二十六話 不穏が不穏に

「今日は随分と遅かったですね」

「色々あったんだよ。色々……」


 カバンを放り投げ、倒れ込むようにしてソファに横になる和沙を、鈴音は行儀が悪いと言って叩いている。最近、兄の扱いが一段と乱雑になってきた妹に一言抗議を入れてやろうと跳ね起きるも、当の本人はエプロン姿で台所に立っている。流石に邪魔しては悪いと思ったのか、素直に自室へと荷物を置いて戻ってきた和沙は、今度は倒れ込まず、大人しく腰を下ろした。


「それで? なんでこんなに遅れたんですか?」

「ん? あ~……」


 その表情は、言うべきか否かを迷っている時のものだ。しかしまぁ、先程まで鈴音の同僚の巫女に絡まれていた、なんて素直に言うべきでは無いのは確かだ。変に誤解を生むか、無駄に心配をさせかねない。だからと言って、言わない、という選択肢もどうだろうか。もし、なんらかの形で鈴音に接触していたとすれば、その件で無駄に責められかねない。昨今の妹の和沙への当たり方を考えると、優しく諭す、なんてのはまず無いと考えていい。


「……真砂、って分かるか?」

「え? はい、巫女隊のメンバーの一人ですが……そういえば、兄さんのクラスメイトでもありましたね」

「そうだ。で、その真砂なんだが、何をトチ狂ったのか俺に一目惚れしたとか抜かしてきやがった」

「…………はい?」

「一目惚れ、だとよ。米の品種じゃないぞ」

「そんな事言われなくても分かってますよ! ですが、兄さんに一目惚れ? これに!?」

「お前、最近本気で俺に喧嘩売りに来てないか?」

「あぁいえ、コホン……失礼。しかし、ですよ? 今の兄さんはどこからどう見ても根暗で陰気な一学生じゃないですか。そんな兄さんに一目惚れって……催眠術でも使ったんですか?」

「言い方は気になるが……まぁいい。そうだな、そもそも俺はアレに好かれるような事をした覚えは無い。一度か二度、一緒に遊びに連れて行かれた事はあったが、あれも他に人がいたからな。二人っきりというわけじゃあない」

「だったら何故……」

「それが分かりゃ、苦労はしないさ……」


 ソファの上で、天井を仰ぎ見るような体勢になる和沙。その口からは、重々しい溜息が漏れ出ている。何が原因の溜息なのか、そんな事、考えるまでも無いだろう。


「随分とお疲れのようで。……ですが、早いところに真意を問いたださなければ、事態が進行してからでは厄介な事になりかねません。というわけで、兄さん。ここは一つ、スケープゴートになってくださ……」

「いーやーだー!」

「言い切らせてもくれないんですね……」


 しかしながら、先程からこの二人は紫音の言動が何らかの企みありきのものだと断定して話を進めている。もし仮に、彼女の話が本当だとするならば、和佐はどう対処するのだろうか?


「あぁ……めんどくさい……。普通の学生生活がこんなのなら、俺は一生引きこもれる自信がある」

「何を言ってるんですか……。確かに、兄さんの置かれた状況は厄介極まりないですが、逆にこれはチャンスではないですか? 本局の内情を知りたいと言ってたじゃないですか。でしたら、真砂さんを利用して、本局の情報を引き出すんです。よく言うじゃないですか、将を射んとする者はまず馬を射よ、って」

「それはまた用途が違うだろうに……。この場合、将とするのは本局じゃなくて真砂のボスで……あぁクソ、そういう事か……」


 言いかけた和沙が、ここで何かに気付いたのか、額に手を当てながら再び天井を仰ぐ。だが、その目が見ているものは天井ではなく、また別の物。自身が導き出した答えであろう推測に焦点を当てていた。


「どうかしましたか? もしかして、何か思い当たる節でも?」

「……確証は無い。確証は無いんだが、核心には近いと思う。だが、そうなると奴さんの背後を洗うべきか……時間が足りんなぁ……」

「?? 必要であれば、こちらでも情報収集くらいはしてみますが……」

「いんや、お前は動くな。下手に動きを見せて気取られでもすれば、そこから先に制限がかかる。まだ必要な物は全部揃ってないんだ。誰であろうと、隙だけは見せられない。……とはいえ、油断している、とは思わせた方がいいか。前言撤回だ、お前にはある役目を課す」

「何でしょうか!」


 そう言われた鈴音は、どこか嬉しそうに、楽しそうにテーブルに手を付いて和沙に目を向けている。

 無駄に輝く妹の目を見つめながら、和佐はただ一言。


「俺と真砂の事を言いふらしてくれ」

「……」


 一瞬でその目つきが変わる。期待したのが馬鹿みたい、とでも言いたげな表情になった鈴音だったが、そんな彼女を未だ見つめている和沙の表情は真剣だ。


「意図あっての事だ。そんな顔すんな」

「……念のため聞きますが、どういう意図なんですか?」

「単純な話だ。真砂がそういう手段を使う、って事は奴のボスはそれを望んでるって事だろ? なら、そういう噂を流布すれば、事が思い通りに進行していると勘違いして、隙を見せるかもしれん。後は、万が一にも俺が情報を集めている事がバレても、それで言い訳がつく。保険も兼ねてるってわけだ」

「ふ~~~~~~ん」

「その反応は何なんだよ……」

「いぃえぇ~、別に~」


 別に、とは言ってるが、明らかに態度が違う。そこまで和沙の作戦が気に食わないのか、それとも自分にそんな役目を押し付ける和沙に思うところがあるのか、もしくは、他に何か理由があるのだろうか?


「一先ず、その辺の情報工作は頼んだぞ。俺は引き続き色々と洗い出してみる」

「人にこんな事をさせるんですから、下手を打つ事はしないで下さいね。私にまで被害が及ぶので」

「何か怒ってないか?」

「怒ってませんよ~」


 妹のそんな反応を見ながら、和沙は小さく首を傾げる。年頃の女の子の扱いなどこれっぽっちも分かっていない和沙にしてみれば、鈴音が機嫌を損ねた理由が全くと言っていいほど分からないようだ。まぁ、同じ年頃とはいえ、繊細な乙女心を理解しろというのが無理な話ではあるが。

 結局、この日は鈴音の機嫌が治る事は無く、出てきた夕食の質素さに文句を付け、火に油を注ぐ形となった和沙は、最終的に口さえ聞いてもらえなくなったとさ。




 と、ここまでであれば、いつもの夜の鴻川家の風景と言えるのだが、この日はちょっと違った。

 突如として鳴り響くサイレン。それが意味するのは……

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