第91話 色々あって……

「えらく厳しいじゃないの」


 部屋を出た和沙に、背後からかけられる声。その声色は、それこそ自分達もその対象に入っていた可能性を把握していながらも、どこか嬉し気なものだった。


「そうか? 俺はいつもこんなんだぞ」


 それに対し、和佐は先ほどまでのような厳しい態度ではなく、いつものように掴みどころの無い様子を見せる。


「そうですか? 少なくとも、私は今まで兄さんがあんな感じで話すのは見たことありませんでしたよ」

「そうだったかな? まぁ、今まで隠してきたつもりだったから、あんな姿を見せるのは初めてだったかもしれないな」

「ですが、和沙君の話を聞いて思いましたが、私達ももっと考えるべきだったかもしれません」

「何を?」

「ミカナギ様の事です。いえ、この場合は和沙君と言うべきでしょうか。残ってる記録では、祭祀局と協力して大防衛戦を乗り越えた、としかありませんでした。そこに至るまでの経緯、そこにどれだけの苦労があったのか……。そういったものが記録上では欠如していた事、それが何を意味するのか。考えるべき事はいくらでもあったはずです」


 実に七瀬らしい考え方だ。確かに、彼女の立場上、本来それは知っておくべき情報だ。しかし、和沙は彼女達にそれを言及しなかった。それは、彼女達がそれを知る必要が無かった、いや、知っていようがいまいがどうでもよかった、というのが本音だろう。

 しかし、本来知らなければいけない者達が知らなかった……知らされていなかった、というのが事実だろうが、和佐にしてみればどちらでも大差は無い。また、和沙が自身の口で語ったように、先祖の罪を子孫に償わせる気は無い。ただ、どのような結末になろうと、和沙がそれを救済する事は無い。それだけの話だ。


「別にそこまで考える必要は無いさ。気にするな、とは言わないが、それでも思いつめる程の事じゃあい」

「あなたがそう言うなら、そうしますが……。やっぱり釈然としません」


 生真面目な七瀬らしい意見だ。しかしながら、本人がそう言っている以上、彼女達がこれ以上踏み込む必要は無い。和沙の言葉は、それを再度確認するものであったが、そう簡単に納得出来るほど、七瀬は単純ではない。


「七瀬のそれは美徳だと思うけど、あんまり深入りしすぎると戻れなくなるわよ。和沙の言う通り、あんまり思いつめない事よ」

「はぁ……、そうします」


 未だ納得していない様子ではあったが、これ以上は本人の口から語られる以外知りようがない。渋々ではあるものの、凪の言葉に力無く項垂れた。


「これで兄さんの件は終わり……でいいんですよね? それで、結局どうすればいいんですか?」

「うん? 何が?」

「例の天至型討伐の手順です。先ほどはその時になったら考える、って言ってましたが、ほんとは何か考えがあるんですよね? ね、兄さん?」

「考え? 無いぞ」

「……え?」

「無いぞ」

「ちょっと待ってください、それは私も想定外なのですが……」


 何か一つくらいは考えているだろう、と思っていたのは鈴音だけではなかったらしい。凪以外の全員が、何か一つくらいは考えているだろう、と思っていたのか、唖然とした表情をしている。


「何にも考えてないぞ。言ったろ、やっこさんが出てくるまで分からない、って。作戦なんざ、それまで立てようも無いんだから、仕方ないだろ」

「私もそんな気はしてたから、特に何も言わなかったんだけど、ほんとに何にも考えてなかったのね。ま、唯一の経験者がそう言うんだから、そうなんでしょ」

「そんな無計画な……」


 そうは言うものの、ならば自分達はどうなのか、と聞かれると彼女達自身も情報が無い以上作戦を立てる事は出来ないだろう。そういう意味では、和佐と大して変わらない。


「当初の予定通り、候補生を小型の対策に充てて、それ以上はこちらが対応する。対応方法は各々が随時自分のやり方でやっていく、って感じか。ま、ざっくりとはしてるが、情報が完全に揃ってない以上、そこから先はそれぞれの洞察力次第、って事だな」


 具体的な作戦は何一つ決まっていないものの、何を抑えればいいのかが分かっているだけ救いはある。何をするにしても、やはり最初に大元となる目標は定めておいた方がいい。今回に関しては、それ以外全く定まっていないのだが。


「しっかし、次はいつ頃来るのかしらね、あのデカブツは」

「今日明日……は無いか。向こうも多少のインターバルは必要だろ。準備するにしろ、何にしろ。とはいえ、あんまり時間があるとは思えない。出来る事はやっておくべきだな」

「私達はともかく、候補生の子達は下手すれば初戦闘になるわけだしね。私から何か言っといた方がいいのかしら……」

「やめとけ。せっかく張った緊張の糸が切れれば、ちょっとした事で揺らぎかねん。厚意かもしれんが、余計なちょっかいである事には変わらん。候補生の事を思ってるなら、手を出さないのが吉だ」

「ちょっかいだとか、緊張の糸が切れる、とかアンタは私の心遣いをどう思ってるのよ!!」

「言った通りだが?」

「私は候補生達の憧れの的なのよ! その私の言葉が、ちょっかいにしかならないだとぉ!?」

「あぁ、あれ冗談です」

「あんたら兄妹は、私をおちょくって楽しいのかぁ!!」


 いつも以上に荒ぶる凪を、何でもなさそうな表情で避ける和沙。強大な敵が迫っているかもしれないというのに、彼らの様子は普段から一片も変わらない。

 緊張感が無い、わけではない。現に先ほどから葵辺りは黒鯨と戦う事に恐怖を感じているのか、その表情は晴れない。無理も無い、先輩二人が防いだとは言え、まだ経験も浅い状態であれほどの攻撃を目の当たりにしたのだ。むしろ普段通りの姿を見せる和沙達の方がおかしいと言える。


「怖く……ないんですか?」


 だからこそ、気になるのは当然の事だ。何故、彼らは今こうして笑っていられるのか、それを葵は理解が出来ない。


「怖いって、何がだ?」

「あの黒鯨と戦う事が、です。どう考えても、私達がどうにか出来る相手じゃないですよ、あんなの。それなのに、そんな、何でもないかのように笑って……おかしいじゃないですか……」

「まぁ、巫女になったばかりの、それもお前さんの年齢だとそう考えるのは当然の話だな。実際、そこにいる隊長のソレも、虚勢を張ってるにすぎん。未知の相手、それも強大だと分かっている相手に対して恐怖心を抱く事はおかしくはない。それは、ここにいる全員に言える事だ。少なくとも、恐怖を抱いているのはお前一人じゃない事は理解しろ」


 そう言われ、葵が皆の顔を見回す。彼女達の表情こそは普段と変わり無いが、その瞳の奥には、隠しきれない恐怖の色が滲み出ていた。


「そう、ですね……。みんな同じですもんね」

「まぁ、俺はアレを叩き落とす事しか考えていないけどな」

「ほほう、アンタは怖くない、と?」

「むしろ一度やりあってる以上、怖いよりもムカつく。あんな姑息な方法で逃げられたんだ。次は絶対に叩き落としてくれる」


 グッ、と拳を握るその目には、静かな闘志が燃え盛っている。雪辱を晴らす絶好の機会ではあるが、そんな和沙を諫めるかのように、凪の言葉が浴びせかけられる。


「やる気に満ちてるのは良い事だけど、こないだみたいに一人で突っ走るのは無しよ。ただでさえ今回の相手は、前とは違うんだから」

「そんなもん、俺が一番よく分かってる。……流石にあんな無茶な事はしないよ。自分一人の力じゃ限界がある、って分かったからな」

「限界があるんですか? 兄さんに?」


 信じられない、とでも言いたげな表情と共に鈴音が口を開く。確かに、他のみんなから見れば、和佐の力は底が見えない。限界だ、などと言われても実感が感じられないのは当然の事だろう。


「医者が言ってただろ? 俺の体はもう限界だって」

「限界は限界でも、そちらですか……。確かに、医師の話では和沙君の体はこれ以上無茶をすると命に関わる、と」

「無茶をしなけりゃいいって話だ。が、黒鯨が相手じゃ、最悪も考えておかにゃならんかもな」

「最悪って、つまり……」

「自爆、だ」


 ニヤリ、と口角を上げて言うも、和沙以外の人間にしてみれば笑いごとではないその事実に、思わず表情が曇ってしまう。そんな彼女達の表情を見て、和沙が呆れたように深いため息を吐いた。


「はぁ……、別にこれしか手が無いってわけじゃないんだ。あくまで手段の一つ、それも最後の手段だ。しかも、こればっかりは失敗なんざ出来ないから、確実に攻撃が当たるように調整する必要がある。……正直、そこまで調整出来るなら、とっくに勝負は決まってるだろうさ」


 彼なりに慰めているのだろうが、その可能性が示唆された時点でその言葉は意味を持たない。

 最後の手段の公開。それは少女達にとって、勝利の為に仲間を犠牲にする可能性がある、という事を自覚させると同時に、それだけはさせない、と確固たる意志を持たせる意味もあった。口にした本人が自覚しているか否かは分からないが、少なくとも、凪達はそれを回避しようと動くだろう。その行動が吉と出るか、凶と出るか、それはまだ分からない。

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