのに手を惜しむつもりは無いらしい。そんな息子に対し、一瞬悲しそうな表情になった神流だが、次の瞬間には元に戻っていた。


「お互い、果たすべき役目を果たしましょうか」


 その言葉が響き渡った瞬間、肌にひりつく稲妻のような空気が流れた。




 光が迸る。それも一度二度程度では無く、数秒に一回、何度も何度も、だ。それだけ和沙が高速移動を頻繁に行っている、という事ではあるが、そうまでしても未だ神流には傷一つ付ける事が出来ていない。

 否、傷を付ける事自体は可能だ。実際、先ほどから何度も不意打ちのような形ではあるが、彼女の身体に刀が触れる事もあった。ぎりぎりのタイミング且つ紙一重でその悉くが避けられたが、避け方さえ分かれば、和沙もまた、それを先読みして避けた先に攻撃を置く、といった技で先の先をとる、というもはややっている本人もどういう原理で行っているのか分からないような方法でダメージを与えていく。

 与えていっている、のだが……、与えたダメージは悉くその場で回復される。それも、何らかのモーションをとって回復するのではなく、ノーウェイトノーモーションで回復していくその様を見ていると、改めて彼女が人間ではない事を思い知らせてくれる。


「まったく、どれだけ傷つこうと全部無かった事にされる……。あの時のその体ならどれだけ助かった事か!!」

「あはは、人の事は言えないんじゃないかな!!」


 迂闊に踏み込んだ和沙の隙を見逃さず、神流が正拳を叩き込む。……が、もはや和沙の戦法は反射と先読みを組み合わせて別次元のものにまで昇華している。故に、ただの隙は無い。だからこそ、この一撃は……わざと受けた。


「腕……とっ……っ!?」


 伸ばされた右腕を胴で受け衝撃を緩和し、次の瞬間にはその腕を絡めとり折る……そんな生ぬるい事はしない。刀を押し当て、回転する事で斬り飛ばそうとするも、神流がとった手段があまりにも物騒だったため、せっかく取り付いた腕を離し、すぐさま距離を開ける。

 刹那、辺りに響く轟音と、巻き上がる砂ぼこりがその一撃の威力を思い知らせてくる。

 まさか、腕をとらせたまま、その状態で和沙を腕ごと地面に叩きつけようなどと誰が思うだろうか。確かに再生する事を考えれば、無理に引きはがすのではなく、自身の身体諸共叩き潰す方が早いと言えば早いのだが、それにしても痛みは当然発生するだろうし、何より一時的にではあるが戦闘能力が制限される事もある。まともな思考回路をしていれば、次の事を考えて取るべきではない行動だと分かるはずだ。にも関わらず、神流の行動はそれだ。


「……アホだろ」

「母親に向かってアホとは何さ、アホとは。これが最善の行動だと思ったからとっただけの話です~」

「行動のほとんどが脊髄反射の人間はこれだから……。考えるって事をしないから、咄嗟の行動がどれだけヤバいのか、ってのが理解できないのはこっちとしても困るんだよ。先が読めないんでね」

「先? そんなの読む必要あんの?」

「……なるほど、そもそも脳の構造が違うってのか。オーケー、分かった。なら、こっちもやり方を変えるぞ」


 和沙の目付きが変わる。その様子に、神流は言いしれようの無い何かを感じたのか、流石に構えをとっている。

 次の瞬間、再び蒼い光と共に姿を消した和沙だが、神流の視線はぶれる事も逸れる事もしない。つまり、母目掛けて一直線に進んだ、という事だ。

 一瞬、神流が眉を顰める。意図が分からない。高速移動から勢いを乗せての一撃か? ここまで直線的だといなすのは簡単だ。なら、和沙に視線を向けさせながら、別方向からの攻撃か? にしては他のメンバーとは離れすぎている。また、ここまでの戦いで和沙が周囲に転がっている物体の中で、アンカーに変化させたものは無かった。つまり、紛れも無く彼は猪突猛進に進んできている、という事。

 この一瞬の中で、それだけの情報を瞬時に処理した神流が、和沙が行ってくるであろう攻撃に備えて低く構える。そして……


「破っ!!」


 まるでカウンターのように、振り上げられた刃が届く前にその拳が彼の胸を打つ。攻撃態勢に入っていた為、その拳をもろに受け取り、尚且つ神立での高速移動の勢いが乗っていたせいで、その威力は途轍もないものになっていただろう。普通の人間であれば、爆発四散してもおかしくはないような鈍い音を立てた後、和沙の身体は後ろに吹き飛んだ。轟音を立て、降り注ぐ瓦礫の中でピクリとも動かない和沙を見て、神流はどこか悲しそうな表情を浮かべる。


「……ゲホッ、ゴホッ……、やっぱり、そうか。あんた、痛覚が無いんだな?」

「?? それが何? 別にだからって困る事なんて……」

「そうか? 現に、今左腕が無いのに気づいてねぇじゃねぇか」

「……!!」


 息も絶え絶えとなっている和沙に言われ、ようやく自身の腕があるべき場所に無く、断面からはどす黒い液体が流れ出ている事に気付く。

 いつの間に斬られた? 振りかぶった刀は振り下ろされていなかった。その前に神流の拳が和沙へと打ち込まれ、そんな余裕は無かったはずだ。


 ……否、その考え自体が間違っていた。


 神流から拳を受けた瞬間、あの時点で既に和沙は神流の腕を斬り飛ばしていたのだから。

 つまり、振りかぶったと思ったその動きは、既に振りぬかれた後の姿だったのだ。


「……流石に母さんみたいに一瞬で、とはいかないな」


 見ると、壁にもたれかかり息をするので精一杯だった和沙が、ゆっくりと立ち上がっている。その体には、ほのかに紅い光が迸っていた。


「紅命……。そういえば、それも持ってたっけ。あの子が持ってた、皮肉の極みみたいな力だけど、まさかここでそれが立ちはだかるなんてね」

「忘れたか? 神立の扱いは俺の方が上だ。素の戦闘力が劣ってる分、こっちで補わせてもらう。覚悟しろ、俺を止めるなら即死以外の手は無いぞ」

「ゾンビがいっぱい出てくる映画とかゲームは苦手なんだけどなぁ……」

「ほざけ。あんたもどっちかというとこっち側だろ」


 ニヤリ、と和沙が笑みを浮かべる。その手に持った刀の煌めきが、神流を映す。彼女もまた、小さく笑みを浮かべていた。

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