五十八話 意外にも……
「あら?」
「……なんですか? アタシがいたら困る事でも?」
「いえ、ごめんなさい。ただ、随分と珍しい人がいたものだから」
「理由は違っても、思ってる事はあんまり変わりませんよ、それ」
放課後、珍しく訓練場に顔を出した紫音を見て、睦月が目を丸くしていた。昼間、和沙と話したおかげで、何か心境の変化でもあったのか、いつもの彼女からは想像できない程のやる気が見られる。例えば、普段ならば来たとしても、御装に変身する事もなく近くで訓練の様子を眺めているだけなのが、今の彼女は御装を身に纏い、得物であるライフルの点検をしていた。
「何かあったの?」
「……別に」
「あったのね」
「アタシ、先輩のそういうとこ嫌いです」
笑みを漏らす睦月とは裏腹に、口を尖らせる紫音。いつもは二人が一緒になった際、険悪とはいかないまでも、売り言葉に買い言葉で自然と口喧嘩になる事も多いのだが……。まぁ、二人が言い合いをする時というのは、大抵紫音が最初から喧嘩腰になっている事が多い。今までは紫音の立場上の事情もあったからだろう、それが先日の戦いで一気に吐露できたおかげで、今までつっかえていた物の一部が無くなった感じだろうか。昼間の和沙との会話を見ていても、その様子が垣間見られた。
「せっかく来たんだし、久しぶりに全員で連携演習でもしてみる? 今日は鈴音ちゃんもいるから、いつもとは勝手が違うかもしれないけど」
「付いてこれるんですか? こないだの怪我、まだ治ってないんですよね?」
「ふふん、鍛え方が違うから」
そう言いながら、腕を捲って力こぶを見せる睦月だが、当然、そこまで筋肉が付いているわけではない彼女の二の腕が盛り上がる事は無い。しばらく力を入れていたものの、諦めて元に戻すと、それに合わせるかのように、残りのメンツが集まって来る。そして、皆それぞれ一様にとある反応を示す。
「紫音クンがいる!?」
一番最初に声を上げた明は、彼女の姿を見るなり足早に近づいていく。が、普段あまり接しない相手にも関わらず、紫音の反応は冷たい。
「寄んな」
「あいったぁ!?」
紫音のつま先が明の脛を捕らえる。特別仲が良いわけでもないようだ。後から来た紅葉が、明を一瞥し、すぐにその目が紫音へと向けられる。
「慰めの言葉すら無しかい!?」
足下で何やら喚いているが、今は紫音の方が重要な模様。
「お前が一番に来ているのは珍しい……、と思ったが、何かあったのか? どことなく前とは雰囲気が違う気がするが……」
「ちょっとした心変わり。もしかしたらまた来なくなるかもしれませんよ?」
「ふむ、それはそれで困るな。出来ればお前には毎回参加して欲しい。でないと、今のままでは全員揃っても百鬼にすら苦戦するからな」
「百鬼……」
「ん? どうかしたか?」
「いえ、何でも」
おそらく、紅葉は紫音を百鬼を撃退したメンバーの一人、として見ているのだろう。しかし、あの場で百鬼にまともに太刀打ち出来たのは和沙一人だけ。他の三人は辛うじて命を拾ったに過ぎない。劇的な活躍をしたわけではない。下手をすれば足を引っ張ってすらいただろう。しかし、世間的に見れば、あの日、あそこで確かに百鬼を撃退したのは彼女達だ。そして、ここでは当事者以外誰もがそう思っている。
その事を思い出したのか、紫音と睦月が少し暗い表情を浮かべている事に、他のメンバーは首を傾げている。
そんな中、鈴音だけはその輪の中には入らず、少し離れた場所から見ていたが、音も無く睦月に近づくと、その脇を指先で小突く。
「ひゃん!? な、何!?」
「いえ、何やら暗い顔をしていたので、明るくしようかと思っただけです」
「もう……」
予想外の人物の悪戯に、その場の空気が一転する。そんな雰囲気に釣られたのか、睦月と紫音もぎこちなくではあるが、笑みを作る。そんな二人に、鈴音は再び近づいて……
「……何と思われようと、兄さんなら最大限その状況を利用していますよ」
そう、彼女が言いたかったのはその一言だ。むしろ和沙であれば、世間が勝手に思い込んでいる事を利用し、自分に有利な状況を作るに違いない。兄の事を引き合いに出すのは、今は逆効果ではないかと一瞬思っていた鈴音だったが、どうやら杞憂に終わったようだ。
「そう……だね。何でも聞いて下さいよ。なんたって、アタシはあの百鬼と戦って生き残った女ですからね!」
「ちょっと、前衛を張ったのは誰だと思ってるの?」
「先輩も頑張ったとは思いますよ? 壁役としてですけどね。その豊満なお胸が役に立ったじゃないですか」
「な――」
これこそ彼女達特有の売り言葉に買い言葉。すっかりいつもの調子を取り戻した睦月と紫音は、普段と同じ調子で言い合っている。しかし、そこに険悪さは無い。あくまでじゃれ合っているかのようなやり取りに過ぎない。
「まったく、調子の良い事だ」
「そうですね」
焚きつけた本人であるにも関わらず、紅葉の横に並んだ鈴音が二人のやり取りを眺めていた。
「しかし、このままでは訓練が始められんな……。おい、お前たち、その辺にしておけ」
「は~い」
「うぅ……」
どこか勝ち誇ったような紫音とは裏腹に、睦月は胸を抱くようにして涙目になっていた。いつもならやり込める睦月が辛酸を舐めるなど、これまた珍しい光景だ。鈴音は密かに写真に撮っておきたい衝動を堪え、傍観に徹していた。
「……いい傾向ではないか」
和気藹々としている少女達を遠くから見つめている一組の双眸。その目が、鈴音の姿を舐めつけるように見ている。もう既にその輪の一員とも言える、鈴音の姿を。
「となると、計画は最終段階に入ったか。あの娘も、やろうと思えば出来るではないか。何故もっと早く動かなかったのか理解に苦しむな」
少女達の姿を遠目ではあるが、眺めながらブツブツと呟いているその姿は、傍目から見れば不審者以外の何物でも無い。しかし、ここは祭祀局。本部局長の肩書を持つ長尾が怪しまれる事はまず無い。そもそも、こんな時間にこんな場所まで来る人間はそうそういない。長尾のお気に入りと知れ渡っているおかげで、今日もまた、快適なサボりライフを送っていた長尾だが、あまり長居すると部下にそれとなく嫌味を言われるのが最近の悩みとなっている。
「だが、それももうじき終わる」
鈴音さえ手に入れてしまえば、後は如何様にでもできる。それこそ、天至型を打倒した佐曇支部の巫女を丸々引き込む事さえ夢ではない。
そんな夢物語を妄想しながら、ほくそ笑む姿は到底他人には見せられないものになっていた。
――しかし、長尾は知らない。
最も優先すべき相手は、今頃自身の悪行を白日の下に晒す為に、飛び回っている事を。
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