第71話 その心の内は

 一時間程作業を続け、一人、また一人と作業が終わっていく中、和佐と凪だけは未だに格闘を続けていた。

 時刻は既に夕方を回っている。途中、七瀬と日向が用事で抜けたのをきっかけに、鈴音と葵もこの場から離れていく。後の二人に関しては、和佐がいたところで無意味な為、先に帰らせただけなのだが、こうしてこの場に残ったのは和沙と凪の二人だけになった。

 しかしながら、途中からとはいえ、和佐が手伝いに入ったのはやはり大きかったらしく、当初の予定からはかなり遅れたが、それでも順調に作業は進んでいった。


「……」

「……」


 二人だけの部屋の中、どちらも一切口を開かず、ただ黙々と目の前の仕事を片付けていく。とはいえ、二人が沈黙している理由は全くの別物だ。凪は口を開くなと言われても開く性質であるし、他のメンバーがいたなら、そちらに絡む事もあっただろう。今口を閉じているのは、単に和沙にどう話題を振っていいのか迷っているだけである。逆に和沙は、目の前の仕事に集中する為に黙っており、手順の違いを指摘する為に口を開く事はあっても、それ以外で言葉を発する事は無い。

 非常に気まずさを感じる空間であったが、和佐が一切気にしていないような素振りを見せているせいか、凪がこの空気を壊す事は難しいと思われていた。


「そういえば、結局あんた、何がしたいわけ?」

「口じゃなくて手を動かせと言った」

「分かってるわよ! だから動かしてるじゃない! 別に雑談くらいいいでしょ、コミュニケーションは大事よ。ただでさえ、最近あんた人と話さないんだから」


 確かに、凪の言う事にも一理ある。更に言うと、最近和沙は他の人物、主に巫女隊以外の人間と会話する事が極端に少なくなっていた。ボランティア関連で人と話す時も、するのはせいぜい相槌を打つ程度。自分から話かけたり、話題を広げようとするところはほとんど、いや全く見られない。凪の言葉は、その事を危惧した発言でもあったのだろう。単純に、彼女がこの空気に耐えられなくなった、とも言えるが。


「……はぁ、分かったよ。で、何だったっけ?」

「それでいいのよ、それで。んで、最近色々とそっけなかったあんたが、こうして私の手伝いをしてくれるなんて、とういう風の吹き回しよ。明日は雹でも振るんじゃないの?」

「……俺は今、あんたの手伝いを買って出た事を非常に後悔している」

「そうやって話をずらさない。で? 何企んでるのよ?」

「企んでいる、とはまた随分な言い方じゃないか。俺は別に、特別善行を積んでいるわけでも、聖人君主の真似事をしている訳でもない。単に不甲斐ないチームメイトの手助けをしているだけだ」

「ねぇ、私そこまで言われる程ダメなの? 流石に泣きそうなんだけど」


 これほどの扱いを受け、流石の凪も抗議の意思を示すも、和佐はどこ吹く風だ。

 自身の扱いに関しては、後日別の機会を設け、その際に挽回するとして、今はそんな事を聞きたいわけでは無いだろう。


「で、結局どういう心境の変化があったのよ。憎まれ口を叩きながらも、面倒見がいい、ツンデレにでも目覚めたっていうの?」

「そっちは一向に無駄口が減らないな。いつでもどこでも口を開いて……、犬じゃないんだ、少しは黙るという事を覚えたらどうだ」

「だから、話を逸らすんじゃないの! ……こう言っちゃあれだけど、正直なところ迷ってるのよ、あんたをどう扱えばいいのかを」

「今まで通りじゃ不満か?」

「今まで通りに行くんなら、それはそれで問題無いわよ。でも、そうはいかないでしょ?」

「否定はしない」


 視線を上げず、手元に目線を向けながら答えた和沙の言葉は至極簡潔だ。彼自身も分かっている上での行動なのだろう。それが彼女達との不和、とまではいかないものの、困惑を招いているのは確かだ。


「だがまぁ、今のところは別段何か事を起こそうとしているわけじゃあない。俺はただ、必要だから手助けしているだけだ。その行為に、意義も価値も無ければ手なんざ貸さん」

「ふ~ん……」

「何が言いたい」

「随分と損得勘定が入り混じってる癖に、その割には人情的な事もしてるからさ、ちょっとおかしな話だな、って思っただけ」

「……思うところがあるだけだ。人間、完璧に合理的に動く事なんて不可能だ。少しくらいは感情的にもなるだろうさ」

「感情的に、ね……。あんたのそんな顔、ここ最近は全然見てないけど、本当に感情があるのかしら?」

「喜怒哀楽の表現くらいはしてる。……なんなら、一向に進んでいない作業に関して、小一時間程雷でも落としてみようか?」

「それだけは勘弁して!」


 和佐の目が、完全に動きを止めている手に向けられる。その視線から逃れるようにして、作業を再開する凪。和沙の場合、比喩表現ではなく、実際に雷を落としかねないだろう。


「はぁ……、いつになれば終わるのやら」

「もうちょっと、もうちょっとだから!」


 呆れた顔で頬杖を付いている和沙の手は、とっくに作業を止めている。しかしながら、凪のように雑談のおかげで止まったのではなく、既に和沙が手伝っていた分は終了しており、手持無沙汰の状態だ。だからと言って、凪が残している分を手伝う気は無いのか、彼女が作業している姿をジッと眺めている。

 凪の努力が実ったのか、彼女の前に完成品の山が出来るのにそう時間はかからなかった。ようやくノルマを達成した瞬間に、凪が後ろに倒れこみ、大の字になる。なかなか動かないところを見るに、疲労困憊で動けないといったところか。


「あ~……やっと終わったぁ……」

「ところどころ雑な部分もあるが……、まぁこんなものか」

「え゛、出来が悪かったら作り直させる気だったの!?」

「そこまでやらせるつもりはないさ。ただ、色々と口うるさく言う必要はあっただろうがな」

「……あんた、最近七瀬に似てきたんじゃない?」

「あそこまで堅物でも、無駄に濃いわけもないつもりはないぞ?」

「そこまで変わんないわよ。それより、仕事終わったんだから、帰らない? もうこんなところに缶詰はうんざりよ……」


 丸々半日、狭い部屋で作業を行っていたせいか、彼女の体は解放感を求めている。それは和沙とて同じだろう。凪にしてみれば、こういう細かい作業は神経をすり減らす。その余韻を一刻も早く消し去りたいのも分からない事も無い。


「それじゃ、終わった事を報告してくる。先輩もさっさと出る準備をしろ」

「はいはーい」


 しかし、これではどちらが年上なのか、本当に分からない。……和沙の年齢がはっきりしていない以上、どちらが上とも言い切れないが。

 凪が荷物を纏めて帰る準備を終えると、タイミング良く和沙が報告を終えて戻ってくる。


「それじゃ、帰りますか。お腹空いたから、どこか寄って行かない?」

「俺はさっさと家に帰りたいんだ。行くなら一人で行け」

「何よ連れないわねぇ。せっかくデートに誘ってるんだから、男らしくここはエスコートくらいしなさいよ」

「いつもは男らしくないだの、女みたいだのぬかす癖に、こんな時だけ男らしさを求めるな。あんたの食いっぷりを見てると、こっちは胸やけを起こすんだ。一人で行ってこい」

「え~、スキンシップは大事よ?」

「コミュニケーションならともかく、スキンシップは断る。シンプルな絡みからチョークスリーパーに派生するのはどこのどいつだ」

「それもまたコミュニケーションの一環よ!」

「はぁ……、疲れるから勘弁してくれ……」


 何を言っても今のストレスマッハな凪には通じない。むしろ、彼女を煽るだけだろう。流れに身を任せれば、それはそれで厄介な事になる。だからと言って、このまま放置は出来ない。いや、許してくれない。

 どうしたものか、そんな事を考えている和沙を他所に、凪が和沙の腕に自分の腕を絡ませ、そのまま引っ張りだした。凪の力は、和沙が知る中ではかなり強い方に入る。そんな人物に無防備なところを引っ張られれば、体勢も崩れるというもの。


「そんじゃ、しゅっぱーつ!」

「おい、引っ張るな」


 期せずして、同行する羽目になった和沙の事など知った事か、とでも言うように、凪はその腕を引っ張って行く。

 残念ながら和佐の安息は、彼女が傍にいる限り訪れないらしい。

 普通ならば、女性に密着されているその体勢は、世の男共が羨むものだろうが、まるで売られていく子牛のような表情で引きずられていく和沙の姿に、道行く人は同情の視線を向けていたそうな。

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