四十話 声

「……あっちは大丈夫か。いや、大丈夫ではないだろうが」


 紅葉は和沙と神流の戦いに混ざる事をせず、一人残って気を失った後輩二人の介抱を行っていた。

 幸いにも、瑠璃と千鳥の身体に目立った外傷は無く、また骨が折れている様子も無い。壁に叩きつけられた衝撃で気絶しただけのようだ。御装の防御力に感謝すべきだろう。

 とはいえ、身体内部にダメージは確実に届いているので、後々検査はするべきだ。後々、ではあるが。


「問題は……」


 瑠璃と千鳥に関しては解決した。神流に関しても和沙げ現在進行形で相手をしているお陰で気にする必要は無い。一度目は負けたが、二度目は引き分けにまでもっていっている。なら、三度目は勝利するに違いない。と、そう信じる他無いだろう。

 問題は、残った智里の行方だ。

 ここまで彼女の姿を一度たりとも目にしていない。彼女は一体どこで何をしているのか。前線に出て来ていない、という事は後方で指揮をしている可能性もあるが、それにしては前に出てきている温羅の質はそれほど良くは無い。もしも彼女が統率し、指令を出しているのならもっと群体として最適な動きをするはずだ。それが見られない以上、温羅の行動に彼女が関わっているとは思えない。


「という事は、敵は完全に独立している……?」


 可能性としては無いわけでは無い。が、それならば神流がわざわざ出張って来る必要は無い。

 ふと思い返すと、神流は紅葉達を足止めする目的で出てきたと言っていた。それはつまり、時間稼ぎをしなければいけない何かがあるという事だ。その時間稼ぎを要する何かに智里が関わっている可能性もある。

 智里が紅葉によって、その状況に追い込まれた、もしくは放り込まれたと考えるのが現状一番考えやすいが、彼女の性格を見るに、そんな事をやってのける程腹黒い人物でもない。となると、智里本人がこういう状況になる事を望んだ、という事か。

 そんな風に考えていると、端末から急にノイズのようなものが聞こえ始めた。


『……こえる? ……はちゃん!?』

「……筑紫ヶ丘か?」


 どうやら先ほどまでの通信妨害が無くなった様子。何が原因なのかは最後まで分からずじまいだったが、凡そ神流が何かしらの方法で妨害していたのだろう。和沙が相手をしている今、通信が復旧しているのがその証と言える。


「どうした?」

『……繋がった!? よかった、さっきまで何度も呼びかけてたんだけど、全然反応が無くて……』

「通信妨害を受けていたらしい。主要の温羅を軒並み片付け、鴻川兄が例の二人組の片割れとやり合っている」

『片割れ……? それってどっちの話?』

「奴が母親だと呼んでいた方だ。もう片方はまだ姿を見せていない。……どう思う?」

『う~ん……』


 端末の向こう側で唸りながら睦月が考え込んでいる。本人じゃない以上、睦月であっても智里の考えが分かるわけでは無い。その辺りは神流に聞く方が早いのだが、いかんせん現在和沙と絶賛親子喧嘩中だ。

 ……少々物騒な喧嘩ではあるが。


『一先ずこっちは片付いたから、守護隊の子達だけ残してそっちに合流しようと思うんだけど大丈夫?』

「出来るならそうしてもらえると助かる。こちらの戦力は守護隊を除くと現在戦えるのが私だけだ。戦力的には非常に心許ないからな」

『……え?』


 一瞬間を置いた後、驚いたような声が聞こえる。無理も無い。こちらに集中している戦力は、あちらに和沙を振り分ける際にバランスをとる為隊の中でもかなり戦闘力に特化した者を集めている。故に、そんな彼女達が紅葉を残して全員戦闘不能となった事に驚きを隠せなかったのだろう。


「櫨谷は負傷、灘と樫野は大きな怪我こそ無いが、今はまだ戦えない。出来れば早めに合流して欲しいんだが……」

『……分かった、すぐに行くから、それまでそこから動かないでね』

「善処しよう」


 紅葉が返すよりも早く通信が切れる。おそらくではあるが、尋常ではない事態だと思われたのだろう。行動が早いのは結構だが、あちらの状況は問題無いのだろうか。


「まぁ、すぐに行動に移せるだけ余裕があると考えれば……!?」


 突然、空に響き渡る何らかの音、いや、これは声だろうか? それが樹を中心として、まるで放射状に響き渡っていく。

 不快な音、といったものではない。以前戦った温羅の音響兵器とはまた異なるものだ。しかし、この声を聞いた瞬間、紅葉の前身が泡立った。


「マズイ……」


 何がマズイのかは説明が出来ない。出来ないのだが、この声の主は少なくともこれまで相手にしてきた温羅達が全て可愛らしく思えるような存在である事が分かってしまう。

 直接目にしたわけでは無い。だが、これは人としての本能だ。この声を耳にした瞬間、全身に警鐘が響き渡った。この声の主は危険だ、と。相手にすればほぼ百パーセント生き残る事は出来ない、と。

 しかし、その本能が鳴らす警鐘と共に、ようやく紅葉は智里の目的が分かった。分かってしまった。

 彼女が以前言っていた奥の手、おそらく、これがなのだ。それを戦線に投入する為、戦える状態にする為に神流は時間稼ぎをしていた。つまり、彼女の目論見は成功したという事になる。

 まるで山彦のように反響していた声だったが、やがてそれは空へと消え、先ほどのように再び辺りは温羅達の声で埋め尽くされる。しかし、こちら側、人間側の敵を見る目が変わったのは誰の目にも明らかだった。


「……技術班、装置の起動にはあとどれだけかかる?」


 通信が復旧した以上、こうして連絡を取る事も困難ではなくなった。しかし、紅葉の声はどこか震えており、その言葉だけで彼らは尋常ではない事態だという事を理解する。


『和田宮隊長!? さっきの声は一体……』

「いいから、あとどれどれだけ時間をかければ装置を起動させられる!!」

『っ!? そ、装置の起動は既に完了しています。後は他の装置とのリンク待ちとなりますが、そちらからの連絡がまだ無いので……』

「急いでくれ。場合によっては、作戦全体を変える必要が出てくるかもしれない」

『しょ、承知しました!!』


 高圧的だとは思うが、この現状ではそうなっても仕方が無い。敵がどのような状態であれ、あの樹を切ればどのみち祭祀局側の勝利となる。だが、切れなければこれから出てくる敵に殲滅させられる可能性すら出てくるのだ。なんとしてでもそれだけは避けなければならない。


「ん……ん~……」


 紅葉が一人で考え込んでいると、ようやく瑠璃と千鳥が目を覚ました。かなり長い間目を覚まさなかったように思えるが、実際のところは和沙が駆けつけてから十分も経っていない。彼もまた、今現在神流にかかり切りのようで、少し離れたところから轟音のような音が継続的に聞こえてきている。あの二人には声が聞こえていたのだろうか? 親子喧嘩に夢中になり過ぎて、耳に届いていない可能性はあるが。


「……紅葉ちゃん、おはよぉ……」


 気絶していた割には、随分と呑気な起床に思わず紅葉は頭を抱える。とはいえ、現状戦える人間が少ない以上、二人が目を覚ましたのは僥倖と言えるだろう。戦力に関しては問題無いはずだ。


「……申し訳ありません、気を失って……痛っ」


 瑠璃とは違い、千鳥には幾分かのダメージが残っているようだ。むしろ、同じだけの威力を受けて何故瑠璃は無傷なのかが分からない。いや、無傷では無いのかもしれないが、それにしたら鈍すぎるだろう。


「無理をするな。現状急ぐ必要などは無いが、厄介な事態になりかけている。それに備えて今は休んでいろ。もうしばらくすれば、筑紫ヶ丘達も合流する」

「あれ? あの人は?」

「あの人?」

「鴻川先輩のお母さん」

「……奴は今鴻川兄が相手をしている。さっきやられたからと言って近づくなよ? あれはもう我々がどうこう出来る次元を超えている。手を出せば巻き込まれるどころか鴻川兄の足を引っ張る事になりかねない」

「むぅ……」


 不満そうな瑠璃だが、実際その通りであるだけに反論する事が出来ない。千鳥とのコンビネーションでさえ、ああも簡単にいなされたのだ。自分が神流に届くビジョンは浮かぶまい。


「……御巫神流の相手を鴻川さんのお兄さんがしているのは分かりました。……ですが、そうだとするなら、厄介な事態とは?」


 紅葉は口を開かない。だが、その目はしっかりと樹の方角へと向けられている。瑠璃と千鳥もまた、彼女の視線につられ、そちらへと目を向けるも、依然切られる事も叶わず鎮座する大樹がそこにあるだけだ。だが、うっすらとではあるが彼女達も感じていた。あの樹に何かがいる、と。

 とはいえ、それが何なのか、ここにいたところで分かりはしない。可能ならば、あの樹の根本まで行き、その正体を確認するのが一番だが、忘れてはいけない。彼女達の勝利条件はあの樹を切る事であり、その何かを確認する事ではない。

 だが、もしも、もしもその何かに智里が関わっているのであれば、織枝から言われているように彼女を確保する為に戦う必要が出てくる。和沙がいない今、彼女達がどこまで出来るのかは分からない。


「……とりあえず、筑紫ヶ丘を待つか」

「……それがいいと思います」


 まずは睦月達と合流するのが先決だと判断し、ひとまず例の声の事は頭から消し去った紅葉だった。




「ごめん、遅くなった!」


 ほんの数分後の事だった。紫音と鈴音を連れた睦月が息を荒げながら、紅葉達に合流する。それに対し、紅葉は遅いともなんとも言わない。ただジッと樹の方を見ている。


「和沙君は?」


 先に向かったはずの和沙の姿が無い事に気付き、辺りを見回す睦月。そんな彼女の肩を突き、ある方角へと視線を向ける千鳥。


「向こうみたいですね。例の女性と戦闘中、といったところでしょうか?」

「そうだ。灘と樫野が気を失った直後に合流してな。しかし、お前達と通信してからそれなりに時間が経っているのに、アイツは一瞬でここまで来たのか……。一体、どうやればそんな事が出来るんだ?」

「和田宮さん、兄さんからお守りを受け取ってましたよね?」

「あぁ、灘にひったくられたやつか?」


 そう言いながら思い出すのは小さなお守り。ただし、よく見れば分かるが、通常ならば金運上昇やら安産祈願やらの場所に何も書かれていない。この見た目では、お守りの効果など分かったものではない。


「それ、お守りのように見せていますが、おそらく兄さんが高速移動する際に着地点にするアンカーだと思います。それを目印に、例の雷を纏った移動法で飛ぶんですけど、そのお守りのすぐ近くにポイントを指定して、そこに飛んできた……だからあれだけ駆け付けるのが速かったのかと」

「……お前の兄は底知れないな」

「案外底は浅いですよ。ただ、曲がりくねって読みづらいだけで」


 多少の皮肉を交え、鈴音がそう説明すると、意外にも紅葉は簡単に納得してくれた。いや、それもそのはず、彼女は和沙の自身の刀を使った高速移動を目の当たりにしている。それの対象がお守りになっただけで、そこまで大きな差は無いのだろう。そう、考えたようだ。


「それで? どうするの?」

「装置の方は今現在技術班が急ピッチで進めている。が、私はどうにもあの声が気になる」

「声……、さっき樹から聞こえてきたあれよね? あれのせいで守護隊の子達の身体が止まっちゃったんだけど、向こうさんも同じみたいね。戦ってたはずの温羅が、軒並み手を止めて樹の方を向いてたわ」

「奴らにとっても想定外、という事か? もしくは、何か別の意味でもあるのだろうか……?」

「何にせよ、確認しに行く、って言うなら私は反対しない。このまま待ってても、私達に出来る事なんてたかが知れてるし、樹を倒したからといって敵が完全に消滅すると決まったわけじゃない。もしも強力な敵が現れているというのなら、確認するだけなら吝かじゃないわよ」


 睦月の言葉に賛成するように、隣にいた鈴音が頷く。二人の背後にいる紫音は、元より選択する気なんて無いとでも言うかのように肩を竦めている。


「ならば改めて巫女隊メンバーに指令を下す。黄昏の皇樹に接近し、例の声の正体を探る、これが我々の新たな任務だ。各員、気を抜くな!」


 返事は帰ってこない。だが、一同が力強く頷いた。

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