幕間三 団欒

「あ゛ぁ゛ぁぁぁ……極楽~……」


 既にあの戦いから二か月近くが経ち、そろそろこの地方でも雪景色が見られそうな程の冷え込みを感じ始める十二月初め。和沙は両親からの進めもあり、佐曇市から少し離れた場所にある温泉宿へと湯治に来ていた。

 初め、体の内外に効くいい温泉がある、と聞き、半信半疑でここにやって来た和沙であったが、どうやら当初の予想とは異なり、想像以上に効果があったようだ。普段、人前では絶対に見せないであろう、蕩けた表情を浮かべながら、湯舟の中へと沈んでいく。水中で口から漏れ出た空気が気泡となり、浮かび上がっているのを見ると、どうやら溜息が漏れる程の効力があると見られる。

 ここ最近の和沙の体の調子はと言うと、良くも無く、悪くも無く、といったところだ。以前のように、突然血を吐く事も無ければ、体の不調が原因で食事があまり摂れない、ということも少なくなってきた。むしろ、最近は年相応の食欲を見せる事も少なからずあり、その事に喜んでいるのは家族だけではなく、食事を作る使用人も滂沱の涙を流していた。やはり、色々な人に心配をされていた、という事だろう。

 この湯治自体、両親がかねてより計画していたものだが、和沙があまり外に出たがらない事と、安静期間が長かったお陰で、今しがたになってようやく実現した、ということだ。どうやら、記憶が戻っても出不精なのは変わりないらしい。

 しかし、湯舟に沈む彼の姿は非常に満足げなものだが、そんな和沙にもこの湯治で一点だけ不満点があるとのこと。それは……


「意外と広いんですね。少し予想外でした」


 この、妹の存在である。


「はぁ……」

「私の顔を見た途端に溜息を吐く理由を聞かせてもらいましょうか?」


 笑みを浮かべ、ゆっくりと近づいてくる鈴音を横目に、再び湯舟に沈む和佐。ここは温泉で、少なくとも和佐の今の姿は一糸纏わぬものだ。となると、鈴音も同じ格好であるのは明白で、彼女もまた、白い白魚のような肌を外気に晒している。

 世の男であれば、その姿から目を離すのは至難の業であろう。女性であっても、その整ったプロポーションを羨む者は多いに違いない。

 しかしながら、和佐が彼女を見る目は、非常に苦々しげなものだった。


「なんでお前らは、俺が一人でのんびりしているところに水を刺しに来るんだよ……」

「何故って、ここは家族浴場ですよ。今の時間帯は私達の貸切です」

「だからって一緒に入る事は無いだろうし、そもそも一緒に来る必要も無いだろうに……」


 今回の和佐の湯治、当初は本人が一人で行くと頑なに主張したものの、結局こうしてお目付け役が付けられた。この事に、監視される側の和沙は無言の抗議を行ったが、そんなものはどこ吹く風。結局なすすべもなく、こうして二人旅が決まってしまった。


「おや、そんなに私と一緒の旅行が嫌でした?」

「一人だと思ったから話に乗ったんだ……。それをお前らときたら……」

「つれないですね。これも家族のスキンシップのようなものです。ほら、裸の付き合い、ってやつですよ」

「……されはお前、あいつ等から合宿の話を聞いたな?」

「はて、何のことでしょう」


 あからさまにシラを切った鈴音は、一度体を流すと、和佐とそう遠くない場所にゆっくりと入っていく。


「いいお湯ですねぇ……」

「……なぁ、少しは恥じらいってもんは無いのか?」

「何を言うかと思えば。兄妹ですよ? そんな事、気にする必要も無いでしょうに」

「ぐぬぅ……確かに、これ以上言うと、意識しているとも取られかねん。仕方ない、この場は温泉に免じて流してやろう。風呂だけにな」

「兄さんが冗談を口に出来るようになって、少し嬉しい気持ちもありますが、流石にそのジョークはどうかと思います」

「偶に言ってみるとこれだ! そう言うなら、少しくらい大目に見てくれてもいいじゃねぇか!?」

「凪さんのように物理攻撃でツッコむ事はしませんよ。ただ、すこ~し厳しく言うだけで」

「お前にとってそれは少しか? だいぶ俺の心にグサリと来たぞ?」

「でしたら、これを機にもう少し気の利いた事が言えるようにしましょう」


 随分と気楽に言うものだ。ただでさえ人とのコミュニケーションを積極的に行わない和沙に、気の利いた事を言えなどと、無理難題にも程があるだろう。

 苦々しげに鈴音を睨みつける和沙だが、当の本人が気にした様子は無く、ただゆったりと湯舟に身を預けている。


「それにしても……」


 ふと、鈴音が和佐を……正確にはその頭を見ながら呟く。


「前々から長いとは思ってましたが、こうして見ると、髪伸びましたね」

「ん? あぁ、そういやそうだな……」


 前髪を掴んでみる和佐。確かにその髪の長さ男性としてはかなり長い。これでは見た目が女性らしいと言われても反論は出来ない。


「その髪、何か意味が?」

「んにゃ、ただ切りに行く暇が無かっただけだ」

「あぁ、なるほど……」


 二百年前の当時、和佐が髪を切りに行く事すら出来ない程、温羅の襲撃が激しかった。なので、髪は伸びるがままにしていたのだが……


「よし、切るか」

「え、そんなあっさりと……。いいんですか?」

「言ったろ? 暇が無かったから切らなかっただけだ。別に伸ばす意味も無いしな」

「ですが……」


 何故か鈴音が随分と口惜しそうな様子を見せている。確かに、ここまで伸びた髪をそうあっさり切ってしまうにはもったいない、と思う気持ちも分からないではないが、本人が切りたいと言っている以上、それを防ぐ権利を鈴音は持たない。

 が、妥協案を引き出すくらいの事は出来る。


「そうですね、切るのは兄さんの意思に任せますが、その長さは私に任せてくれませんか?」

「は? なんでまた?」

「だって、もったいないじゃないですか。せっかくそこまで伸ばしたんですから、願掛けとして少しくらいは伸ばしたままでもいいと思うんです」

「願掛けって、何のだよ……」

「秘密です」


 人差し指を唇に当て、右目で軽くウインクをして見せる鈴音に、和佐はただ苦々しい表情を向けるだけだ。

 とはいえ、髪の長さに特に拘りの無い和沙としては、彼女の提案によって被る不利益も無い。なら、いっその事任せてしまうのか一番楽だと悟ったのか、和佐はおそらく了承の意であろう、ん、とだけ言うと、そのまま再び湯舟に深く浸かる。

 その様子を見た鈴音が、妙に楽しそうな様子で笑っているのを見て、和佐は早とちりをしたか、決まってしまった以上、覚悟するしかないだろう。

 二人の間に、ゆったりとした空気が流れる。この温泉の効果か、はたまた場がそうさせているのか。


「……」


 ここ最近は、鈴音もかなり忙しいらしく、巫女としての役目を果たすだけではなく、父親の手伝いにも積極的に関わっている。あまり深く関わると、後々面倒な事になる、とは和沙の口から出た鈴音への警告ではあるが、彼女自身がそれを望んでいる節がある為、和佐もあまり強くは言わなかった。


「そういえば」

「ん?」


 唐突に思い出したかのように、鈴音の口が開く。


「どうやら先の件をようやく本局が注目しだしたそうで」

「なんだ、やっとか。怠慢もここまでくれば哀れに思えるな」

「忙しい、とは聞いてますから、単に手を付ける暇が無かったのでしょう。まぁ、何がどう忙しいかは知りませんが」

「どうせいつものやつだろ。で? 本局に目を付けられた、って事か?」

「そうですね。今のところ、特にイチャモンを付けられている、とかは無いんですけど、ちょっと面倒な事になりそうです」

「一難去ってまた一難、か……。まったく、この時代に来てから退屈しないって言葉と縁遠くなった気がするな」

「暇で暇で仕方が無い、よりかはいいじゃないですか。どんな形であれ、刺激を受ける事は良い事ですよ」

「俺は暇な方がいいけどなぁ……」


 深い深いため息を吐く。確かに、波乱万丈な人生を送ってきた和沙にしてみれば、これ以上の波乱を望んではいないのだろう。しかしながら、その能力を見れば、そういった厄介事に真っ先に巻き込まれるのも事実だ。これに抵抗するならば、嵐が過ぎ去るまで身を隠すか、むしろ自分から飛び込んで被害を大きくし、関わってはいけないと思わせるしかない。

 何にしろ、対抗策の一つや二つは用意しておくべきだろう。


「まぁ、今すぐに、ではないので安心してください。早くても年が明けてからでしょう」

「年明け一発目から面倒事に巻き込まれるのか……」


 ウンザリとした様子を見せる和沙。今年あれだけ色々な騒動があったにも関わらず、来年もまた何かある、と言われればこうもなろう。むしろ逃げ出さないだけ大したものだ。


「佐曇と本局はあまり仲が良くないので、もしかするとかなり厄介な事を言われる可能性もありますが、その辺りは上手くやって下さい」

「丸投げかよ。せめてお前だけでも道連れに……」

「そんなに私がいいんですか? もう、兄さんったらぁ、シスコンもほどほどにしてくださいよ」

「……」


 もう、関わるのがめんどくさい。暗にそう言っているのが分かる表情をしている。もともと佐曇巫女隊に所属するメンバー全員が一癖も二癖もある者ばかりだ。朱に交われば赤くなる、とは言うが、これを環境に適応していると取ればいいのか、悪影響を受けたと考えればいいのか、和佐には分からなかった。




 ――同時刻、佐曇市。


 隣町の温泉で息子と娘が療養に行っている間、時彦は支部長室でモニターに表示された文面を睨んでいた。

 そこに書いてあるものはいたってシンプルなものだ。


『天至型と戦った者の経験は貴重な為、該当人物を本局にて教導研修を受けさせる』


 文面だけならば、天至型と戦ったメンバーの経験を後世に伝える為、教育者としての研修を受けさせる、というものだが、この内容には裏がある。


「……もっと何か付け足してくるかと思ったが、存外直球で来たか」


 この文面の内容に嘘は無い。あるとすれば、本局に行く、という行為そのものだ。

 つまるところ、この研修、別に未来の教育者を育てる為のものではなく、天至型を倒す程の優秀な巫女を本局に引き込む事が目的で行われるものだ。行われる、と言っても実際にこの研修を行う可能性自体が低い。おそらく、向こうに行った瞬間、あの手この手で篭絡しようと画策され、通じないと分かれば監禁される事もあるやもしれない。

 そういった理由から、この文面への返答に現在進行形で悩んでいた時彦。一応、これに対するプラン自体はあるものの、ようやくまともな体になりかけている息子を、またもや渦中に放り込むような事になりかねない為、そういう意味でも思案を続けていた。

 仕方が無かったとは言え、あれだけだまくらかし、挙句の果てには片腕を失わせるまでに至らせただけでなく、またこうして危険な目に合わせかねない事に付き合わせようとする。


「父親失格かねぇ……」


 むしろ、まだ父親と思われているかどうかすら怪しい。


「何にしろ、あの子ら次第か……」


 本局がなんと言って来ようと、最終的には本人達の意思に任せる。今の時彦に出来るのは、それくらいしかなかった。


「はぁ……」


 重々しい溜息が聞く者など誰一人としていない室内に響き渡る。二人にこの事を伝えなければいけない事を、今一度確認した事で気が滅入っているのだろう。果たして、和沙の口からは何が飛び出すのか。罵倒だけで済めばいい、と思うのは、未だ息子に対し後ろめたいと感じているからだろう。

 ……まさか、この時は罵倒で済めばいい、と思っていたが、実際に言われる言葉はもっと辛辣である事に、後に身に染みる時彦だった。

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