第62話 新人到来 後

「……兄さん?」


 鈴音がそう声をかけた瞬間、付いていた頬杖から和佐の顔が落ちた。


「ふぐっ……!?」


 そして、そのまま机の上に顔を叩きつける。コントのようなその光景に、一同は唖然とするしかない。

 その状態でたっぷりと三十秒程経っただろうか? ようやく顔を上げた和佐の顔は、赤く跡が付いていた。


「兄さん、寝て……」

「寝てない」

「いや、今のはどう見ても、」

「寝てない!」


 誰がどう見ても寝ているようにしか見えなかったが、本人は寝ていないと強調している。


「目を閉じて瞑想してただけだ」

「いや、目閉じてませんでしたよ」

「……」

「語るに落ちたわね」


 久方振りに見る凪の意地の悪い笑顔が非常に眩しい。この表情を浮かべてこそ、彼女と言える。


「で、何だったっけ?」

「この男、何も無かったかのように……」


 無表情で路線を元に戻そうとするところは流石と言えるが、手が所在無さげにフラフラしているところを見るに、動揺はしているようだ。


「神戸さんは、男性が嫌い、というところです」

「あぁ、そう言えば、そんな事を言ってたな」


 思い出したかのように言っているが、本当に話を聞いていたのかも怪しい。未だに目が胡乱げなのも、その疑惑を加速させている。


「そ、そうです。私は男が嫌いなので、先輩とも仲良くする気はないです!」

「……」


 何やら随分とデジャビュを感じる光景だ。具体的に言うと、今から四ヶ月ほど前、春にもこんな事があったような気がする。

 和佐の視線が自然と七瀬に向けられる。しかしながら、当の彼女は和佐の視線から逃れるように、顔を背けてしまう。


「……」


 元凶が判明した。おそらく、なんらかのゲームの影響を受けて、葵にある事ない事吹き込んだのだろう。本人はある程度分別が付いているものの、葵の方はまだ幼く、現実と空想の区別が付いていないようだ。


「はぁ……、で? だから何?」

「え?」

「男が嫌いなのは分かった、だから何だ?」


 返ってきた言葉が予想外だったのか、葵の動きが固まる。


「え? えっと、その……」


 しどろもどろになりながら、自分の中で言葉を探しているようだが、上手い答えが見つからないのか、目泳いでいる。

 つまるところ、七瀬から話を聞いて影響を受けたものの、彼女自身には直接相手をどうこうしたくなるような経験は無いのだ。


「神戸さん、その辺で。和佐君も、あんまり新人を虐めないで頂戴」

「ふあ……」


 菫が諌めるものの、返事は無く、代わりに小さな欠伸が返ってくる。その様子に、菫は頭を抱えるが、今は彼に構っている余裕は無い。


「以上二名の合流を以て、本隊の再編を完了とします。何か質問は?」

「はい」

「水窪さん、何かしら?」

「合流するのは二人だけでしょうか?」

「この二人では不安、という事かしら?」

「流石にそこまで言うつもりはありません。ただ、最近の襲撃傾向を考えると、部隊を増やすべきだと思います。もしかしたら、先日のように再び大型が二体、という状況があるかもしれません」

「確かに、昨今の敵の襲来を考えれば、人手を増やすのは妥当だとは思うわ。けどね、残念ながら洸珠が足りていないのよ」

「やはりそこですか……」


 七瀬の疑問は最もであるが、菫は現在佐曇支部局が抱える問題を提起する。候補生の存在によって、人手は足りるだろうが、いかんせん物資が足りない。それも、一番重要な。

 一応、その事は七瀬の頭の中にも入ってはいたのだろう。その声色には落胆の色は見られない。


「……これはオフレコなんだけど、今現在防衛省の佐曇研究所が量産型の洸珠を開発中よ。性能は幾分か落ちるけども、それさえあれば、候補生の子達もそれなりの戦力になるわ。それまでは、このメンバーで頑張ってくれないかしら?」

「無い袖は振れない、という事ですか。承知あいました」

「理解が早くて助かるわ。他は無いかしら?」


 菫が一通り見渡すが、それ以上の質問は出なかった。


「なら、今日はここで解散よ。後は親睦会でも何でもやって、お互いの理解を深めておく事。あ、和佐君は少し話があるから残ってもらえるかしら?」

「??」


 菫のその言葉を皮切りに、席を立った面々が部屋から出て行く。そんな中、一人まだ席に座ったままの和佐を、鈴音が心配そうに見つめていたが、それに気づいた和佐が軽く手を払い、出て行くように促す。それに対し、鈴音は少し目を伏せたものの、すぐに顔を上げて部屋から出て行く。

 こうして応接室に残されたのは、和佐と菫の二人だけになった。


「……」


 相変わらず、和佐は自分から口を開こうとしない。一見すると、会話を拒絶しているようにも見える。だが、本心はどうなのだろうか。


「……体の方はどう?」

「悪くない……、そう思うんだが、医者がまだ寝てろってさ」

「貴方の担当医の腕は確かよ。言う事は聞いておきなさい」

「今更だと思うんだがな」

「どういう意味?」

「さぁ?」


 ここ最近、和佐はずっとこんな調子だ。何を聞いてもはぐらかされる。彼の様子の変化は一目瞭然だが、それについても自分からは話さないし、菫が問うても適当に流される。


「……何だよ」

「ここ最近の和沙君は様子がおかしい、って藤枝さんだけじゃなく、他のみんなも言っていたわ。プライベートの貴方の事を熟知している鈴音さんですら、ね」

「何が言いたい?」

「単純に、何か言う事があるんじゃないの、って事。最近の貴方の態度は目に余る。何がきっかけでそうなったのかは知らないけど、相談くらいはしてくれても良いと思うわ。少なくとも、何も言われないよりも貴方の事を理解出来るし、もしかしたら力になれるかもしれないわよ」


 職務だから、という理由だけではない。菫もまた、和佐を心配している人物の一人でもある。確かに、時彦の企てに乗り、例の一件まで和沙を騙し通していた事もあったが、その裏で生徒であり、また記憶を無くしながらも、何とか前に進もうとしていた和沙を応援していた一人でもあったのだ。

 そんな彼女の心境を知ってか知らずか、和佐の口から出た言葉は非情に辛辣なものだった。


「相談? してどうする。解決が出来なければ、結局は徒労に終わる。であれば、最初から口にしない方がマシだ。少なくとも、あんたにどうこう出来るような問題じゃあない」


 冷めた視線と共に発せられた言葉は、菫を閉口させるには十分な威力を持っていた。

 拒絶しているわけではない、相談する事に躊躇っていたわけではない。和佐が今まで話さなかったのは、ただ彼女達の力など不要だからだ。


「……珍しく藤枝さんが本気で怒ったとは聞いたけど、これは確かにそうなるわね」


 菫は一応分別の付いた大人だ。和佐の言葉に怒りを覚えたとしても、それを表に出すような事はしない。


「話す事で楽になる事もある、そう言っても貴方は喋らないのね?」

「言ったろ? 口にしたところで変わらないのは俺が一番分かってる。無駄な事を口にする暇があるなら、一体でも多く敵を殲滅する。それだけだ」

「なるほど、貴方の言い分は理解しました。だったら、私からはもう何も言わないわ。貴方には今まで以上の働きを期待します」

「安心しろ、役目は果たすさ」


 どこか諦めたような口調に、和佐は淡々とと答える。


「で? 話は終わり?」

「えぇ、もう結構よ」


 これ以上、自分から問う事は何も無い、と言いたげに手を振って出て行くように促す。それに大人しく従った和佐が部屋から出ようとした時、その背中に向かって小さく呟かれる。


「……未来の事じゃなくて、今を取ったのね。愚かな選択よ、それは」


 ピタリ、とその足が止まる。ゆっくりと、振り返った和佐の顔は、能面のように無表情だった。


「いかに苦楽を乗り越えようと、その果てにあるものは同じだ。どうせ同じ結末なら、人一人の抱えるモノなんて瑣末なもの。大局を見ろ、そしてその先に何があるのか、思い出せ《・・・・》。まぁ、だからと言って、変わらんモノは変わらんがな」


 それだけ言い放つと、和佐は音も立てずに部屋から出て行った。

 その後ろ姿を見ながら、菫はただ呟くしかなかった。


「……どういう事よ、それ」

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