二十七話 ひと時の……?

 しばらく公務をしている織枝を眺めていた和沙だったが、どうやら普段こういう状況で仕事をする事がほとんど無いみたいで、彼女の手はだんだんと動きを鈍らせていく。


「あの……、そうジッと見つめられるとやりづらいのですが……」

「そう思うなら、こんなところに連れてこなけりゃよかったんだ。そうでなくとも、部屋を別々にするとか、やりようはあっただろうに」

「それはそうなんですが……、こう、学生時代に味わえなかった青春をこの年になって体験してみたい、と思いまして……」

「まだ成人もしてない人間が何言ってんだ。あと、俺にそういった事は期待すんな。人間らしい感情なんぞ、とうの昔に忘れた」

「……たかが二、三歳程度しか離れていないとは思えないセリフですね。普通、こういう状況になれば、健康な思春期男子としては思うところがあるのでは? 例えば、こう……」


 何やら言いづらそうにしている。まぁ、あまり女性の口から出る言葉では無い。言葉選びに戸惑っているのか、それとも単に羞恥心が邪魔しているのかは分からないが、彼女の口からそんな言葉が出た事を琴葉辺りに知られれば事件の一つや二つくらいは起きそうである。


「何を想像してんのかは知らねぇけど、俺にそういうのは期待すんなよ。残念ながら、記憶を失って、いわゆる健康的な男子学生状態の時に一度混浴状態にさせられたが、なーんにもならなかった」

「なーんにも、ですか?」

「そ、なーんにも」


 手を肩の高さまで上げ、首を竦めている。そんな和沙に訝し気な視線を送っていた織枝だが、どうやら自分の中で合点がいったのか、どこか納得したような表情に変わる。


「なるほど、人間の性格って、外観に影響される事が多いそうですよ。例えば、活発な性格をしていれば、それを表に出したかのような服装や髪形になったり、逆に見た目が少し暗めな方だと、黒い服を着用したり陰気な見た目になる、という話をどこかで聞きました」

「……で、それの何が俺と関係あるの?」

「和沙様は見た目がほとんど女性っぽいので、それに引っ張られて性格も女性側に……」

「なってない! それだけは絶対に無い!!」


 随分と力を入れて否定しているが、これはこれで逆効果なのでは、などと思ってしまう。こうしてムキになって否定すればするほど、からかいたくなるのは彼女だけではあるまい。


「本当に~? ……服を男物から女物にこっそりと替えたらそのまま着ないかな」

「おい、聞こえてんぞ。んな事するよりも先にやる事があるだろ」

「あれだけこんなところで仕事だのなんだの言ってた割に、随分と寛容になったんですね」

「減らず口が減るなら何してても俺は気にはしない。あと、仕事の邪魔だってんなら、出てくから、後は好きにやってくれ」

「一応護衛として一緒に来てもらってるんですけど……、まぁ、いいです。こちらとしても、和沙様にジッと見られるのは居心地の良いものではないので、貴方の行動自体を止める気はありません。えぇ、ありませんとも」

「どことなく棘があんなぁ……」


 こんなところでまで仕事もどうかとは思うが、邪魔をする程ではない。織枝の気が散る事を考え、和沙は一人で部屋を後にする。後ろで恨めしそうに見つめる織枝を残したまま。




 宿を出る際、ひと悶着はあったものの、無事に一人で外に出る事が出来たのだが……、いかんせん特に目的があって出てきたわけでは無い。あくまで織枝の仕事の邪魔をしないように、だ。

 それゆえに行先も目的も定まらぬまま、ふらふらとでもしようかと考えたが、どうにも和沙は目的の無い行動、というのが苦手らしい。普段引きこもっている弊害がここに来て影響しているようだ。

 海沿いである為、とりあえず海にでも出てみるか、と足を向けたものの、先も言ったように目的があるわけでは無い。更に言うと、海は和沙にとって苦い経験のある場所だ。それはこの時代に来て戦った大型の影響、という訳ではない。二百年前にも同様に和沙は海に出て戦った事もあったが、その時はまだ未熟な半人前時代。加えて、本来師となる人物も既に没していた為、海上での勝手が分からず、大型ではないにも関わらず苦戦を強いられた。果てには海に引きずり込まれ、あわや溺れ死ぬ直前までいったのだから、泳ぎが、海が嫌いになってもおかしくは無い。


 母なる海、とは言うが、同時に世界の大半を占める巨大な魔物にも為り得る存在である事を、和沙はその時初めて知る事になった。

 まぁ、そもそも今はまだ二月下旬だ。海に入るには早すぎるし、何よりも入る理由が無い。いくら和沙にこれ以上無い恐怖を植え付けた相手とはいえ、入らなければ何の問題も無いのだ。

 少し内陸の方へと進んでいくと、こちらはこちらで現代風の街並みが並ぶ。神前市と比べると幾分か落ち着いてはいるが、やはり首都近郊という事もあり、こちらもかなり近代化が進んでいるのだろう。少なくとも、佐曇市よりかは発展している。田舎町、と聞いてはいたが、規模的に考えると首都近郊都市と言っても何らおかしくは無い。

 御前市には皇樹が現れたせいで、都市機能の一部や仕事に行けないサラリーマン、家に帰れない一家などがよく見かけられたが、ここではその影響は少なく、いつも通りの日常を過ごしているようにも見えなくはない。首都近郊の為、影響――主に疎開などで人がごった返している、という事も考えられたが、どうやらそういう事は無く、主に現地人が大半を占めていた。

 とはいえ、既に神前市に慣れてしまっていた和沙にとっては目新しいものは特に無く、その場から離れようとした時、ふと近くで休日のひと時を楽しんでいたのだろう家族の話が耳に入ってきた。


「こら、ちゃんとママの言う事聞かないと駄目だろ」

「だって~……」


 父親が子供を叱る光景など、つい最近では見た事が無かったため、和沙は横目でその風景を眺めていた。

 ぐずっている子供は会話から察するに、母親の言う事を聞かず、何か失敗でもしたのだろうか。


「言う事を聞かないなら、神前市に連れて行って怖い魔物に食べてもらうぞ~」


 父親のその言葉で、子供は大人しく言う事を聞き始める。どうやら、隣の街で起こっている事を理解している模様。だが、その規模はあくまで情報媒体経由で伝わっているもののみで、詳細に関しては一切知らないままなのだろう。あの樹が出現した事で多くの人々が死傷し、今も家に帰れなくなっている事も。

 だが、これは貴重な情報だ。全く関係無いわけでは無いが、少なくとも直接被害を受けているわけでは無い人間にとって、あの樹の存在はどういうものか、これで少しは分かった気がする。

 彼らにとってはあくまでも対岸の火事で、大変だとは思っていても、それに対する必死さは感じられない。当然だ、自分の家に火が付いているわけでは無いのだから。

 少し気になった事が出来た和沙は、その足のまま近くの喫茶店へと入る。落ち着いた様子のこじんまりのとした店で、いかにも定年退職した老夫婦がやっている、といったものだった。

 マスターに注文をすると同時に、和沙はある質問を投げかけた。


「この街に来たのは初めてなんですけど、ここって温羅とか出ないんですか?」

「あまり出ないねぇ。やっぱりすぐ隣に大きな街があるから、みんなそっちに行っちゃうんじゃないかい? 私もこの街に四十年近く住んでるけど、直接見たのなんて片手で数えられる程度だよ。それもすぐに処理されちゃったしね」

「そうですか……」


 マスターの言葉は和沙にとって衝撃的なものだった。

 いくらマッチポンプ的な要素があったとはいえ、御前市ではあれだけの頻度で温羅が発生していたにも関わらず、すぐ隣のこの街ではほとんど出ていないというのだ。よくよく思い出してみれば、最後に大型が出たのは二年以上前で、そこからは襲撃もまばらで、巫女隊の練度も考えればそこまで出現頻度は高くない事が分かる。単に守護隊に丸投げしていたから、という事もあるだろうが。

 佐曇市にいた頃は、温羅の出現場所が主に海上である事と、佐曇市に入って来るように誘導していた事もあってか、被害は同市に集中しており、尚且つそれを見越した対応手段が取られていた。だが、神前市ではそもそも出現方法そのものが違っており、予測する事自体が難しく、その為巫女隊なり守護隊なりがすぐさま出られるようにするのが精一杯だった。

 だが、これも大型温羅が地中に存在していたから、と考えれば辻褄は合う。一体どれほど前から地中にいたのかは分からないが、皇樹が襲撃の度に街のあちこちから温羅を生み出していたのであれば、襲撃が神前市に集中しているのも分かる。

 敵の目的が分からないだけに、前もって襲撃に対応する事自体が難しい話ではあるが、天至型がそのキーパーソンという事であれば、逆に考えれば天至型を感知さえ出来ればその周辺の温羅襲撃は防ぐ事が可能、という事だ。


 その為には何が必要か。

 それこそ、智里の持つ技術が必須である事は変わらないだろう。


「……どのみち相手をせにゃならんよな」

「何か言ったかい?」

「いえ、何も」


 運ばれてきた注文に舌鼓を打ちながら、座っている席から窓の外を眺める。今あの街で起こっている事をどうにかしなければ、この街が誇っている少ない襲撃回数の最後が滅亡になりかねない。

 正直なところ、この街に対して何の感情も持っていない和沙にしてみれば、どの街がどう壊滅しようが知った事では無いだろう。

 だが、子孫が気に入っている旅館が無くなるのは、先祖としても思うところがあるらしい。

 カップを掴む手には、どことなく力が入っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る