第74話 根底 後

 そう、初段は空振りに終わった。


 既に和佐のノーガード部分へ狙いを定めていた片倉にとって、その一撃は完全に予想外のものだった。

 袈裟に振り下ろされた木刀が、途中で真横に軌道を変化させ、視界外且つ想定外の胴にクリーンヒットした。


「がっ……!?」


 次の攻撃の事しか考えていなかった片倉は、この一撃をまともに受け、そのまま横に数歩よろめき、その場で蹲った。

 木刀を振り切った和佐は、その場で構えを解く。しかし、その目は真っ直ぐ片倉を睨みつけていた。


「……剣の軌道をほぼ直角に曲げてくるとはなぁ。我流だからこそなせる技か」


 片倉が、そう呟きながら立ち上がる。しかし、先程のダメージが相当大きいのか、脇腹を押さえている手が離れない。


「だからこそ、やりがいがある」


 それでも、戦闘を続行しようとする辺り、流石と言うべきか。右手だけで木刀を構えるその姿から、戦意は衰えていない。


「いえ、そこまでです」


 だが、そこで宗久による試合終了が告げられる。


「おいおい、待ってくれよ。俺ぁまだやれるぜ」

「片倉様の怪我もそうですが、これ以上の和佐様との立ち合いは遠慮していただきます」

「あん? 何でだ?」

「……和佐様の剣に殺気が籠められ始めたからです。これ以上は怪我だけでは済まない可能性がございます」


 宗久は、そう言いながら和佐を見る。始める前と比べると、今の和佐は落ち着いている。しかし、片倉が試合が進むに連れ、ヒートアップしていた事を考えると、むしろ和佐の状態は異常と言えるだろう。

 静かに片倉を見据える目には、一切の感情が籠っていない。しかし、先程の攻撃、あれには敵を確実に仕留めようとする確かな殺気が籠っていた。恐らく、宗久はそれを問題視しているのだろう。


「殺気ねぇ……」


 片倉が自身の脇腹へと視線を向ける。胴着の上からでは分からないが、その下には、確実にダメージの跡が見て取れるだろう。痛みも決して弱くないらしく、少し動いただけでその表情が小さく歪む。


「その怪我で続行は不可能でしょう。ここは引き分け、ということでいかがでしょうか?」

「モロに一撃貰ったのに、引き分けってのは納得いかねぇよなぁ」


 その目が和佐へと視点を合わせる。先程の立ち回り、勝ったと思ったら、いとも容易くひっくり返された。その事実があり限り、両成敗とはいかないだろう。少なくとも、和佐は納得していないはず……なのだが……


「別に、俺は構わないが」


 意外にも、和佐は引き分けにする事を容易く了承した。


「そも、あの一撃で仕留めるつもりだったんだ。立ってる時点でまだ敗北の可能性は残ってる。だったら、ここで引き分けにするのはおかしくはない」

「なんちゅうストイックな……。負けたら死ぬ病にでも罹ってんのかよ」

「似たようなもんだ。勝てるかどうか分からないんなら、潔く分けを選ぶ、合理的だろう?」

「それもそうだな。それじゃあ、今日はここまでとしよう」


 木刀を片付けた片倉が、その場を後にしようとする。


「その怪我では移動もままならないでしょう。病院まで送らせていただきますよ」

「そいつぁ助かる」


 宗久が片倉の後に続く。道場から出る寸前、残った二人に一礼を忘れない辺り、使用人の鑑と言えよう。

 片倉と宗久の姿が完全に道場外に消える、少しの間、その後を追うようにして黙って視線を向け続けていた二人だったが、少しすると、鈴音が沈黙を破る。


「シレッと殺す気だった、って言いましたね?」

「……」


 フイ、とそっぽを向く兄を鈴音は半目で睨みつけている。彼女も先程の試合には目を奪われる程だったが、それでも最後の方はやり過ぎだと感じていたのか、あまり良い目で見てはいなかった。


「とはいえ、今回が初めてですね。兄さんの戦い方を間近で見たのは」

「温羅を相手にした時とは全然違うけどな」

「そうなんですか?」

「変身している間は身体能力が格段に上昇する。そのうえ、俺には個別の力もあるから、もっと派手になる。いや、やってる事は地味か? 派手に動くのも、あくまで敵を撹乱する為だしな」

「となると、さっきのように、正面から打ち合ったりしない、と?」

「あれだって別に正々堂々と、ってわけじゃなかったしな。避けられるの分かってて、最初からあぁするつもりだったし。そもそも、温羅相手に真正面からとか、拘る余裕なんて無いしな。どんな手使ってでも殲滅するのが一番だ」

「そうなんですか……」


 温羅と人間では勝手が違う。人間に通用するものが温羅に通用するとは限らない。その逆もまた然りだ。


「……まぁ、俺は元々対人戦の方が得意だがな」

「え?」

「いんや、何でもない」


 その呟きは小さく、すぐ傍にいた鈴音が聞き返すほど。しかしながら、言い直さないところを見るに、あまり表に出すべきものじゃなかちゃのかもしれない。


「さて、そろそろ終わっただろ。俺は戻るぞ」

「終わったって、何がです?」

「掃除だ、部屋の。……寛いでたら叩き出されたんだよ」

「なるほど、では、その使用人のボーナスを上げましょうか」

「ん? 待て、どういう意味だ?」

「兄さんが外に出るように上手くやっていただいたみたいですからね、これくらいは当然の事かと」

「……お前の差し金じゃないだろうな?」

「さて、どうでしょう」


 悪戯っぽく笑みを浮かべるその姿に、和佐は頭を抱える。何故なら、その笑みが凪のものに非常にそっくりだったからだ。

 元からこうだった節はあるが、アレの悪影響を受けていないとも限らない。そうなると、無駄に頭が良く、理性的で、周囲を振り回す2代目凪が出来かねない。


「これは目を光らせておく必要があるな……」

「?? 何にですか?」

「気にするな」


 今後、アレの扱いをどうするか、そんな事を考えながら、和佐は自室に向けて足を動かす。

 しかし、この後彼を待ち受けていたのは、鈴音の策略と思しき扱いの数々。結局、この日は落ち着く場所を外に求める事くらいしか、和佐に出来る抵抗は無かった。

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