第67話 一息ついて……

「はぁ、はぁ、はぁ……、う、おぇ……」

「吐くな吐くな。ゆっくりと息を吸ってから吐け。それを三回繰り返せ」


 疲労困憊になり、その場に蹲ってえずく凪を、和佐が介抱している。珍しく、少女のような仕草で崩れた彼女に、流石の和佐も罪悪感を感じているのか、少し気を使っているようにも見える。


「すぅ、はぁ……、よくも一人にしたわね」


 涙目且つ上目遣いで睨む凪から、和佐は目を逸らして誤魔化している。


「いやぁ、中型一体、それもそこまで強そうじゃなかったから、一人でもいけると思ったんだがなぁ……、まさか苦手意識が先行して、戦闘力が落ちるとは……」


 凪は確かに温羅を倒す事には成功した。が、苦手な虫、更に言うとその中でも見るだけで全身に怖気が走る多足類との対峙。これのせいかどうかは分からないが、普段と比べると、かなり苦戦していたようにも見えた。

 苦手な物を前にした時の彼女には期待しないでおこう、という決意と共に、今後は虫型の温羅が出た場合、自身が優先的に叩く事を決める。凪がダメとなると、他のメンバーも同様の可能性がある。


「まぁ、倒したからいいんじゃないか? ほら、一応いい経験にはなっただろ?」

「足がいっぱい付いた虫と戯れるのが経験になるんなら、そこら辺にいるちっちゃい奴でも良いじゃないの!! 何であんなにでかいのよぉ?!」

「どういう理論だ、そりゃあ……。何はともあれ、当初の予定の十分は過ぎた。あとは、向こうの様子だが……」


 現在、聞こえる範囲内で戦闘音は無い。ここから距離が離れているならともかく、当初の予定ではそこまで離れないように凪が指示していたので、距離自体はそこまで離れてないだろう。事実、凪が泣き喚きながら戦っている間も、ここから少し離れた場所から戦闘を行なっていると思われる音が聞こえていた。

 それが止んでいるということは、全滅したか、させたかのどちらかだ。

 新人二人を背負っているとはいえ、七瀬と日向は度重なる戦闘でかなり実力を付けている。今更中型程度に遅れを取る事は無いだろう。

 和佐が未だに泣き腫らした顔で睨みつけて来る凪を、困ったような表情で眺めていると、その後ろから聞き覚えのある声が耳に届く。


「申し訳ありません、少々梃子摺りました……どうしたんですか?」

「がずざに虐められたあああ!!」

「虐め……え?」


 さしもの七瀬も困惑した様子を隠しきれない。和佐と凪へ視線を行ったり来たりさせながら、状況を飲み込もうとするも、どちらも各々の反応をするだけで、説明をしてくれない。


「……とりあえず、説明、して頂けませんか?」

「うぅ……、ぐすっ」

「……はぁ。簡単な話だ。先に俺が三体始末した後に、残った一体に嗾しかけたんだよ」

「はぁ……、ん? 今、聞き捨てならない事を聞いた気が……まぁいいです。それで?」

「その残った一体がな……でかいヤスデだったんだ」

「あぁ、そういう事ですか……」


 ようやく合点がいったのか、どこか納得したような表情で凪を見る。

 それだけで理解する辺り、七瀬もそれを知っていたようで、深く追求はしなかった。


「先輩、克服する必要はありませんが、流石に戦闘力が下がる程腰が引けるのはどうか、と以前伝えましたよね」

「だって、だってぇ……。あんな大きいの無理よぉ……」

「和佐君も、大方先輩の経験と、あわよくば虫嫌いを克服させようと思ったのかもしれませんが、仮にも先輩は女の子ですよ! その辺りは配慮して下さい」

「あぁ、流石に今回は反省してる。やり過ぎたとは思ってるよ」

「であればいいのですが……」

「待って、待って! さらっと流したけど、仮って言ったわよね!? 私は女の子としては仮なのか!? このか弱い姿を見て、もう一度言ってみなさいよコノヤロー!」

「あ、復活した」


 どうやら先ほどの状態であっても、聞き捨てならない言葉には反応するらしい。いやしかし、これだけ見ると、仮にも、と言われても仕方の無い振る舞いである。少し前までは、それこそ年頃の少女っぽさが滲み出ていたのに、今では微塵も見当たらない。


「とにかく、だ、これで戦闘は終わりか? 他の三人は?」

「新人二人は、先程の先輩のようになっていましたので、少し休ませています。日向はその付き添いです」

「なるほど。なら撤収するとしよう」

「……」


 その言葉と共に、この場から離脱しようとする和沙だったが、背後から視線を感じ、そちらへと顔を向ける。


「……」


 何やら、凪が和沙を半目でジッと見ている。いや、睨んでいる、という表現の方がいいか。何か言いたそうな顔をしてはいるが、それを口に出す事は無い。


「何だ」


 和佐の言葉に疑問符は付いていない。問いかけているのではなく、止めろ、という意思表示である。その言葉を受け、変わらない表情で少しばかり迷うような仕草をしたが、やがて小さくため息を吐くと、視線を逸らした。


「……何でも無いわ」

「……?」


 フイと顔を背け、和佐に背を向けて先に行ってしまう。その行動に疑問を抱くしか出来ない和佐であったが、その答えが返ってくる事はない。仕方ない、といった表情で先に行った凪の後を追っていく。


「あ、お疲れ様です!」


 凪の後ろに付いて行くと、満身創痍状態の新人二人と日向が合流する。

 鈴音も葵も、かなり疲弊した様子が見受けられるが、その疲れ方は対照的だ。

 鈴音は武装と戦闘スタイルから、前に出る事が多いのだろう、かなり身体的な疲労が溜まっているように見える。反対に、葵はその特徴的な武装、パイルランチャーの性質上、後ろからの援護がメインなのだが、おそらく誤射を恐れたのと、一発一発を確実に当てる必要がある為、精神的に摩耗している。


「さて、二人共。初の実戦はどうだったかしら?」

「つ、疲れました……」

「……」


 鈴音は辛うじて返事が出来るものの、葵にはそれすら難しいようだ。先程から地面の一点を見つめてピクリとも動かない。


「……二人には休息が必要みたいね」

「そうですね。今はそっとしておきましょう」


 二人を介抱していた七瀬が立ち上がる。


「それじゃ、私は作戦終了の連絡して来るわ」

「お願いします」


 凪が報告の為、一人離れた場所へと向かう。その背中を和佐の視線が追っていたが、そこ目はすぐに鈴音の方へと向けられた。


「どうだった?」

「……かなり疲れました。兄さんや先輩方はいつもあんなのと戦ってるんですね……。候補生の中では成績が上の方でしたので、それなりに自信があったんですが……、それも打ち砕かれました」

「最初はそんなもんだろ。むしろ、初めっから上手く出来る方がおかしいんだ。お前はまだ先がある。ノンビリやればいいさ」

「……」


 予想外の言葉に、鈴音の表情が珍しいものになっている。あんぐりと開いた口が、その驚きの度合いを表しているのだろうか。


「なんだ、その顔は」

「いえ……、まさか労われるとは思わなかったので……。兄さんの事ですから、鼻で笑って、もっと上手くや、くらいは言われるのかと……」

「そこまで言うほど性格悪そうに見えるか……?」

「ここ最近の兄さんを見てたら、そう思って……」

「はぁ……、俺でも労う時は労うし、気を使う時は使う。一貫してこう、じゃなくて分別を付けている、と考えろ」

「は、はぁ……、すみません」

「全く、どいつもこいつも……」


 不満げに呟いく和佐を見て、思わず鈴音が口元を綻ばせる。それを見た和佐が、口をへの字にして、再び不満げな表情を作る。


「……流石は鴻川先輩。余裕があるんですね……」


 鈴音の隣に座り込んでいた葵が、脱力感に支配された体を何とか動かし、鈴音の方を見ている。

 姓で呼ばれたせいか、和佐も反応してしまうが、そもそも本隊に合流してから、葵が和佐に声を掛けてきた事は一度たりとも無かった。

 おそらくは避けられているのだろうが、接する必要の無い人間にいちいち構うほど、和佐は暇ではなかったのか、それに対し言及した事はない。


「あはは……、先輩や兄さんを見てると、私もまだまだだけど。だからこそ、頑張らなきゃいけないから」

「それを余裕って言うんじゃないですかね……」


 葵と話す鈴音の口調は、非常にフランクなものだ。学年は違うとは言え、同期である事は違いないので、いち早く打ち解けようと努力した結果がこれだ。候補生時代は、そこまで会話する仲でもなかったようだが、こうして共に本隊へ上がった以上、連携など普段の会話以上にコミュニケーションが必要になる。こうやって仲良くなる事は、非常に芳しい事だろう。


「それにしても、葵ちゃんの武器凄かったよね。こう、ズバーン、ドカーンってさ!」


 日向の語彙力は相変わらずのようだ。擬音を口で言うだけではなく、体全体で表現しようとするのが、実に彼女らしい。


「何という名前でしたっけ?」

「武器の種別ですか? パイルランチャーって説明されましたけど……」

「凪先輩のパイルバンカーの遠距離版ですね。おそらく、火力は今の巫女の中でも随一かと」

「一人、よく分からないのがいるけどね」

「ん? なんだ、何か用か?」


 凪の胡乱げな目が和佐を捉える。しかしながら、彼女の意図がイマイチ伝わっていない和佐は、疑問符を頭の上に浮かべるだけだ。


「おや先輩、報告の方はもうよろしいので?」

「問題無し、よ。該当区域からの温羅反応の消滅を確認……。みんな、お疲れ様。今日はこれで終わりよ」

「はぁ……、やっと帰れる……」

「ダメよ葵。気を抜いちゃあ。帰るまでが任務、ってね」

「そんなの、候補生時代に習ってませんよぉ……」

「先輩が訳の分からない事を言うのはいつもです。慣れて下さい」

「ちょっと七瀬! 言っとくけど、あんたがよく言う、変な言葉? ナントカ用語も全然意味分からないからね!」

「あぁいったものは、ニュアンスが伝わればそれでいいのです。意味まで伝わるとは思っていません」

「補足が付いた時点でニュアンスが伝わってないんですけどぉ!?」

「おや、それはうっかり」

「和沙ぁ! あの減らず口は止めなくていいの!?」

「さぁな。好きにさせとけ」

「味方がいない!!」


 戦いの緊張感から解き放たれた少女達が生来の姦しさをこんな場所で爆発させる。これもまた、新人二人の緊張を解きほぐすのが目的だとすれば、流石と言えるだろうが、いかんせん、普段の言動があれな為、そこまで深く考えているとは思えない。

 このやり取りは、一行に帰ってこない一同に痺れを切らした菫が連絡してくるまで続いた。もちろん、責任者である凪はこってりと絞られたそうな。

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