幕間二 先輩と後輩 後
「さて、来たぞ」
和佐の視線の先には、八本脚で地面だけではなく、壁や天井すらも這いまわる奇妙な形の温羅が姿を現した。かなり機動力が高く、おそらく凪達はあの素早さに翻弄され、後ろに逸らしたのだろうと思われる。
「早……!?」
葵が温羅に狙いを定めようとしているが、温羅はまるで彼女の照準が見えているかのように右に、左にとジグザグに動きながら、和沙達に接近してきている。次弾の装填が遅い葵では、一発外した後の隙が大きすぎる。戸惑うのも無理は無いだろう。
「なるほど、さっきの土煙はあれの動きを止める為にやった結果か。止まってなきゃ、意味ないけどな」
「そんな悠長に言ってる場合ですか!? このままじゃ、接近されますよ!!」
冷静に凪達の行動を分析している和沙に対し、葵は非常に焦燥感に駆られているようだ。自身の得意距離でありながら、まともに照準すらつけさせてもらえないときたら仕方が無いようにも思えるが。
温羅の動きは依然変わらず、ジグザグに動いているおかげか、その素早さとは裏腹に近づいて来る速度はそこまでではない。和沙から見ればまだ余裕はあるが、傍でなんとか一撃で仕留めようと狙いを定めている葵からは余裕のよの字も感じられない。
「まぁ、落ち着け」
右に左に、と温羅の動きに合わせて動かされる砲口を、長刀が上から押さえつける。
「何するんですか!」
「言ったろ? 落ち着けって。奴さんの動きに合わせてちゃ、思うつぼだ。先を読んで撃つか、もしくはそう動かざるを得ない状況を作るしかこの場合方法は無い」
「……どういう事ですか?」
ようやく落ち着いたのか、一度スコープから目を離した葵が和沙を見上げている。
「偏差撃ち、ってのは分かるだろ? 前者はそれでやるんだが、ああも左右に動かれると面倒だからな、この場合は後者でいくとしよう」
「後者、と言うとそう動かざるを得ない状況を作る、ということですか?」
「そうだ。試しに、あの小さなビルの根本を撃ってみろ」
「?? 分かりました」
試しに葵が和沙に言われた場所へと杭を撃つ。仰々しい音と共に崩れるビルは、地面に瓦礫をまき散らせながら倒壊していく。それと同時に、温羅の進行が一瞬止まり、先程までのジグザグの動きが少しだけ直線になる。
「こういう事だ」
「……なるほど。こっちが当てやすいように動きを制御しろ、って事ですね」
「そうだ。難しいか?」
「いえ……やってみます」
そう言った葵は、二射、三射と立て続けに周囲の建物へと杭を撃ち込んでいく。温羅に直接ダメージは入ってないが、それでも動きの制限は出来ているところを見るに成功と言えるだろう。しかし、そればかりを繰り返していても、肝心の本体を叩けなければ意味が無い。
「さて、道は作りつつある。が、本体はどう倒す?」
和佐の言葉通り、温羅の目の前には二人に向かって一直線に道が出来ている。これならば、照準は付けやすく、葵も苦労せずに撃ち抜けるだろう。しかし、ジグザグに動かなくなった、という事は、次は正面から真っ直ぐ接近してくるという事だ。グズグズしていると、それこそ一瞬で距離を詰められるだろう。それだけは避けたいところだろう。
「ふぅー……」
ゆっくりと息を吐き、自身を落ち着けようとする葵。幸い、温羅はまだそこまで近づいてきてはいない。今ならば、ゆっくりと狙いを付け、狙撃する事も可能だ。
葵がスコープを覗き、温羅の中心へと焦点を合わせる。次の瞬間、引かれた引き金に連動し、勢いよく砲口から杭が飛び出した。
轟音は……無い。が、その細長い弾頭は、温羅の体に深々と突き刺さっている。しかし、葵は顔色は芳しいものではなかった。
逸れたのだ、炉心があるであろう中心部分から。
『――■■■■■■』
温羅が咆哮し、二人目掛けて突き進んでくる。その速度は杭の一撃を受けた為か、先程よりも幾分かスピードダウンしている。しかし、その脚が地面を打ち鳴らす音に、つい葵が怯み、一瞬装填が遅れた。
たかが一瞬、されど一瞬。
その一瞬で、そろそろ温羅のキリングゾーンに入ろうかという時にようやく葵が装填を終える。しかし、震えた手が温羅に照準を合わせる事を許してくれない。このままでは、撃つ事すらままならず、ここに到達された瞬間に葵は八つ裂きにされるだろう。
「言っただろ。落ち着け。まずはそこからだ」
カン、と和佐の長刀と葵のパイルランチャーがぶつかり、乾いた音を立てる。その音で我に返った葵は和佐を見るが、その顔に一切の焦りは無く、淡々とした視線で温羅を眺めている事に逆に冷静さを取り戻す。
改めてスコープの中に温羅の姿を捉える……必要は無い。既に敵はスコープなど無くとも撃ち抜けるところまで迫っている。
ならば、と、葵が武器を腰だめに構える。次は外せない。なら、外さない距離まで引き付ければいい。
怒り狂っているのだろうか、温羅の脚は未だ止まる事を知らず、二人目掛けて地面を踏みしめる音を響かせながら、真っ直ぐに向かって来る。そして、そう遠くない距離、その足が和佐と葵の立つ、廃ビルの根元へとかかった。
葵は、まだ引き金を引かない。ただ、足下で壁に脚を突き刺しながらズンズンと上がって来る温羅を見据えている。
「……」
和佐もまた、その様子を眺めている。何も口にせず、葵の一挙手一投足を。
やがて、その時は来る。
屋上の縁に脚をかけ、その身を乗り出した瞬間、葵の目に前には、無防備に曝け出された腹部があった。
「っ!!」
それを見た瞬間、その指が引き金を引く。普段とは違う、完全に衝撃を殺しきれなかったその小さな体が、反動で少し後ずさる。その瞬間が大きな隙になるのは誰の目にも明らかだ。だが、それでも葵は顔を上げず、衝撃を堪えるかのように、ジッと砲身を見つめたまま固まっている。
ゆっくりと、その場に崩れ落ちるかのように、目の前で地面へと倒れ伏す温羅。その姿を見て、ようやく大きく息を吐いた葵がその場に座り込む。
「はぁ~……、し、死ぬかと思ったぁ~……」
その様子を見て、和佐がチラリ、と倒れ伏した温羅へと視線を向ける。その目線は、どことなく意味ありげなものだ。
「そうだな、トドメをきっちり刺せていれば、文句無かったんだけどな」
「……え?」
その言葉に反応し、葵が顔を上げたその時だった。
倒れていた温羅が唐突に上体を起こし、その長い脚を葵に向かって一直線に伸ばした。
「しまっ……」
しまった、そう言い切る前にまるで槍のように鋭い脚先が葵の顔目掛けて突き出され……後数センチ、といった位置で止まった。
「これもまた、経験だ。トドメをきっちり刺さなきゃどうなるか、っていうな」
完全に制止した温羅のすぐ傍には、長刀を温羅の体に深々と突き刺した和沙が立っていた。炉心を一突き、葵が弱らせたとはいえ、彼女の攻撃を二発も受けてまだ立っていた相手をたった一撃で倒してしまった。その光景に、葵はただ頷く事しか出来なかった。
「……覚えておきます」
ニヤリ、と笑みを浮かべた和佐だったが、不思議とそこに嫌味などは感じられなかった。これが凪ならば、徹底的に扱き下ろすか、煽りまくる光景が見られただろうが、さしもの和佐も、まだ完全に慣れていない葵にそこまで言うつもりはないようだ。
「さて、こっちは終わった。向こうはどうだろうな」
端末で凪を呼び出す。が、まだかかっているのか、なかなか通信に出ない。
「なんて言うか……、鴻川先輩って厳しい姉みたいな人ですよね」
「……は?」
「あ、いえ、水窪先輩と比べて、って話なんですけど。水窪先輩はミスをしても怒らないで、優しく諭す感じなんですが、鴻川先輩は厳しく指摘はするけど、最後までちゃんと見てくれるというか……」
「俺が聞きたいのはそこじゃない。兄、とか教師じゃいかんのか?」
「身近にいるのが水窪先輩くらいなので……。それに今時そこまで指導する教師なんていませんよ」
「……」
非常に渋い表情を浮かべている。女性として見られる事には慣れているが、やはり真正面から言われるとくるものがあるのだろう。どんな侮辱よりも効く、和佐にとっては毒のようなものだ。
ふと気が付くと、いつの間にか凪達が戦闘をしているはずの方向から音が聞こえなくなっていた。倒したか、もしくはやられたか。
どちらにしろ、あれだけ苦労していたのだ。ただでは済んでいないだろう。
「はぁ……、姉だのなんだの、アイツらの前では言うなよ? からかわれるのはもう慣れたが、奴はそれ以上に煽ってくるからな」
「あはは……」
奴、とは凪の事だろう。確かに、あの隊長は少々人を、いや、和沙に必要以上に絡んでくるきらいがある。それだけ懐かれている、とも言えるが。
屋上から立ち去る和沙の背中に追いすがるようにして、獲物を抱えた葵が駆け寄っていく。その様子は、ここに来た時と比べると、大きな変化があった。
その目で見る先輩の印象が変わったか、もしくは葵自身が考えを改めたか。
どちらにしろ、小さな彼女にとっては、大きな見識を得た、と言える。それこそ、葵の将来が変わる程に……。
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