幕間四 雪華に捧ぐ

 年が、明けた。


 カレンダー上では、たった一年、三百六十五日が過ぎただけのものだが、人によってその密度は異なる。

 無為に過ごしてきた者、何かを成し遂げた者、成し遂げようとして挫折を経験した者、そして……この一年を最後まで過ごす事が出来なかった者。

 様々な思いや意味、思惑のあった一年であった。そんな中で、役目に殉じ、散っていった者も少なからずいる。それは、この小さな街、佐曇市でも同じ事だった。


 太平洋側の地形でありながら、この佐曇市では毎年のように雪が降り積もる。流石に北国程ではないものの、その量は少なからず交通機関に影響が出る程のものだ。いかに技術が発展した現代でさえ、自然の驚異に太刀打ちするには限界がある。お偉方のそういった考えもあってか、この街では雪への対抗策にあまり技術が割かれていない。まぁ、結界に特化している、という事もあるのだが、それでも交通機関くらいはまともに動くようにしてほしい、というのが市民の総意だった。

 一月の初め、つまりは元旦という事もあってか、降り積もった雪がそのまま銀世界を作り出す中、この空間では異彩を放つ黒塗りの乗用車が停まっていた。

 使用人だろう壮年の男性が車のドアを開き、中から手を借りながら出てきたのは、夫婦らしき二人の人物。……昨年、大型の襲撃によって二人の娘を喪った引佐夫婦だった。

 その二人が降り立った場所、そこは……霊園。雪が積もり、幻想的な光景を生み出す慰霊の園を、年初めの新雪を踏みしめながらとある一角へと向かう三人。

 その場所は、少し離れた場所からでも簡単に見つける事が出来る。理由として、仮にも街を守るという役目に殉じた英霊が祀られているのだから、それに応じ、墓とは到底言えない慰霊碑のようなものになっているからだ。三人の目的地はその場所なのだが……彼らの足は、少し離れた場所で止まった。


 先客がいたからだ。


 墓石の代わりに、大層な碑石が建てられているその前に置かれているシクラメンと、それを供えたであろう焦げ茶色のコートを羽織り、うなじの辺りでひとまとめにされた髪を緋色のリボンで結った人物。

 使用人が目配せし、どうするか聞こうとしたが、引佐夫婦は特にきにした様子も見せず、そのまま歩いて行ってしまう。というのも、彼ら夫婦には、その人物に見覚えがあったからだ。


「こうして顔を合わせるのは二度目……ですが、ちゃんと話すのは初めてですね。お初にお目にかかります、ミカナギ・・・・・


 ミカナギ様、と呼ばれたその人物、和佐はゆっくりと二人の方へと向き直る。

 やはりそうだった、と言いたげな口を閉ざし、和佐を見る引佐夫婦。件のミカナギ様と出会えたのは幸運だが、それと同時に疑問が湧き出てくる。何故、彼はここにいるのか?


「……その様子だと、一部始終は聞いてるみたいだな」

「はい、他言はしない、という条件付きではありますが。しかし、何故こんな場所に? わざわざご足労頂くような場所ではないと思いますが」

「なんだ、俺は友人の墓参りすら許されないのか?」

「友人……」


 夫婦は驚きの表情を隠せない。友人、と言われた事もそうだが、夫婦が聞いた話によると、和佐と双子はほんの半年程度の付き合いだ。別段そこまで深い関係だという話も聞いていない。だというのに、わざわざ元旦のこの日に時間を費やしてまでここに来る理由が夫婦には思いつかなかった。


「そう言っていただけるのならば、あの子達の親として、鼻の高い思いです」

「……その話し方はやめにしないか? 曲がりなりにも、俺はあの双子が命を落とす原因の一つだ。言い方は悪いが、今アンタらの目の前に立っている男は、娘の仇だぞ。恨まれこそすれ、敬われる事なんてないだろ」


 そんな事を言われるとは思わなかったのだろう、夫婦がきょとんとした表情を浮かべ、お互いに見つめ合い、次の瞬間には小さく噴き出していた。


「……何が面白い」

「いえ、申し訳ありません。まさか、ミカナギ様の口からそのような言葉が出るとは思わなかったもので……。話は聞いています。確かに、貴方が過去から天至型、と呼ばれる温羅を連れてこなければあの子達は命を落とす事は無かったかもしれません」

「なら……」

「ですが、もし仮に、ミカナギ様があの温羅をこの時代まで連れてくる事すら出来ず、そのままやられていたら、こうしてあの子達と過ごした記憶すら存在しなかったかもしれないんです。そう考えると、貴方には感謝こそすれ、恨む事などあり得ません」

「……どいつもこいつも」

「他にも似たような事を言われた方が?」

「俺の周りはそんな連中ばっかりだ。……俺としちゃあ、恨んでくれた方が楽で良いんだけどな。ただまぁ、俺が原因だ、なんて言うとそれこそもともと倒せる時に奴の存在を知らせなかった公社の連中が悪いんだが……死人に責任を押し付けるわけにもいかん。こういうのは生きてる人間が背負っていかにゃならんのだが……」

「だからって、ミカナギ様が背負う必要は無いかと思います。貴方がいたからこそ、今がある。この街に住む……いえ、この国に住む多くの人がミカナギ様に感謝していますよ」

「……今更何を」

「?? どうかなさいました?」

「いや、何でも無い」


 ボソリ、と呟いた言葉が聞き取れなかったのか、それともあえて聞こえない声量で呟いたのか、夫婦は和沙の呟きに首を傾げる事しか出来なかった。

用が済んだのか、それとも夫婦を気遣ったのか分からないが、和佐が踵を返そうとする。


「もう、行かれるのですか?」

「目的は果たした。これ以上ここに留まる必要も無いだろ。それに、どうにもアンタらと話すと毒気が抜かれる」

「そうですか……。一つだけ聞かせていただけますか? 何故この日だったんですか? お盆や、もっと暖かくなってからでも……」

「あの二人が一番はしゃいでそうな日だったからだ」

「……あぁ」


 特に理由などは無かった。ただ何か行事があるたびにはしゃいで回っている風美、それを諌めながらも、なんだかんだと言いながら姉に付いていく仍美。そんな彼女達にとって、一年の初めであり、最も大きなイベントである元旦ともなれば、ずっとはしゃぎ通していただろう。


「よく、見ていらっしゃる」

「注視するまでも無い。人ってのは、少し見ればある程度の事は分かる。あの二人はことさら分かりやすかっただけだ。いい意味で、だけどな」

「こうして来ていただけた事、あの子達も喜んでいるでしょう。自分達が慕っていた方に、こうしてお参りに来ていただけているのですから」

「慕われていたかぁ?」


 仍美だけならば頷く事も出来ただろうが、いかんせん風美には迷惑をかけられた記憶しかない和沙にとって、その言葉に首を捻る。


「慕っておりましたよ。家ではよく貴方の話を口にしていました。……今ではもう聞く事が出来ませんが、あの頃の楽しそうな二人の思い出は、私達にとって何よりも大切な物になっています。そういう意味でも、お礼を言わせてください」

「……」


 ここまで言われるとは思わなかった、そう言いたげに頭を掻く和沙の顔は、非常に居心地が悪そうだ。流石に居辛くなったのか、今度こそこの場から離れようと夫婦に背を向ける。和沙自身の感情もあるが、これ以上ここにいると夫婦が墓に参れない、と配慮をしたのだろう。シャク、シャク、と音を立てながら雪を踏みしめて墓の前から歩き去ろうとする。


「最後に一つだけ」


 その背に投げかけられる声に、足が止まる。しかし、返事は無く、振り向く事も無い。


「皆が自身の役目を果たそうと頑張っております。ですので、決してこの街を、この国を見捨てないで下さい。命を賭けて守れ、などとは言いません。ただ、この子達のような犠牲を生まないよう、見守ってて下さい」


 恨み言でもなく、怨嗟の言葉でもない。もう娘と同じように犠牲になる少女を生まないように、悲惨な最期を迎える子達を増やさないように、ただただ懇願する。ただ一人、それを為し得る可能性を持った少年へと。

 残酷な話だ。見守ってくれ、と口にした以上、その庇護対象の中に和沙は存在しない。無敵でも、絶対強者というわけでもない、それこそ奇跡によって力を得たに過ぎないだけの和沙に、それを頼み込むと言う事はどういう事か。


「……善処はしよう」


 だが、和佐の言葉には、恨めしさも、その発言に対する言及も混じってはいなかった。

 やれるかどうかなど分からない。ただ、頼まれたからには、それを願われたからには、それを果たす事が和沙の役目だろう。

 一度も振り返らず、ゆっくりと歩を進め始めた和沙の姿は、そのまま白銀の世界へと消えていった……。

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