二十話 二度目の邂逅

「くそ、あいつら……、寄ってたかって……」


 まだ悪態を吐いている和沙だが、その身は既に壁の上、その向こう側を見通せる位置に来ていた。

 今気づいた事ではあるが、この壁、素材もさることながら、その厚さも尋常ではないものだった。目測で約二メートル。一メートルあれば戦車の弾ですら防げる事を考えれば、この壁を貫く事が出来る兵器など、地上には無いのではないか、と思ってしまう程だ。しかし、この地上においても例外は存在する。


「派手にやってんな……」


 和沙が下を覗き込む。眼下では、何やら複数の温羅が集まって壁に向かって何やら攻撃のような事をしている。しかし、大型の攻撃ならともかく、小型中型では、傷の一つ二つは入れど、壁を完全に破壊する事など到底不可能だ。そして、まるでそれを思い知らせるかのように、壁は攻撃を受けてもその場に鎮座し続けている。まるで無駄だ、とでも言っているようだ。

 だが、これらの攻撃によって発した音が壁の向こう側に多少なりとも影響している事は否めない。一先ずは、あれらを排除した後、何らかの対策をするべき、そう考えた時だった。


「……っ!?」


 キィン、と手に持った長刀が甲高い音を響かせる。跳ね上げられた右腕を強引に振り下ろし、突如として目の前に現れたに、躊躇いの欠片すら見られない一刀を向けるも、容易にいなされる。


「チッ……、面倒な……」


 だらりと腕を下ろし、その場で仁王立ちのように立ちふさがるのは、先日戦った例の仮面の女性だ。無防備にも見えるが、隙は無い。これがこの人物の戦闘態勢なのだ。


「鈴音、聞こえるか?」

『兄さん? 例の音の原因は判明しましたか?』

「音に関しては今は無視しろ。あのがいるぞ」

『っ!!』


 二人組、そう告げるだけで彼女は誰がいるのかを理解する。彼女のその反応を聞き届けると、目の前の人物に集中する為、和沙は通信を切る。

 二度目の対峙。以前は完膚なきまで、とは言わないが、それでも圧倒的な敗北を味わったのは事実だ。しかし、戦闘スタイルさえ分かってしまえば、対応のしようはある。次は先日のようにはいかない。そう意気込むも、それは相手も同じ事だ。

 和沙もまた、だらりと腕を下ろし、刀の先端が地に付くか付かないかといった位置を維持している。つまり、力を抜いているように見えるが、その実いつでも動かせるように神経を集中させているという事だ。


「……一つ、聞きたい」

「何?」

「何故、あの少女に加担する? あんたの目的は何だ?」

「一つ、と言いながら二つも聞くの? 欲張りが過ぎない?」

「大事な事だ。それ次第で斬るか否かを決める」


 今更何を、とも思うだろう。しかし、これほどの人物が智里に加担している理由が、和沙には思いつかない。もしかしたら、何か個人的な理由でもあるのかと思い、試しに問うてはみたが、それに対して返ってきた言葉は、予想もしないものだった。


「ん~……、気まぐれ、かな?」

「……そこに困っている人がいたから、とでも言うんじゃないだろうな」

「分かってるじゃない。さっすが私の……」


 女性が言い切る前に、和沙が前へと踏み出す。そして、ぶつかり合う刀と拳。


「……冗談じゃない。死人が出しゃばるな!!」

「なら、出しゃばらないで済むように頑張りなさいな」

「そうさせてもらう!!」


 蒼い光が迸る。鍔迫り合いをしていたはずの和沙の姿が、瞬きをした瞬間にその場から消えていた。が、女性はすぐに反応する。まるで和沙がどこに行ったのか、知っているかのように。

 長刀が横に薙がれる。その速度は一般の巫女では到底反応出来るものでは無く、またその位置も胴を狙っている事もあり、避ける事は難しく、さりとて防ぐにも盾が必要だ。

 しかし、当の本人は、これを裏拳と肘で刀身を挟み込むようにして受け止めた。


「大道芸じゃねぇんだぞ!?」


 即座に刀を引こうとしても、その見た目からは想像できない程、しっかりと挟み込まれてただでは動かない。引き抜く事を諦めて、逆に前に踏み出そうとした瞬間、まるでそれを待っていたかのように逆に止められていた刀を弾かれ、和沙の身体がのけぞる。当然、それを見逃してくれるほど甘くは無く、先ほどとは逆に和沙が懐へ踏み込まれる。が……


「ッ!?」


 刹那、地面から複数の黒い棘が生え、仮面の女性へと襲い掛かる。しかし、それはただの棘ではない。周囲の光を取り込んでなお黒く鈍い輝きを放つ結晶体、和沙が持つ神立の力の一つだ。だが、不意打ちとしては完璧でも、相手の身体能力は和沙の想像を遥かに超えている。距離を開けられ、和沙の身体を張った不意打ちも、ものの見事に空振りに終わる。


「……」


 しかし、何故か仮面の女性は目の前で飛び出た黒い剣山に目をとられ、動こうとしない。和沙の動きを警戒しているのか、とも思ったが、どうやら違うようだ。


「黒い……、禍々しいわね……」

「そうだろ? どす黒く、淀んだ光だ。あんたが目にしてこなかった……、いや、目にする事を拒否した輝きだ。伊達や酔狂では片づけられんぞ」

「……」


 どこか、彼女の見えない目からは和沙を憐れむような視線を感じる。が、当の本人はそれを受けても涼しい顔で流している。余裕、ではない。すでに腹は括っている。そんな顔だ。

 ゆらり、と立ち上がった女性が再び構える。構えるとは言っても、さっきと見た目は変わらない。相変わらずその手はだらりと下に下げられたままだ。対して、和沙もまた構えらしきものはとらず、長刀を肩に担ぐようにして女性の前に立ちはだかっている。


「二度目は、無い」

「知ってるさ。だからこそ、手の内ってのは隠しておくもんだ」

「……??」


 仮面の女性が首を傾げる。和沙の言葉の意味は分かるが、彼の一挙手一投足に目新しいものは見られない。つまり……


 タァン


 乾いた音が響き渡る。その音は、和沙の遥か後方、辛うじて見えるかどうかの距離に立つ壁の上から聞こえたものだった。

 紫音の狙撃だ。単なる狙撃であれば、この人物の事だ、容易に弾道を予測して避ける事が出来るだろう。なら、そもそも弾道を予測させなければいい。和沙が刀を担ぎ、当初よりも横に広く見せたのは、仮面の女性の対角線上にいる紫音の姿と、そこから放たれる弾道をぎりぎりまで隠しておく為だ。

 そして、その企ては成功し、あわや被弾かとも思わせる程至近距離まで弾を引きつけ、ぎりぎりでかわし、目の前の人物への打点とする。これ自体は成功と言える。問題は、目の前の人物に大してダメージが見られない事か。いや、ダメージ自体はあるのだろう。だが、傷を受けたのは仮面であり、本体への攻撃は完全に逸れたと言える。


「……俺が言うのもなんだけど、あんたも大概バケモンだよな」


 目の前の女性は、仮面の斜面を利用して弾を逸らしたというのだ。はっきり言って、まともではない、と言うべきだろう。一歩間違えれば、顔の半分が吹き飛ぶのだ。並大抵の胆力では実行する事さえ難しい。

 欠けた仮面の向こう側からは、黒い瞳が覗いている。その色、その形は紛れもなく人間のものだ。この事に和沙は安堵し、同時に険しげな表情へと変わる。

 何らかの温羅が擬態でもしているのであれば、それはそれで納得がいった。だが、目の前の人物は紛れもなく人間だ。極めて厄介な技や身体能力を持った、が付くが。

 チラリ、と横目で壁の中へと視線を向ける。轟音と共に煙が上がっている。どうやら、向こうも始めたらしい。


「手こずっている暇は……無い」


 例え目の前の人物が和沙の予想通りであれ、敵である事は間違いない。であれば、ここで仕留めなければ、いずれ更に強力になって帰ってこないとも限らない。

 刀を強く握りしめる。使い込まれた柄からは、和沙の握力で骨が軋むような音が聞こえてくる。

 近接は無理、狙撃も通用しない。とくれば、後は……


「これしか無いよな!!」


 大きく振りかぶって、長刀を投げる。もはや今まで何度も見たその光景。仮面の女性は半身を引き、これから来るであろう攻撃に身構える。

 予想通り、長刀が完全に届く前に、和沙が瞬間移動を行う。しかし、ここである事に気づく。移動してくるのが早すぎるのだ。

 これまでは刀が弾かれ、視界外へと外れたところを狙った移動してきていたが、今回は届く直前どころか、また人一人分以上の間合いが空いている。これでは、届くものも届かない。そう、思わざるを得なかった。しかし……


「っらぁ!!」


 投げた勢いと、高速移動の勢いを混じり合わせた状態で思いっきり振り下ろす。そこに技などという高尚なものは存在せず。まさしく力任せの一撃と言えよう。当たれば必殺。だが、当たるには少々雑過ぎる。

 とはいえ、速度はかなりのものだ。紙一重で避けて、そこにカウンターを合わせようとするが、刀を振り下ろした次の瞬間には、和沙の姿は消えていた。


「!?」


 一瞬、また死角をとられたのかとも思ったが、どうやら違ったようだ。少し離れてはいるが、和沙の姿は目の前にある。振り下ろした勢いを殺さず、後ろに刀を投げ、そちらに移動した、と考えるのが妥当だろう。だが、彼の目的が見えない。それを探る為か、ゆっくりと距離を詰めていく。その様子を見て、今度は和沙が明確な構えを見せる。まるで帯刀するかのように長刀を腰に添え、所謂居合のような構えをとっている。記憶にある限りでは、和沙が居合の技を使用した事実は存在しない。となれば、これは見よう見まねではあるが、どこまで再現出来ているのか、そしてそれで一体何をしようとしているのか、仮面の女性は測りかねていた。


 ――一歩、また一歩と踏み込んだ刹那、何の前触れも無く、和沙の手が刀を抜き放つ。とはいっても、納刀されているわけでは無い。だが、それ故に鞘走りの摩擦は無く、抵抗は少ない。誰のものを見たのかは分からないが、その速度は到底素人のものとは思えず、一瞬、ほんの一瞬ではあったが、女性の反応が遅れるレベルだった。だが、

 ガァン、と鈍い音を立て、刀が弾かれる。だが、今度は先ほどのように体勢を崩すこと無く、しっかりと地に両足を付けた状態で耐え抜いている。それどころか、振り抜かれたはずの長刀が再び和沙の腰の位置にまで戻っている。


 追撃は……無い。そもそも出来る距離ではない。

 ここでようやく、女性は目の前の少年の意図に気づく。

 接近戦で勝つのはほぼ不可能、遠距離もぎりぎりではあったがかわされた。となると、残る戦法は限られてくる。

 和沙はヒットアンドアウェイをしているのだ。確かに一撃の威力はとてつもなく、受ければ即死でない限り死にはしないものの、動きが制限される事は確実だ。幸運にも、ここまでの戦いで遠距離攻撃手段を所持していない事が判明しているので、あちらの間合いにさえ踏み込まなければ一撃をもらう事は無い。そう判断してのこの戦法だった。

 確かに、この戦い方は有効だ。密着する事は無く、攻撃をすればすぐに離れればいいのだから。だが、これではあまりにも足りなさすぎる。


「……そのやり方は悪くないけど、同時に勝てない事も分かってるよね?」


 この女性はそれを見抜いていた。あくまでその場凌ぎでしかない事を。確かに、ヒットアンドアウェイであれば、負ける事は無いだろう。しかし、これは勝つ事を捨てた戦法に他ならない。このままでは、膠着状態が続く事は必至で、あくまで時間稼ぎにしかならない。

 そうではない。和沙がやりたいのは、そんな小手先でどうこうする事ではない。

 殺気の籠った一撃でも、技量が伴っていなければ刃が届く事は無い。今はまさにその状況だ。

 虚は付ける。間合いを誤魔化し、あちらの攻撃を寸前で避ける事も出来る。が、その剣先が届く事は決してない。


「……」


 理解はしていたが、やはり通用しないと分かると、再び和沙が腕を下に降ろし、構えとは到底言えない棒立ち状態に戻る。


「そう来なくちゃ」


 どこか嬉しそうな声が仮面の向こうから聞こえてくる。和沙が今まで通りの手段で戦うのがそんなに嬉しいのだろうか? お世辞にも、彼の戦闘方法は正々堂々とはかけ離れたものだ。不意打ち、奇襲、だまし討ち、なんでもござれ。逆に言えば、そうしてこなければ生き残れなかった、とも言えるが。

 彼女はそんな和沙の戦い方を嬉々として見守っている。何がこの人物をそこまで突き動かすのか。


「それじゃ、もうひと勝負いきましょうか」


 この場に、再び火花が舞い散った。

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