幕間一 緋色のリボン 中

 七瀬が危惧していた通り、巫女隊一行が目的地に着く頃には日が沈み、辺りを夜の蚊帳が包んでいた。

 この時間帯、眠らない街、と呼ばれる都心とは違い、今のこの国のある意味起点となった場所ではあるが、どちらかというと田舎町、という印象の強いこの佐曇市では、そこまで光源は多くない。ましてや、街はおろか、住宅街からも離れた山の中ならば尚更だ。明るい明るくないを判断する前に、光源は星や月の光のみだ。


「……」


 しかし、先程から続く沈黙が痛い。正確に言えば、和佐の腕を掴んで離そうとしない七瀬が放っているプレッシャーのようなものが原因だが。


「水窪、痛い」

「私は恐いんです。少しくらい我慢してください」

「だとしても、俺の腕を使うな。せめてしがみつくなら日向か、強く握られても問題無い先輩にしろ」

「位置がちょうどいいんです。先輩は握りづらいですし……」

「ちょっと、それどういう意味よ」


 とは言っても、口を開きさえすればいつも通りだ。しかしながら、普段は気丈に振舞っている七瀬がこんな状態では、彼女に憧れる葵は……


「雰囲気が凄いですね!」


 意外にも好評なようだ。


「葵ちゃん来たことなかったの?」

「はい。家が厳しいのと、一緒に来る友達とかいなかったので……」

「なるほど、友達がいないのは兄さんと同じだけど、家が厳しいって……?」

「おいそこ、さり気無く俺をディスるんじゃない」

「一人娘なので、心配なんだと思います。色々過保護ですし、候補生になるのも最終的には賛成してくれたけど、猛反対されましたし」

「真っ当な親で良かったじゃないか。世の中には、それを立派なお役目、だなどとほざくクズ共もいる事だし」

「あはは……、兄さん、流石にそれは……」


 乾いた笑いを漏らす鈴音に対し、和佐は事実だと念を押している。

 和佐の境遇には同情するが、今暗いのは周りだけで、雰囲気まで暗くされてたまるか、と凪が張り切って先頭を切っている。暗い山道を端末の小さな明かりを頼りにスイスイと進んでいく様は、まるで……


「まるで猿だな」

「あぁん!?」


 物凄い目で睨みつけられるも、当の和沙はどこ吹く風。足を止めた凪の横をすり抜け、先へと進んでいく。

 流石は実家への帰路、と言うべきか、和佐が先頭を歩きだしてから、ものの数分で目的地へと着いてしまう。その腕にしがみついていた筈の七瀬は、いつの間にか日向の服の裾を掴んでいた。


「大きい……ですね」

「俺が住んでた時にゃあ、もうかなり年期が入ってたがな。むしろ二百年もよくもったもんだ」


 築数百年。この街において、この家屋と神社以上に古い建物は存在しないだろう。それほどまでに年を重ねている。


「しっかしまぁ……」


 ぐるり、と見回す。当時の面影など、家の形くらいしか残ってはいない。それでも、どこか懐かしさを感じるのは、和佐がこの家に抱いていた愛着がそれほどまでに深かったということだろう。

 しかし、家というのは人が住んでこそ成り立つもの。

 かつてこの屋根の下で共に過ごした家族はもういない。ここで感傷に耽っていても、無意味以外の何物でもない。

 おもむろに引き戸に手をかけた和沙は、そのまま戸をスライドさせる。ところどころ腐食や風化などしているはずが、思いのほか戸はスムーズに開いた。

 躊躇なく足を踏み入れる和沙に、その後を付いていく少女達。

 明かりなど、当然あるはずもない。かつて光を放っていたであろう電灯も、いまではその中身がむき出しになり、黒く焦げた部品のような部分が姿を見せている。

 勝手知ったる我が家の和沙に対し、少し及び腰の一同は通りがかった部屋の中を恐る恐る覗いていく。が、そこには朽ち果てた和室だったものがあるだけで、他には何も無い。


「そういえば、どんな幽霊が出るんだっけ?」

「えっと……確か、赤い和服を着た……女の子だった気が……」

「ちょっと気になったんだけどさ、あそこでひらひらしてるのって、もしかして……」


 凪が指差した先、戸の向こう側から赤い布らしきものがはためいている。


「……見てきて下さい」

「ちょっと待って! 私!?」

「言い出しっぺなんですから、当然でしょう!」


 七瀬の語気が荒い。なんとか平静を保ってはいるものの、内心ではかなり動揺しているものかと思われる。

 渋々その戸に近づく凪。あれだけ勇んでも、結局は年頃の少女。怖いものは怖い。

 どこからか風が入ってきているのか、その赤い布はゆっくりよゆらめいている。が、それ以外に動きは無い。

 意を決し、凪がその戸に手をかける。


「…………………あれ?」


 戸の向こう側には、ただ一枚のハンカチがあるだけだった。真っ赤なハンカチではあるが、そう珍しいものではない。柄が特に無いところを見るに、肝試しに来た大人の忘れ物だろう。


「……どうでした?」

「どうもこうも無いわよ。ただのハンカチ……」


 が、そこで凪の口が止まる。何故か彼女は、七瀬達の背後を見て固まっている。


「……先輩?」


 その様子を察したのか、七瀬の凪を呼ぶ静かな声が建物の中を反響する。しかし、凪はそんな七瀬の言葉にも耳を貸さず、ただ彼女達の背後を見つめている。いや、目を見開いて、その暗闇へとただ黙って視線を送っている。

 七瀬達も嫌な予感はしているのだろう。凪が見ている方向へ視線を向けず、ただ固まっている先輩へと声をかける。


「先輩、どうしました……「あそ……んで……」ッ!?」


 言いかけたその時、背後から聞こえたか細い声に、七瀬が凍り付く。いつもの凛とした表情はどこへやら。目に涙を溜め、今にも泣きそうな顔で引き攣った笑みを浮かべている凪へと視線を送っている。

 なんとかしろ、その目は暗にそう言っているが、当事者である凪にとっても想定外の事態だったのか、その場から動こうと……いや、動けなかった。


「ねぇ……あそんで……?」


 ちょうど葵の背後、黒い髪を前にだらんと下げた真っ赤な浴衣のような和装の少女が手を伸ばしたその瞬間、


『きぃやぁぁぁぁぁ!!』


 まるで弾かれたように叫び声を上げながらその場から走り去る一同。いくら巫女とはいえ、平時の身体能力は普通か、多少高いくらいだ。にも係らず、彼女達のスピードは、そこいらの運動選手もかくやと言う程のものだった。

 気付けば、その場に残されていた少女は、ただ茫然と一目散に逃げていった少女達の背中を見ていた。が、少しすると手を口に当て、小さく笑いだした。


「なんだ、やっぱりお前か」


 そこへ、少し先まで進んでいた和沙が戻ってくるが、その場に残っていた少女の姿を見て小さく笑う。

 そんな和沙へと振り向いた少女もまた、鈴を転がしたような声でコロコロと笑う。


「おかえり、お兄ちゃん」

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