二章 本局騒乱
一話 本局へ……
「……」
車窓から流れるこの季節特有の景色を眺めながら、少年は小さなあくびを漏らす。昨夜は眠れなかったのか、それとも単に睡眠時間が短かったのかは分からないが、少しばかり眠たそうな瞳が、焦点も合わずに、ただ窓の外で流れていく景色を見つめている。
「……さん」
非常に整った室内温度のせいか、何度か少年の頭がこくり、こくりと浮き沈みしている。この時期の外気の温度と比べると、かなり暖かいせいだろう。何かしている訳でもない状態で、この温度の中をただ座って耐えるというのは相当に辛いものがある。眠気に耐える、という意味で。
「……いさん」
少年もまた、例に漏れず悪魔の囁きとも言える程の温度調整により、そろそろ夢の世界へと旅立ってしまいそうな様子だ。現に今も、これまで車窓から外を眺めていた目が閉じかけて……
「兄さん!」
「うおっ!? なんだ!?」
目の前五センチ程の場所で自身を呼ぶ少女の介入によって、微睡から解き放たれた。突然上体を起こすので、椅子が大きく揺れ、後ろに座っていた人物が迷惑そうに眉を顰めている。
「ほら、兄さんが暴れるから」
「暴れるも何も、お前さんがこんな至近距離に顔を突き出さなきゃあ、俺もそんな事をせずに済んだんだが……」
「返事をしないからですよ。まったく、御前市に着くまでに決めないといけない事があるのに……」
「はぁ……」
拗ねたように口を尖らせ、そっぽを向く少女――鴻川鈴音に対し、頭を押さえてこれまた小さな溜息を吐く少年――鴻川和沙、は現在新幹線に乗り、近畿にある都市、御前市に向かっていた。
この街には、祭祀局の総本山である本局が存在しており、この兄妹二人の目的はその本局への出張という形になっている。学生の身分でありながら、出張とはおかしな話だ、とはこの話を聞いた時に漏らした和沙の言葉だ。
「決めるって、何を……」
「ほら、料理当番だとか、ゴミ出し当番とか、その他色々です。私達二人だけで生活するんですから、それくらいは決めておかないと」
「寮とか下宿って選択肢は無かったのかねぇ……」
「マンションであれば、こちらが用意すればいいのですが、寮や下宿となると本局の介入がある可能性があるので、多少費用がかさんでもこちらの方が良い、とのことです」
「お互い信頼していないが故の判断、って事か」
「簡単な話、そういう事ですね」
この辺りは所謂大人の事情、というやつだろう。水面下でどのようなやり取りがあったのか、和佐達にしてみれば知るところではないが、それが彼らの行動に影響しない事を祈るばかりだろう。
「そういや、以前先生がこのご時世じゃ転校自体がほとんど無い、って言ってたが、今回の事を考えると、案外そうでも無いのな」
和佐が転校し、初登校を行った日、確かに菫はそんな事を言っていた。曰く、学校それぞれに生徒の個別データがある為、将来性を考えるなら転校させる事は好ましくない、と。
「表向きはそのようになってますね」
「表向き……って事は、やっぱ裏があんのか」
「簡単な話ですよ。兄さんの時代がどうだったのかは分かりませんが、この時代、各地域はそれぞれ閉鎖的なスタンスをとっています。それこそ、軽い交流や会社の支社があったりなどで、行き来自体は少なくはありませんが。ただ、その中でも人材の流出には酷く過敏になっています」
「人材……ねぇ」
「例えば兄さんのような強力な力を持った人は、基本的に他地域への出張はおろか、その地域から出る事すら許されない所も存在します。力を持った祭祀局が、優秀な巫女を外に出さないようにする一種の措置とも言えます。ですので、今回のように本局から招集が掛かったとしても、本来であればそれに応える地域なんてほとんどありません。そう考えると、佐曇は異常と言えますね」
「聞いた限りじゃ、巫女の事を財産か何かだと思ってるようなやり方だな」
「まぁ、巫女の強さはその地区を収める祭祀局の力の強さでもありますから。そんな風に見る人も少なくはありません」
自分達はそこまでではない。が、そんな扱いを受けている巫女がいる事自体が和沙には我慢ならないのか、顰めた顔で再び窓の外へと視線を投げる。しかしながら、そちらに目を向けたところで、変わらないものが変わるはずもない。
「それはそうとして! 結局どうします? 兄さん、料理とか出来るんですか?」
「出来ない事も無い、が……正直、妹に工夫が無いだのなんだの酷評される程度の腕だがな」
「酷評……そんなに酷いんですか……?」
「ん~……、そこまで酷いとは思った事無かったけどな。ちょっと味付けが雑で、大味なくらいで」
「大味……雑……、最近料理長が兄さんは何でもよく食べる、と言ってましたが、何を出しても文句一つ言わずに食べるので、口に合っているかどうか分からない、と嘆いていたのですが……なるほど、そもそも味に頓着していない、という事ですか」
「腹に入れば何でも一緒だろ。味なんていちいち気にしちゃいない」
「それを料理長の前で言わないで下さいね? 怒りはしないでしょうけど、泣かれますよ?」
「たかだが食事くらいで大げさな……」
「それ専門で仕事を得ているのです。兄さんだって、巫女としての役目を馬鹿にされると怒りますよね? それと一緒ですよ」
「むぅ……」
ぐぅの音も出ない、と言うかのように、口を噤む和沙。相も変わらず、妹に口で勝つ事は出来ないようだ。
そんな和沙を横目に、鈴音は端末の画面を開く。そこには、これからの予定が表示されていた。
「目的地には時間通りに到着しそうですね」
「……ふと疑問に思ったんだが、新幹線がこうやって普通に走ってるのはおかしくないのか?」
「おかしいとは?」
「温羅なんて存在が闊歩している現在で、高速で移動するとは言えこんな無防備で車両を走らせて大丈夫なのか、って事だよ」
「安心して下さい、伊達に二百年も経ってませんよ」
そう言って鈴音は窓の外に目を向ける。
「基本的にこういった交通機関が通る場所は、事前に調査が行って、安全であると判断してから路線を通しています。これは飛行機なんかも一緒で、そこを通るイコール安全である、と言えますね。これに関して、本局がかなり頑張ったとのことで、そこだけに絞れば十分仕事は果たしたと思っても良いんじゃないですか?」
「お前も結構厳しい事言うな……」
支部局ですら唯一認める功績の一つがこれ、日本各地に伸びる交通の便の確保である。
温羅は数で攻めてくる。しかし、人間側の巫女の数には限りがあり、そのせいで後手に回る事も少なくはなかった。それを危惧してか、当時の本局局長や浄位は移動に焦点を当て、まずはそこから手を付けていく事となった。その結果が現在の交通事情である。
「評価点がインフラ整備とは……、大事ではあるが、祭祀局でなくても問題ないだろうに」
「実績や功績を欲していた人たちにとっては、そういった事も見逃せなかったんでしょう。まぁ、そういう人達に限って、手は動かさずに口ばかり動かしているものですが」
「……お前、本局に何か恨みでもあんのか?」
「いいえ、特には」
「素かよ……」
最近、鈴音の口から出てくる言葉に戦慄を覚え始めた和沙。誰の影響かは言うまでも無いだろう。戦慄している本人である。
流れる車窓に変化が見られてきた。徐々に積もっている雪の量が減ってきているのだ。それが表すものとは、つまるところ目的地が近い、ということだ。
「兄さん、次で降りますよ」
「ん? あぁ……」
「と、その前に……」
鈴音がおもむろに和佐の結ってある髪を解く。切った為か、幾分短くなっているとは言え、それでも肩まで届く髪が一斉にだらんと落ちる。
「……おい、何してる」
「こうしてると、やっぱり女の子に見えますね」
「んなことを再確認する為に解いたのか!?」
「そんなわけないじゃないですか」
被害者は和佐であるはずなのに、何故か何言ってんだこいつ、と言いたげな鈴音の視線を受け、釈然としない和佐。
「カモフラージュですよ。兄さんには神前市にいる間は猫を被っててもらいます」
「……つまり?」
「人畜無害を装うんです。おそらく、兄さんの事はまだ知られていません。そのうえ、特に重要視する必要の無い人間だと判断されれば、それだけ動きやすくなるはずです」
「なるほどねぇ……。それと髪を解く事に何の意味が?」
「こっちの方が根暗に見えるので」
「……もうちょい言い方ってもんがあるだろ」
「失礼、大人しげに見える、と言いたかったんです」
「絶対嘘だ……」
「そんな、兄さん……信じてくれないんですか!?」
「お前、本当に凪に似てきたな……」
頭痛でも抑えるかのように、頭に手をやりながら溜息を吐く和沙。
これから数日か数か月か、はたまた年単位で妹と毎日こんなやり取りが続くのかと思うと、考えるだけで疲れてくるのだろう。
せめてひと時だけでも、平穏が和沙に訪れるのを願うばかりだ。
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