十八話 押しかけ

「あら? 随分と珍しい組み合わせね」


 少しばかり空気が重くなりながらも、これも市民の声を聞くいい機会だと考えた紅葉と和沙は、それから半刻程カフェで過ごし、そろそろ人もまばらになってきた頃に店を出る。すると、まるで示し合わせていたかのように店の外で見知った顔に会った。


「……」

「……私は何もしてないぞ?」


 にこやかに笑う睦月を前に、苦々しい顔を紅葉へと向ける。まさか年長二人で和沙を挟み込むつもりか、とも思ったが、本当に偶然だったらしい。


「私はちょっと用事で、ね……。偶然近くを通りかかっただけよ? むしろ、貴方達二人が一緒って事に驚きだわ。何かあった?」

「そりゃ何か無ければこうはならんだろ。オタク、何言ってんだ?」

「そこまで言う事は無いと思うけど……。あ、紅葉ちゃん、琴葉ちゃんが探してたわよ?」

「私を……?」


 自身を指さした紅葉に対し、頷く睦月。特に彼女と約束はしていないはずだが、と呟いていたが、和沙にはわずかながら心当たりがあった。

――答えでなくとも、手掛かりくらいは見つけたか。

 おそらくまだ琴葉がいるであろう本部に向かう紅葉の背中を見送りながら、小さく手を振っている睦月の横で、その姿を和沙が訝し気な目で見つめている。


「……何か隠してない?」

「え? そ、そうかな?」

「いやまぁ、隠し事なんて人間よくある事なんだけど……、どうにも様子がおかしい気がする。しかも、俺に対して」

「き、気のせいじゃない? ほら、最近忙しかったし、和沙君自身もちょっと厄介な事に巻き込まれてるみたいだから、猜疑心が強く……」

「厄介な事ぉ? んな事言った覚えないけどなぁ? ……誰から聞いた?」

「……」


 和沙の追及に、顔背けてあくまで知らんぷりを決め込む睦月。……なのだが、生来の性格のせいだろう、完全に無視する事は出来ず、その目はちらちらと和沙へと向けられている。


「まぁ、いいか」

「……ほっ」


 安堵の息を吐く睦月を前に、いい加減疲労がピークの和沙は、さっさと家に帰って寝たいという純粋かつ本能的な衝動を優先し、自宅へと足を向ける。

 その自宅が、現在とんでもない状況になっているとは知らずに。




「……何で付いてくるんだよ」

「え? いや、ほら、見送りって大切じゃない?」

「同じマンションなんだから、見送りも何もないだろ。それに、いつもシレッとウチにいるくせに」

「そ、そうだったっけ?」

「……記憶障害でも患ってんのか」


 もはや相手をするのも疲れる、と言いたげに、和沙は自分の部屋の前まで行き、何気なく鍵を開け、中に入ろうとした。


「おかえりなさい、貴方。ご飯にする? お風呂にする? それとも……」


 和沙は目を疑う。何故なら、眼前にいる人物は、祭祀局の本部長室で今頃忙殺に駆られている筈の織枝だったからだ。普段祭祀局で仕事をしている時の彼女の制服となっている巫女服では無く、今は一般的な私服を身に着けている。が、問題はそこではない。

 数秒か、それとも一分だったか、とにかく和沙は目の前の光景を上手く認識できず、しばらく呆然としていたが、ようやく我に返り、後ろを振り返る。そこには既に誰もいなかった。


「あれ?」




「……俺は未だにこの状況が上手く理解出来ないんだけど」

「安心してください兄さん、私もです」


 自宅の机で呑気にお茶を啜っている織枝を見て、鈴音もまたどこか惚けた表情になっている。仕方の無い話だ。何せ、自分が所属する組織のトップが自宅にいるのだから。それも、本来であれば、会う事そのものに多大な時間と手順が必要な相手が、だ。初めて彼女と会った時は、まさしく祭祀局という巨大な組織のトップにふさわしいと言える威厳を纏っていたが、ここにいるのはただ一人の女性だ。威厳など微塵も感じられない、と言えば本人は傷つくかもしれないが、少なくとも近寄りがたい、とは感じない。


「で、何の用だよ」

「おや、用が無ければ来てはいけないので?」

「いや、駄目だろ。仮にもアンタは祭祀局のトップだ。そんな人物がこんな一般家庭に護衛もつけずに……って、まさか!?」

「ようやく気付きましたか。そうです。筑紫ヶ丘さんに送っていただきました」


 なるほど、睦月があれだけ必死になって取り繕うとしていた理由がようやく分かった。和沙に織枝の存在を気取られない為だったのだ。もし気づけば、彼女に向かって何を言っていたか想像に難くない。


「で、本音は?」

「疲れたので、少しでも休める場所に行きたい、と思いまして」

「それで何でここを選ぶ……! 実家とかあるだろ!?」

「実家は……駄目ですね」

「駄目、とは?」

「祭祀局のトップと、御巫家の当主になる事は即ち人の枠組みを飛び越える、という事に他なりません。本人の意思がどうあれ、ね」

「……ようは家に帰ったら崇め奉られてリラックス出来ない、と?」

「ご名答。流石は私のご先祖様ですね」

「はぁ……」


 重々しい溜息を吐くのは、果たして彼女の存在に対してか、はたまた彼女の普段とのテンションの違いについていけないという意味なのか。どちらにしろ、和沙にとっても安息の場であった自宅は、現在この街で最も気の抜けない場所と成り果てていた。


「あれ? ちょっと待って下さい。兄さん、織枝様に正体を話したんですか?」

「話したというか、バレたというか……」

「色々と内密に進めてきましたからね。ご先祖様の正体に関しても、その一環という事で」

「それはそれは……、随分と仲がよろしくなったようで……」


 何やら鈴音から不穏な気配が漂っている。彼女に相談も無しに正体を打ち明けたのは、確かに和沙の落ち度ではあるが、別段鈴音と予めそういう約束を交わしていたわけでは無い。故に、あくまで和沙の自己責任ではあるのだが……、複雑な乙女心とでも言うべきか。


「おや、鈴音さんは私と和沙様の仲がいいのは気に入らない、と?」

「そんな事言ってません~。兄が軽薄だと言ったんです。……いえ、尻軽……というのも……」

「待て待て待て、その言葉は対象にする性別が違う。だからって軽薄でもない! こっちは上手い事利用されてたんだぞ! お前にはそれが仲良く見えるのか!?」

「違う……と?」

「違う!!」

「残念」

「あんたも煽るな!!」


 周りは敵だらけ……ならぬボケだらけのこの状態では、ただじわじわと和沙の体力が削られていくだけだ。いい加減、限界も近い彼にとって、そろそろ勘弁してほしい頃合いでもあった。


「あぁくそ……、眩暈がしてきた……」

「大丈夫ですか? 看病とかいります?」

「いらんから、さっさとあんたは本部に帰れ。ここにいられると迷惑極まり無い」

「申し訳ありませんが、しばらくは帰りませんよ?」

「……あ?」

「いえ、私自身も休暇が必要だと感じたので。このまま仕事を続けていても、効率は下がっていくばかりです。ですので、こうしてしばしの休暇を、と」


 申し訳なく思っているとは思えない表情を浮かべながら、織枝はそんな事を口にする。休暇が大切なのは今の和沙を見ていれば存分に染み入るが、だからといってここである必要は無いだろう。そんな風に考えていた和沙だったが、敵は案外近くにいた。


「でしたら、仕方ありませんね」

「鈴音さん!?」


 まさかの裏切りに、和沙の声が裏返る。鈴音としても、自身の所属する組織のトップと腰を据えて話すいい機会だと判断したのだろう。それだと織枝の本来の目的である休暇とは言い難くなってしまうのだが……、一宿一飯の家賃として諦めてもらうほか無い。


「では、今日一日お願いしますね」


 ただでさえ身体的にも、精神的にも疲労しきっている和沙は、思わずその場で頭を抱える事になった。

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