五十五話 木箱の中身

「どういう事ですか、これ?」


 そこには、ただ一言、こう書かれていた。


『神流、千里、茜、本当に、すまなかった』


 ただ、これだけだ。

 手紙、と言うには封印の必要性が問われ、メモ書きとしてもそもそもこんな厳重に保管する内容でもない。織枝が首を傾げるのも仕方の無い話だろう。

 しかし、和沙はその文字を見た瞬間、顔色を変えた。冷酷とも言える無色、つまり無表情に。


 紙に書かれていた三つの名前、千里は和沙のかつての名だ。捨てた、というわけでは無いが、この時代を生きていくのに不要だという事で名乗ってはいない名前。

 茜は和沙の血の繋がった妹の名前だ。この時代どころか、はるか昔、二百年前に既に亡くなっている。

 そして最後、いや、一番最初に書かれていた『神流かんな』と言う名前。これは和沙と茜、二人の母親の名だ。当然、既に生きてはいない。それどころか、彼女の死が和沙をこの道に進ませる事になった。二百年以上前に生き、神奈備ノ巫女のベースとなった存在、それが御巫みかなぎ神流かんなと言う女性だ。


「和沙君にはこの言葉の意味が分かりますか?」

「……そうだな。少し分かる気がする」

「本当ですか?」


 書かれている文字に再び目を向ける。やはり、和沙の目は無機質なものだ。


「文字の濃さから、相当筆圧が高い事が分かる。にも関わらず、字に乱れは見えない。という事は、何らかの急を要する状況で書いたものじゃない。おそらく、何かを堪えながらか、何かを吐き出しながら書いたんだろうな。そして、人名と思われる固有名詞と、それに連なる謝罪。前置きは無く、言葉の意味を補足していない事から、これは本心からの謝罪だったんだろうな」

「言っている事の意味が分かりかねます」

「つまり、この手紙は懺悔の為の物だ。自らの罪を認識し、その重さを理解した一人の人間が、誰の目にも触れないよう封印し、未来永劫この中に閉ざす事を決めた本心だよ」

「……自らの罪を告白したもの。けれど、誰かに見せるのではく、自身の内でただ抱え続けた、という事ですか?」

「まぁ、そんなとこだろ。おそらく、本来はこうして表に出る事も無かった筈だ。俺がここに存在する事なんて、想像すら出来なかっただろうしな」


 この手紙は本来、誰の目にも触れる事は無かった筈の物だ。これが書かれたのは、御巫家が創られた時、つまり大防衛戦の後だ。当時、戦いは終わっていたものの、御巫千里はとうに亡くなっていた……と思われていた。故に、その時点で御巫家は潰えていた。しかし、この箱の上部に刻まれている紋、これは御巫家が管理していた八草威神社の神紋である。そして、この箱を開かなくしていたギミックは、御巫家が生まれながらに持つ、『神立』が鍵となる仕組みだった。更に言うと、茜の神立は体外に流す事は出来ず、和沙が持つ、本来の神立も同じだ。

 ……そう、これは二人の母親、神流の神立にのみ反応する仕組みだったのだ。かつてはその力を受け継いだ千里がいたが、この箱が創られた時点でその存在は世界から消え失せている。

 御巫の血を引く者がおり、尚且つその力が神流と同じであれば開く箱。しかし、その可能性は御巫の血を引く者が完全にいなくなった時点で存在しない。故に、開く事の無かった箱、それがこの木箱の正体だ。


 しかし、そこで一つだけ問題が出てくる。この木箱を作った者は一体誰なのか、という話だ。


「懺悔……謝罪……悔恨……、そうだったのですね。だから、あんな事を……」

「箱は開けた事だし、もういいだろ? まだ行きたい場所があるんだけど?」

「……申し訳ありません。この箱を開けた以上、もう一つ確認しなければならない事が発生しました」

「何だそれ。だったら、とっとと確認でもなんでもしてくれない? こっちは暇じゃないんだ。色々と回らなきゃならない場所が……」

「貴方、御巫様の子孫ですね?」

「……は?」


 一瞬、何を言われたのか分からなかったのか、和沙は間抜けにも口を半開きの状態で茫然とした表情を浮かべていた。


「いえ、この箱と一緒に、当主にのみではありますが、ある話も受け継がれていたのです。我々は、本当の御巫家の血筋ではない、と。この箱は、御巫家伝来のある手法で作られている、とも伝わっています。これを開く事が出来る、という事は、貴方は御巫様の血筋……その子孫であると判断するのが妥当かと」

「……」


 和沙は無言だ。しかし、その表情は無表情ではなく、どこか呆れているようにも見える。


「……で? それを確認してどうするの?」

「どうする、とは?」

「何か意図があってその事を話したんだろ? なら、その意図はなんだと聞いてるんだ」

「意図、ですか。そうですね……、この事を公にしてほしくなければ、こちらの言う事を聞くように、とでも言いましょうか」

「それ、どっちかと言うと、あんたらの方がダメージ受けないか?」

「……そういえばそうですね」

「はぁ……」


 意外と天然なのか、それとも意図的にそう振る舞っているのかは分からないが、和沙としては非常に対応に困る反応である事には違いない。頭痛を抑えるように手を頭に当てていた和沙だったが、すぐに顔を上げる。


「俺が御巫家の血筋だろうがなんだろうが、お宅らには関係無い。今はアンタらが『御巫』だ。それに異を唱える気は無いし、その名を捨て去る事を許す気は無い。……覚悟しておけ、かつてその名声欲しさにその名を受け継いだ責任、そう軽いものじゃないぞ」

「……」


 これまでとは違う、まるで刀の切っ先のような空気を纏う和沙に、思わず織枝は口を閉ざし、静かに唾をのみ込む事しか出来なかった。その目は問い詰めているわけでも、責めているわけでもない。どこか向けられた側の心の内を暴こうとするかのような、その視線を耐えられる者など、そうはいないだろう。


「……終いか? それじゃ、俺はこれで……」

「最後に」

「まだ何かあんのかよ……」


 もはやウンザリとした表情を隠そうともしない。しかし、そんな和沙へと向けられる織枝の視線は真剣そのものだ。


「貴方の本当の名前を教えてください」

「本名? 今名乗っているこの名前以外にあるとでも?」

「あります。私はそう確信しています」


 何を根拠にそこまで自信満々に言えるのか、和沙にはとんと検討が付かない。だが、ここまで真正面から問われた以上、返さなければならないだろう。今はもう、名乗る事の無いこの名前を。


「千里――御巫千里だ」


 御巫千里、その名を何度も自身の中で反芻しながら、織枝は目の前で静かに閉まっていく扉を見つめ続けていた。

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