第111話 死闘の終焉

 戦線など、疾うに崩壊していた。


 それでもなお、彼女達が、凪達が生傷を増やそうと、泥に塗れようと、自身の血で赤く染まろうとも、ただ温羅と戦い続けていたのは、ひとえに和沙を信じていたからだろう。彼ならば、必ずやり遂げてくれる。この戦いを終わらせてくれる、と。成功確率など、考えている者は誰一人としていなかった。やらなければやられる。それを終わらせる為、たった一人で頑張っている和沙を迎える為、自分達はここで戦い続けるのだと。

 だからだろう、つい数秒前まで足並みを揃えて侵攻を行っていた温羅達の動きに乱れが生じ、やがてそれが大きく伝播し、温羅の侵攻そのものが止まった時、凪達の頭の中では、和佐がやり遂げた、と確信が芽生えていた。

 乱れは隙となる。この瞬間を好機ととった者達は、皆一斉に押し返した。

 一転攻勢、なんてものではない。数秒前まで攻められていた彼女達の頭には、何故か掃討戦、という言葉が浮かび上がるような一方的な戦闘になりつつあった。

 当然、大型や中型にはほとんど乱れは見られなかった。しかし、明らかに攻めてが弱まったところを見るに、大型や中型も黒鯨から何らかの指示を直接受けており、それが無くなった事で混乱しているのだろう。中には踵を返す者もいる。

 このチャンスをみすみす見逃す程、凪達は甘くない。一気に畳みかける人間側と、ある程度の抵抗は見せるものの、数が多いにも関わらず追い立てられる温羅、という奇妙な構図が出来上がっていた。


「凪さん! そっちはどうですか!?」

「問題無し、よ! 連中、追い立てられたら、蜘蛛の子が散る様に逃げてくわ!」

「あれ? 凪さん、蜘蛛大丈夫なんですか?」

「無理!!」

「ですよね、ちょっと安心しました」


 どうやら、他愛の無い話が混じる程度には余裕が出来た様子。とはいえ、一部の温羅は未だ強い抵抗の姿勢を見せている。油断は禁物だろう。

 中型を仕留めた日向が海上を見回している。敵を探している……のとは少し違うようだ。


「凪先輩! あれ!!」


 海上の様子を窺っていた日向が、唐突に空を指差す。その先には、尾の部分から徐々にその巨体が崩れていく姿を晒しつつある黒鯨がいた。もはや、自身の力で飛行すら出来ないのか、段々と高度が下がってきている。しかし、あの様子では海上にぶつかる前に完全に塵と化すだろう。

 その光景を目の当たりにした一同は、皆一様に歓喜の表情を浮かべている。一部を除いて、だが……


「鈴音! 和佐は!?」

「呼びかけてはいるのですが……」


 手にしたSIDからは、ただ無機質な呼び出し音が繰り返し鳴り響いている。しかし、どれだけ続けても、端末の向こう側からの応答は無い。こちらに戻ってくる為、端末に出られない、という可能性も浮上するが、そもそも黒鯨からの攻撃を自由落下でかわしながらも通信をするような人物だ。それはないだろう。

 であるならば、残された可能性はただ一つだけ。


「兄さん……」


 大きく崩れていく黒鯨を眺めながら、小さく呟いたその言葉に応える者は誰もいない。

 いくら瓦解しているとはいえ、未だ黒鯨の周囲には大量の温羅が纏わりついている。生きていたとしても、あれほどの激戦の後だ、生還するのは至難の業だろう。


「皆さん!! 悲観している場合ではありませんよ!! まだ温羅はいます!! まずはそちらを先に始末してからです!!」


 七瀬の言葉に、それまで空を見上げていた全員が改めて目の前で混乱極まっている温羅達に向き直る。確かに、今は帰って来るかどうかも分からない人物を待つよりも、目の前の脅威を排除する方が先だ。

 各々それが分かっているのだろう、即座に温羅の対処に入る。その切り替えが迅速だったおかげか、混乱した温羅達の数はみるみるうちに減少していく。

 やがて、後方で漏れた小型の対処を済ませた候補生達が合流し、そこからまた、温羅を駆逐する速度が上がる。

 そうこうしていくうちに、温羅の数ももう数えられる程度には狩りつくした。追い打ちをかけようと候補生達が何人か逸ったが、凪が冷静にそれを制止する。逃げた温羅を追いかける事も出来たが、そうなると今度は海上での戦いになる。ほとんど戦闘にならないだろうが、それでも疲弊しきった今の状態で海上戦をすれば、万が一もありうる。そう、判断した結果だった。

 空を見ると、もはや黒鯨は原型を留めていなかった。その巨体だ、完全に崩れ切るのに時間が掛かるのはここにいる誰もが分かっていた事だろう。その周りには、先程取り逃した温羅達が集まっている。まるで、葬式でもしているかのように……


「ん?」


 ふと、凪が何かを見つけたのか、目を細めて未だ崩れ行く黒鯨へと視線を向けている。その視線の先には、沈みゆく太陽の光を反射し、朱色の輝きを放つ何かは、その場で停滞しているわけではなく、ゆっくりと凪達から見て上方向へと少しづつ大きくなりながら動いている。


 いや、上ではない。正確に言うならば、凪達へと飛来する軌道を取っている。

 新手だろうか? こんな状態になりながらも、戦意を喪失していない温羅が、最後の特攻でもしようとしているのか。それに備え、各々が臨戦態勢をとるが……すぐに解いた。


 その理由はいたって簡単だ。

 その飛来物は温羅ではなく、一本の刀だったからだ。


 それを目にした瞬間、これまで悲壮感漂う表情を浮かべていた鈴音の顔が一気に明るくなる。

 長刀が凪達のすぐ傍に落ち、その場に突き刺さると、それから一拍もしないうちに蒼い光が長刀に向かって伸びた。そして……


「ぐぇあっ!?」


 ……


 流れる沈黙。


 おおよそ、人間の声とは思えないような鳴き声を絞り出しながら、砂地に突き刺さったその人物は、それからたっぷり数十秒その体勢を維持し、その後ようやく口にした言葉が……


「……たすけて」


 その言葉で我に返った鈴音が急いで地面に突き刺さったままの状態の和沙へと駆け寄る。数人がかりで引っ張り出された和沙は、崩れ行く黒鯨に向かって笑みを浮かべながらサムズダウンをしている。が、その上半身を目にしたその場の面々は、皆一様に息を呑んだ。


「どうだ見たか! ざまぁ見ろってんだ!!」

「兄、さん……その、腕……」

「ん? あぁ、少しばかり厄介な奴とやりあってな。奴さんの油断を誘う為に、な。ご丁寧に炭になるほど焼いてくれたもんだから、痛みは無いな」

「アンタ、そこまでして……」

「利き手じゃないんだから構わんだろ。それよりも、だ、戦況はどうなってる?」


 体の一部を失ったにもかかわらず、それについて一切気にしない和沙を嗜めようかとした凪だったが、諦めて現在の状況の説明に移る。


「見ての通りよ。アンタが頑張ってくれたおかげで温羅の軍勢も崩壊したわ。戦いはもう終わりよ」

「終わり、ね……」


 和佐が黒鯨の元へと集まっていく残りの温羅へと視線を向ける。その目には、どこか複雑な感情が入り混じっているようにも見える。


「なら、後は連中が完全に消えるまで監視するだけだ。ついでに、残った大型の一体か二体は減らしておきたいが……」

「冗談でしょ!? その体でこれ以上戦う事は私が許さないわよ!!」

「そりゃあ良かった。俺もこれ以上体が動かなくてなぁ……、後は頼んだぞ」

「え、ちょ!? 和佐!?」


 今の今まで追撃の意思を見せていた和沙だったが、想像以上にその体には疲労が溜まっていたようで、その場で崩れ落ちるようにして倒れてしまう。慌てて支えた凪だったが、ただ眠っているだけだと分かると、小さく安堵の息を吐く。


「……こんな体で、よく追撃なんて言えたものね。けどまぁ、よくやったわ。少し休みなさいな」


 凪のその言葉が和沙へと届いていたかどうかは分からない。しかし、もしも聞こえていたならこう言っただろう。やるべき事を果たしただけ、と。


「……さって、最後の一押しを終わらせますか」

「そう意気込まれても、後はただ見守るだけですよ?」

「気合ってのはあればあるだけいいもんよ!!」

「元気ですねぇ……」


 日向と鈴音が呆れた様子を見せるものの、呆れられた本人はどこ吹く風だ。

 

 黒鯨が完全に崩れ去り、最後の一体がその姿を消すまで見守っていた一同。夕日が沈み、夜の帳が落ちる事で、ようやくこの戦いの終幕を告げた。

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