四十一話 変貌

 紅葉達が終結していた場所から樹の根本までは約三キロ程。存外距離は開いておらず、彼女達がその気になれば十分もかからない。だが、勘違いしてはいけない。直線距離で三キロは相当な距離だ。改めて、巫女達の身体能力が著しく強化されている事を自覚させてくれる。

 とはいえ、三キロも離れた場所から見上げても巨大極まりない樹であったが、近づけば近づく程その巨躯は圧倒感を増し、北欧の神話に語り継がれる世界樹とはこんなものではなかったのか、と思わせてくれる程だ。


「距離的にはあと二百メートル程だ」


 樹に近づいてきた一同は、ここに来るまでに何度か温羅を蹴散らしたが、そのどれもが小型、もしくは中型レベルでしかなかった。彼女達にしてみれば、まさしく鎧袖一触と言えるものだったが、ここに来て強い圧力を感じ始めていた。


「……!! 紅葉ちゃん、あそこ!!」

「!? 全員、止まれ!!」


 彼女達は、既に目と鼻の先に樹がある場所まで近づいていた。そして、そこから百メートル程離れた場所で停止し、樹の根本にあるに目をとられる。

 巨大な蕾だ。

 毒々しさを感じさせる赤い蕾の周りには、それを支えるかのように複数枚の巨大な葉が並んでいる。かつてどこかの密林に生息していたラフレシア、という巨大な花を思い出させるが、あの蕾の大きさはそれとはまるで比較にならないものだ。

 蕾は、いくつもあるわけでは無く、少なくとも彼女達がいる位置から確認出来るものは一つしかない。だが、一つしか無いのが逆に不気味さを際立たせている。


「……」


 紅葉がハンドサインを送る。油断するな、と注意して進め、だ。今更温羅に聞かれた程度では大した問題にはならないが、一番の問題はあの蕾が何に反応するかが分からない、というところだ。

 普段は真っ先に突撃していく瑠璃も、今回ばかりはその異様さに慎重にならざるを得ないらしく、ゆっくりと紅葉の後に続く。

 距離にして五十メートルほど近づいただろうか。突然、蕾が大きく跳ね上がる。その様子に、警戒心を最大まで引き上げる一同。ゆっくりと開いていく蕾に、今にも攻撃を仕掛けそうな瑠璃を抑え、紅葉が真正面に立つ。そして……


「随分、遅かったじゃない……」


 蕾の中から出てきたのは智里だった。いや、正確には、と表現すべきか。彼女は腰から下の下半身が花に埋まり、上半身は人の形を保ってはいるが色が温羅と同様の黒い肌に赤と青の亀裂が走るものと化していた。通常の温羅と比べれば幾分から色は薄く、まだ人間と分かる程度ではあるが、それでも異形には変わりない。


「なん……それは……」


 絶句。もはやそれしか無いだろう。紅葉や睦月は当然の事、無表情がデフォの千鳥でさえ驚愕の表情を浮かべている。瑠璃に至っては、驚きはしていないが嫌悪感を露わにしていた。


「……目的を果たす為ならなんだってする。それはあんた達も同じ事じゃない? 祭祀局、ひいてはそこにいる人間達に復讐する為、私は温羅になる事を選んだ!!」


 そう、彼女が吼えると、まるで控えていたかのように地面から何かが飛び出してくる。


「人間でなくとも、天至型温羅の力を使えば可能。なら、私はそれを選ぶ! 人を捨てでも、果たすべき復讐を……、父と母の無念を晴らす!!」


 地面から飛び出してきたのは、樹で出来た龍の首だ。一対の樹の龍が智里を挟んでゆらゆらと揺れ動いている。


「これは……マズイな」


 紅葉が小さく呟く。誰が見てもそう思うだろう。まだ呟くだけの余裕がある、とも取れるが、人間本当に余裕が無くなると、うっかりと本心を口から吐露してしまうものだ。今の彼女も似たような状態なのだろう。


「どうするの紅葉ちゃん?」

「どうするもこうするもない。あぁなった以上、確保は不可能だ。樹の伐採までに彼女を討伐する」

「討伐って……、織枝様は彼女を……」

「分かっている! だが、人を捨ててまで祭祀局に復讐しようとする彼女をこのまま無事に捕らえる事が出来ると思うか!? ……多少の犠牲は覚悟している。だが、出来れば味方側には出したくないというのが本音だ。本当に必要なのであれば、彼女になってもらう」


 誰でも身内が傷つくのを見る事など嫌だろう。それは紅葉とて例外ではない。味方の誰かを犠牲にしてでも彼女の捕縛を優先するのであれば、そもそも捕縛なんてする気は無い。智里とて、自らの命に対して覚悟してきているのだ。ここで死んだとて、それは彼女が弱かったという事に過ぎない。


「……ただでさえ櫨谷が負傷し、戦線から離脱している今、我々の戦闘力は少なからず落ちている。そんな状態であの少女を捕縛する事など、出来ようはずも無い。ならば、やるべき事は一つ」

「まずは彼女という戦闘力を沈黙させる必要がある……」

「そういう事だ」


 大剣を強く握りしめ、紅葉が前のめりになる。もはや警告すら投げる事は無い。紅葉にとって、目の前の智里はまごう事無い敵性存在だ。倒す以外の選択肢など、彼女の頭の中には無かった。


「総員、戦闘配置! これより吉川智里の排除を行う!!」


 未だ納得のいっていない睦月を除き、既にこの場にいる者達は皆、戦意に満ち満ちていた。首をもたげる二体の龍と、その間に挟まれた智里を前に、一歩も退かない強い意思を感じさせる彼女達は、武器を握るその手に力を籠める。


 そして、最後の戦いが始まる。




 先に動いたのはやはりというか、瑠璃だった。一拍遅れ、彼女の後を千鳥が続く。先ほど神流にやられたとは思えない速度で駆けていく瑠璃を排除すべく、二頭の龍が襲い掛かる。


「当たるわけないじゃん」


 が、その小柄さと速度で大振りな攻撃を易々と避けた瑠璃は、そのまま一直線に智里へと向かって行く。と、その時……


「……瑠璃ちゃん、後ろ!!」


 珍しく千鳥が声を上げる。彼女の声に反応し、瑠璃がすぐさまその場からほぼ直角に曲がり、背後から襲い掛かる攻撃を避けた。一瞬前まで瑠璃の身体があった場所を通り抜けたその攻撃は、樹の幹へと命中し、その表面を大きく抉る。傷ついた幹はすぐに再生に入ったが、あの攻撃が命中していたのが瑠璃であれば、おそらく一瞬で肉片と化していただろう。

 振り向くと、龍の口からは夥しい量の水が垂れている。先ほどの攻撃はあの龍のブレス、といったところか。近代的に言えば、いわゆるウォーターカッターと呼ばれるものだが、一度の水の放出量と、その太さはどう見てもカッターとは言えないものだ。

 龍を背にしていると背後から攻撃が来る事が分かった以上、あの二頭に背中を向けるわけにはいかない。瑠璃は龍と智里の間に挟まれる形で立ちすくむ事になったが、当然智里がそれを見逃すはずが無い。

 彼女は自身の背後から一本の管を取り出すと、その口を瑠璃へと向ける。次の瞬間、その口から出てくる大量の水を瑠璃は龍の動きを見ながら避けていく。大量とは言ったが、量自体はそこまででもない。また、勢いも先ほどのジェット噴射を見れば大したことは無い。が、問題はそこでは無い。

 水が地面に触れると同時に形容のし難い音を立て、煙を立ち昇らせている。そして、水がかかった場所が少しずつではあるが、面積が小さくなっていっているのが分かる。

 溶液だ。量と勢いは無くとも、触れただけでアウトになり得る。

 当然、次から次へとかけられるわけだが、黙って見ている程瑠璃も呑気では無い。避ける事に集中しながらも、攻撃の隙を伺い続けている。

 しかし、彼女は避ける事と攻撃に神経を使い過ぎたのか、足元に関しては一切目を向けていなかった。故に、溶けた地面に足をとられ、その場で大きく体勢を崩してしまう。


「しまっ!?」


 それを好機と見た智里がこれまで以上の範囲をカバーする溶液の網を噴射した。それを受ければまず瑠璃が助かる事は無い。そんな量だ。しかし……


「一人で突っ込むな、毎回言っているだろう!」


 瑠璃が溶液に覆われる事は無かった。彼女の目の前に、大剣を盾のように構えた紅葉が立っていたからだ。

 彼女達にかかるであろう溶液は全て紅葉の大剣が受け止めていた。だが、流石は対温羅よう兵装と言うべきか、多少欠けはしたものの、溶液によるダメージはほとんどない。過去にもどうようの攻撃を使用する敵がいたのかもしれないが、この際それはどうでもいいだろう。


「龍を抑えるのは難しいが、隙を作る事自体は簡単だ。あまり先走るなよ」


 そう言いながら、紅葉は大剣を肩に担ぎながら走る。智里目掛けて。智里がくい、と手を動かすと、睦月達の相手をしていた龍が向き直り、紅葉へと向かってくる。このままだと、せっかくここまで近づいたにも関わらず、再び背後からの強襲に怯える事になる。そう、思った時だった。


「させません!!」


 宙から躍りかかる一つの影。その小柄な影は、逆手に得物を持ち、龍の目目掛けて刀を振り下ろす……いや、突き抜いた。


『――――――』


 木製の龍でも痛みはあるのだろうか。ピンポイントに目を貫かれ、のたうちまわる龍の目に取り付き続け、鈴音は手に持った刀の柄を前後左右に動かしている。突き刺した後に更に抉るようにして奥へと刺し直しているようだ。かなりグロテスクな絵にはなっているが、血が出ない以上一定以上の年齢指定には引っかかるまい。

 龍の片方を抑えている今のうちに、と紅葉が智里へ肉薄する。そして、あと十メートル、といったところまで接近するも、何かを感じ取った紅葉が急停止し、そのまま後ろに飛び退る。すると、次の瞬間、智里への進路を塞ぐかのように複数の木の根が地面から突き出てくる。その先は鋭利な穂先のようになっており、あのまま進んでいれば紅葉の身体は串刺しにされていただろう。食らう直前に避ける事が出来たのは勘か、それとも他の何かか。


「……随分と勘のいい」

「あそこまで簡単に近づけたんだ。何かあると考えるのが道理だろう」


 余裕を見せるも、実際のところ近距離に対する対処方法がある時点で紅葉の手には負えない。瑠璃程の速度は無く、また明レベルの火力も無い彼女では、あの防御を突破する事も破壊する事も難しいだろう。ならば、と距離をとったと思いきや、再び前へと突進する。


「同じ事を……、そこまで串刺しにされたいのかぁ!!」


 やはり、先ほどと同じく紅葉の眼前に突き出てくる根。直前ではこれを後ろに飛ぶ事で避けていたが、今回は違う。横に動き、ピンポイントに突き出てくるそれを避け、更に距離を縮めようとする。が、それが許されるほど甘くは無い。ピンポイントで狙ってくる根の向こうには、智里を守るかのような壁と化した根がずらりと並んでいる。正面からの攻撃には完全対応、といった様子だ。


「……」


 完全に攻撃の芽を摘まれ、後は延々と智里の繰り出す根を避けるだけの作業になりつつある紅葉だが、何故か彼女の目は依然目の前の敵をにらみ続けている。攻撃は届かない、かといって壁を破壊する余裕も無い、にも関わらず、その目は未だ戦意を宿し続けている。


 ――そもそも、紅葉自身は智里に肉薄し、一撃を入れる、なんて考えは無い。


 彼女はただ、接近するまでの時間が稼げればそれでよかったのだ。

 キン、と無機質な金属音が智里の背後から聞こえた気がした。刹那、智里は理解する。先ほどまで、確かに紅葉は彼女へと攻撃を行う事に集中していた。いや、ように見えたと言った方が正確か。だが、本来の目的は別にあった。それは単純明快。自身を囮にして、智里の意識を釘付けにし、確実な一撃を与える事。

 目の前で戦った彼女じゃなくても分かるだろう。紅葉の機動力では、地上を封鎖する智里の攻撃をかいくぐるのは困難だ。ある程度無理をすれば可能ではあるだろうが、その無理が祟って攻撃に影響が出ないはずが無い。

 先刻、瑠璃は言った。囮になる事も、紅葉の仕事である、と。

 そう、最初から彼女は一撃を与える事なんて考えていなかった。単純にに過ぎなかったのだ。そして今、その労力は報われる事になる。


「ッ!?」


 智里が振り向く。そこには、彼女が背にしていた樹の幹に足を付き、低く構える瑠璃の姿があった。先ほどの金属音は、その手で鯉口を切った音だったのだ。

 刹那、銀色の一閃が走る。一瞬で智里の目の前まで接近した瑠璃の手が、その首を落とさんとばかりに横に振りぬかれた――

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