第112話 全てが終わった後に……
「またここか……」
真っ白な病室の中、喧噪から離れたこの場所では、呟く程度の声でさえ十分に部屋中へ響き渡る。
ウンザリとした声を絞り出すようにして呟いたのは、最終決戦でも重傷を負い、絶対安静を告げられた和沙だった。簡素な貫頭衣に身を包み、白一色のベッドの上で口をへの字に曲げている。今の状況を招いたのは自分ではあるものの、もう少しでベッドに括りつけられそうになったとあらば、不機嫌になるのも仕方の無い事だろう。
……まぁ、前科がある分、あまり強くは言えないが。
「……」
チラリ、と自身の左腕へと目を向ける。いや、正確には左腕があった場所、だろうか。
そこは現在包帯で覆われている。医者が言うには、炭化している部分に関しては止血という意味でも、腐るという意味でも問題は無い、とのこと。しかしながら、再生治療といった高度な医療が発達した現代でも、ここまで酷いと再生させる事が不可能だ。
腕は治らない。そう聞いた時、意外にも和沙の反応はそこまでショックを受けている様子は見られなかった。むしろ、その反応は淡泊の一言に過ぎるくらいだ。
本人としては、体の一部を犠牲にしてでも役目を果たした事の方が大きかったのだろう。だからこそ、腕を失った事にも悲観的にならず、それすらも糧にして前に進む。……進んで、いるのだろうか?
何にしろ、本人は腕を失った事に関して、多少不便になった、程度にしか思っていないようだ。こうなると、周りが騒ぎ立てるのも野暮と言うものだろう。
「へーい少年!! 青春してるかー!!」
「あの、病院ですので、大声はどうかと……」
「おっと、そうだった。いやね、こういうキャラの方が気兼ねなくていいかな~、って」
「時と場所を選んでください。あ、和佐君、こんにちは」
「先輩こんにちは~」
「こ、こんにちは……」
「……なんとも姦しい」
部屋を支配していた静寂を打ち破ったのは、友人であり、戦友であり、後輩でもある巫女隊のメンバーだ。それぞれ手には見舞いの品だろうか、籠に入ったフルーツや、花を持っている。この辺りの常識はあるのに、何故病院では騒がないという常識が無いのだろうか。
「んで、調子はどうよ?」
「どう見える?」
「ん~……暇を持て余してる?」
「正解だ。八割がたな」
「絶対安静状態ですからね。外に行くことはおろか、トイレに行くにも付き添いが必要なのでは? 後者は前科のせいかと思われますが」
「……前科なんてあるんですか?」
「まぁ、ね。前にちょっとあったのよ」
「はぁ……?」
そこまで昔でもないだろうに、凪の昔は荒れていた、と言いたげな遠い目をしている。確かに、彼女らにとっては、ある意味黒歴史のようなものだろう。
「そういや、鈴音はいないんだな」
ふと、和佐は彼女達の中に妹の姿が無い事に気付く。鈴音とは、入院している間、ほぼ毎日見舞いに来ており、色々と込み入った話をしていた。単に兄妹としての話、だけではない。思い出せば、和佐の事を家族ぐるみ、仲間ぐるみで騙していた事に関しても、彼女とはちゃんとした話をしていなかった。その事も含めて、色々と話したのだろう。
そのおかげか、お互いの理解を深め、正しい兄妹として支え合う事を共に確約した。随分と儀礼的にも思われるだろうが、いかんせん和沙が未だ信じきれない、という事でそういった約束の交わし方になったのだ。多少事務的、儀礼的と言われても仕方が無い。
「鈴音ちゃんは支部長のお手伝いだそうですよ~」
「なんでも、今回の黒鯨討伐、支部としては多大な功績として本局に認識されているのですが、問題はどうやって倒したのか、そこまで戦力があったのに何故本局に援軍要請を行ったのか、で色々と揉めているそうです」
「そりゃあそうよね。単純な戦力で見れば大型を討伐するのもやっとな本局よりも下、そんな連中が大型どころか天至型を討伐したって言うんだから、問題にもなるわよ」
「そのうえ、和佐君の存在は未だ秘匿状態です。全て正直に報告するわけにはいきません。そこでどう誤魔化すかを、現在協議中とのことです」
「誤魔化す、ねぇ……」
本局の力が影響する組織は多い。そんな連中を敵に回さないように、上手く言葉をこねくり回して報告するつもりなのだろう。政治問題、というほど面倒なものではないが、それでも勢力争いに巻き込まれるのは本人としても不本意に違いはない。上手く誤魔化してくれる事を祈るばかりだ。
「一難去ってまた一難、か……。面倒毎ってのは次から次へと湧いて来るな。まぁ、その辺りはこちとら畑違いだ。専門の連中にやらせておきゃいいだろ」
「けど、鈴音さんが……」
「どうせ下手に首を突っ込んだだろ。あれはそういう奴だ。気が済むまでやらせとけ」
「先輩がそう言うなら……」
葵は納得がいっていないようだが、本人の意思で行っているのならば、彼女らが介入する道理はない。和沙が言う通り、放っておくしかないだろう。
「それよかアンタ、どうするつもりよ?」
「どうするって、何が?」
「巫女として、よ。その体じゃあ、今後まともに戦えないんじゃないの? 黒鯨を討伐したって言っても、残党はまだいるんだし、頻度が落ちるにしても、満足戦えないとなると辛いわよ?」
「俺を誰だと思ってるんだ? 隻腕だからって遅れはとらんさ。ぶっちゃけ片腕でもお前らよりかは戦えるぞ」
「頼もしいと取るべきか、無理をするなと叱るべきか困るところよね……。今はその言葉を信じるわ。けど、無理だと判断したら、即メンバーから外すからね」
「ぜひそうしてくれ。俺が無理をしていると感じた時、それと俺がもう必要無いと感じた時にな」
その言葉の意味に気付いたのかどうかは分からない。ただ、凪は黙って和沙を見つめた後、何も言わずに視線を逸らした。
一瞬、部屋の中に何とも言えない空気が満ちる。それを気にしたのかしていないのかは分からないが、普段と変わらない表情で七瀬が口を開いた。
「学校はどうするのですか? あまり休み過ぎると、授業に遅れますよ?」
「学校……学校……、行かなきゃダメか……?」
「駄目です。当たり前でしょう」
「でもな、ほら、やらにゃならん事は終わったわけじゃんか。俺に今必要なのは休息だと思うんだよ」
「ええ、ですから存分に療養してください。病院のベッドの上で」
「せめて自由をくれ……」
「学校がある時代に来る方が悪いんですよ」
項垂れる和沙を他所に、七瀬は日向や凪を巻き込んで好き勝手な事を言っている。しかしまぁ、それも含めて彼女達らしい、と言う事だろう。
ふと、窓から空を見上げる。その目の先には、今も昔も変わる事の無い青空がどこまでも広がっている。
同じ空の下、かつて果たせなかった役目を果たし、その余韻を今も胸の内に秘めながら、小さく呟いた。
「……なぁ母さん、俺は間違ってなかったよ」
「ん? 何か言った?」
「いいや。何にもないさ」
少女達に振り向いた顔には、かつての暗い表情はどこにも無い。
浮かべた小さな笑みは、彼女達がこれからどのような未来を歩むのか、ただそれを笑って見届けようと心に決めた、優しいものだった。
一章 終
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