二十三話 答えは出ず

 あの衝撃的な戦いから一週間が経った。


 たった一週間ではあるのだが、これまでの動向から智里が動く可能性は高く、巫女隊のメンバー達も準備はしていたが、予想に反して温羅の動きはそう大きいものではなかった。せいぜいが壁際でたむろっているのを見かける程度。中には壁を破壊しようとしているのか、ひたすら攻撃を行っている個体もいるにはいたが、その程度で破壊出来る程軟な造りをしていない。とはいえ、被害は出ていないものの、やはり壁際を見守る自衛軍の隊員にとっては不安を煽るものである為、その度に守護隊を伴った巫女の誰かが出動する事になっていた。

 そして、それは今日この日も同じ事だった。


「……」


 鈴音と彼女の従巫女として追従している守護隊の第八小隊の四人は、ここ最近任務内でもほとんど話す事が無くなった鈴音に対し、心配と不安が混じりあったような目で見つめている。

 心配は単純に仲間として、それなりに良好な関係を築けている間柄としてのものだが、不安に関しては、どんな状態であれ、鈴音は彼女達の指揮官だ、役目を放棄して、自分の都合にかかりっきりになれば、いざという時に正しい指揮が採れない、と思われているからだろう。実際、ここ最近鈴音からは直接どうこうしろ、という指示は飛んできていない。彼女達に対する信頼の表れ、と言われればそれまでなのだが、物思いに耽っているからという事であれば、誰かしらが注意の一つでもするべきだろう。


「……ねぇ~、鈴音ちゃん~」

「……ん? 何?」

「今日は~、どうしたらいいの~?」

「今日? ……あぁ、そうだね、いつも通りでいいよ」

「そういう事を聞いているんじゃないんだけどな~……」


 やはり漠然とした指示内容に、思わず日和の口から言葉が漏れる。つまり、好きなように動け、という事だ。これをやりやすいととるか、それとも動き方が分からない以上、どうしようも無いととるかは人それぞれだろう。少なくとも、日和という小隊長がいる以上、彼女以下の従巫女は問題無いだろうが、逆に彼女がいなければどうすればいいのか、という話になりかねない。事実、鈴音が指揮をとらなくなった事で、日和が攻撃から場の状況の確認に入る事が多くなり、敵の討伐速度は目に見えて落ちている。

 やんわりと、ではあるが作戦時間が伸びてきている事に充から指摘を受けた事もある。だが、その事を日和は鈴音に伝えていない。おそらく彼女は、自分達では及びもつかないような問題に直面しているのだろう。それを解決するのには時間と、考える事が必要なんだ、と。

 その為、今日もまた鈴音の代わりに、ざっくりとではあるが、日和が指揮を執る。とはいえ、特別な事ではなく、彼女達四人が従巫女になる前はよく見られた光景だ。今更珍しい事も無い。


「それじゃ~、フォーメーションBね~」


 日和の間延びした、聞く人の力を吸い取るような声に、三人は力強く頷く。

 それぞれが自分の持ち場へと向かう中、鈴音は動かない。というよりも、単に彼女は指揮官として後方に下がって状況を見ているだけだ。そこから判断し、各自に指示を伝えるのだが、今この場において彼女が出張る意味はほとんど無い。ほとんどが小型温羅であり、従巫女の四人でも十分に対応可能な範囲であるからだ。そして、それを日和もまた咎めようとはしない。

 これまでもそれで問題は無かった。ゆえに、この日もここ最近と同じように彼女達はお互い黙って任務を行っていたが、今日に関してはこれが仇となった。




「……ごめんなさい」

「ごめんなさいでは済まないわ。あわや二人共やられるところだったのよ!?」

「……」


 祭祀局本部、普段巫女隊のメンバーが訓練や思い思いの方法で時間を潰している専用の部屋ではあるが、今現在この中では緊迫した空気が漂っている。

 部屋の中にはいつものメンバーが揃ってはいたが、内二人が向かい合っており、片方は床の上で正座をするような形で、もう片方はそれを上から見下ろすような形で対峙していた。

 床の上で正座しているのは鈴音だ。そして彼女の目の前で怒髪天を突いているのは、怒る事自体が珍しい睦月だった。

 喧嘩をしている、という様子ではない。それもそうだ。睦月が怒りを見せているのは、鈴音のとある行動によって、彼女と、彼女の従巫女が怪我をした、という事に対してだ。


 一時間程前、例の壁際の掃除をしていた鈴音達だったが、突如として乱入してきた中型に混乱し、いつも通りであれば対応出来るにも関わらず、ここまで別の事に意識をとられていた鈴音の判断が遅れ、陣形が崩れる事になった。それだけならすぐさま立て直せるのだが、状況を把握しないまま鈴音が戦闘に参加、状況を碌に把握していないにも関わらず参戦した事で指揮系統が混乱し、前中衛役の三人がどちらに従えばいいのか、と迷い、現場で見ている光景と上から見ている光景が違う事もあってか、三人の動きが鈴音の戦闘の足枷となった。それでも何とか戦端をこじ開けようと玲が無理な吶喊を行ったところ、彼女の動きを把握していなかった鈴音と衝突。二人共中型の目の前で多大な隙を晒す羽目になったが、別件で近くに来ていた紫音が援護し、事なきを得た。

 しかし、その衝突のお陰で鈴音と玲の双方が怪我を負い、その事を知った睦月が烈火の如く怒った、という訳だ。

 原因としては、鈴音が上の空だった事が主に挙げられるが、日和が彼女の動きを予測出来なかった、という報告もあるが、そちらに関しては鈴音を庇う為のものだろう。彼女達にしてみれば、立場上の上下関係はあるものの、友人である事には変わりは無い。そんな人物が叱責されていては、フォローの一つも出てくるというもの。

 だが、日和達が思っている程、事は単純ではなかった。


「貴女がどういう立場にあるのか、それは分かってるわよね?」

「はい……」


 責任感が強く、兄からは強かなところはあれど、クソ真面目なと評価されるくらいには役目に忠実な鈴音の事だ。自分がどういう立場なのか、というのは嫌という程分かっているだろう。それだけに、今回の件は彼女としても重く見ているのだろう。言い訳もせず、黙って叱責を受けているのはその証拠だ。


「なら、貴方の判断一つがどれだけ部隊に影響を与えるか、分かっていたはず。にも関わらず、今回このような事故が起きた。ミスの一言では済まされないのよ? 分かってるの?」

「……はい」

「筑紫ヶ丘先輩、その辺で……。鈴音ちゃんも分かってるみたいだし、次ちゃんとすれば……」

「次、なんてあるかどうか分からないのよ!」

「それは……」

「一度のミスが命取りになる。巫女なんてものをやってるなら、常に頭に入れておくべき事よ。次があるから、なんてものは通用しない。そこでミスすれば、次が無い可能性の方が高いの。今回は紫音ちゃんが間に合ったからよかったものの、本当なら死んでるのよ!?」

「……」


 鈴音は黙って俯いている。だが、睦月の言葉は彼女の事を考えてのものだ。それに対し口を挟むなど、誰が出来ようか。それを理解してか、年長組の二人の口を挟まない。……紅葉は別として、明に関しては睦月が怖い、という理由で口を出そうとしない、というのみあるだろうが。


「そろそろその辺で終わりにしてもらえないか?」


 年長組が黙るしかなこの場において、唯一口を挟む事が出来たの二人の内の一人、瑞枝が部屋に入って来る。まぁ、挟む事が出来たとはいえ、紫音はすぐに説き伏せられたが。


「ですが……!」

「今回の件は確かに危険極まり無い事だったが、本人もこうして反省している。何より、ここ最近全くと言っていいほどお前達に関与出来ていないんだ。無用な仕事を増やさないでくれ」


 そう、例の樹が立ってからというもの、瑞枝はずっと市民からの陳情やクレーム対応に追われていた。その結果、巫女隊の管理もおろそかになり、彼女達の現状を把握出来ていなかった、という事もあってか、瑞枝の態度はどちらかというと鈴音に同情的なものだ。だからこそ、復帰した今、いきなり面倒な仕事を押し付けられる事を嫌がっているようにも見える。


「しかし、私が不在の間に随分と複雑な状況になっているようだな。織枝様から聞いたが、敵にミカナギがいる、とは……。どう処理をすればいいのやら」


 処理、とは別に件の人物をどうやって倒すか、ではない。単にどう記録に残すか、という意味だ。彼女自身の話し方や見た目が災いして勘違いされがちだが、別段物騒な性格をしているわけでは無い。


「もしかして……」


 睦月が何かに行き当たったのか、鈴音へと視線を向ける。彼女は依然俯いてはいたものの、先ほどまでとは異なり、まるで睦月の反応が図星である事を示しているかのようだ。


「最近上の空だったのって、例の御巫を名乗る人の事を考えてたの?」

「…………はい」


 長い沈黙の後、ようやく鈴音が白状する。ここ最近、任務に身が入らなかったのは、彼女の存在との事。だが、それは睦月達として同じく問題として取り上げているだけに、鈴音一人が考え込むような事ではないのだが……。


「件の人物は鴻川兄の母親、と言っていたな。君たち兄妹に血が繋がっていない事は知っていたが、まさかとは思うが、鴻川兄も自分の事を御巫だ、などと思い込んでいるんじゃないだろうな?」

「……」


 思い込んでいる。そんな簡単な問題であれば、鈴音がここまで悩む事はなかっただろう。彼の人物の本当の名と、何故存在するのかを知っている以上、彼の母を名乗る女性が出てきた時点で、それは鈴音の頭を悩ませる最大の要因となるのだ。

 おまけに、事の真相を知っている本人はその事を巫女隊メンバーに問い詰められても涼しい顔で素知らぬ顔をしている。知らないはずが無いだろう。神流は自分の事を御巫と名乗ったのではなく、呼ばれたのに反応したのだから。そもそもの元凶は、彼女に強い印象付けた和沙なのだ。


「それに関してはこちらでも調べている。が、佐曇支部に問い合わせても暖簾に腕押し、といった具合だ。何を隠しているのかは分からないが、とにかく口外する気は無いらしい」


 誤魔化している? 本当に誤魔化せるだけの情報があれば、どれだけ良かった事か。口外したくないんじゃない、口外出来るような情報が無いのだ。かつてこの国を救う為に命を賭して戦ったはずの和沙の記録が、歴史上から一切合切抹消されている。教えろ、と言われたところで、彼がこの時代に来てからの事くらいしか分からないのだ。後は本人に聞くくらいしか知る方法は無い。


「だが、妹であれば事情は知っているはずだ。……そう思っていたのだが、鴻川も任務中にヘマをするレベルで悩んでいるようであれば、問い詰めるのも気の毒かと思ってな」

「……私から言える事はたった一つだけです。仮に、あの女性が兄さんの本当の母親であったとするなら……ありえないんです、存在する事自体が」

「ふむ、詳しく聞かせろ、と言ったところで無意味なんだろうな」

「申し訳ありません……。私の口からはこれ以上は……。後は、本人の口から聞いて下さい、としか。とはいえ、物証は無く、兄さんの口頭のみなので、信用出来るかどうかは人にもよりますが」

「そうか。なら本人を……、と思ったが、こちらもこちらで難儀な事になっていてな」

「何かあったんですか?」


 瑞枝は難しい顔をしている。どうやら情報収集の時点で、壁にぶち当たった模様。


「織枝様からの指示でな。この件には緘口令が敷かれている。

「それじゃあ……」

「そうだ、満足に情報収集をする事も出来ん。そのうえ、渦中の人物を織枝様自らが匿っている、ときた。個人で当たるにしても、相当難しい話だ。一筋の希望を辿って鴻川に泣きつきでもしようかと思ったが、それも叶わないようだしな」

「緘口令が……」


 忌々し気に瑞枝が言い、その言葉を反芻する紅葉。だが、今回の件はそれほどまでに深刻だという事だ。対処を間違えば、祭祀局の信頼を地に落とす事になりかねない。それどころか、これまでの襲撃が悪質なマッチポンプととられる事も無いとは言えない。事実、長尾が行っていたのだ。それと共に明るみに出れば、バッシングを受けるのは織枝だけでは済まないだろう。


「ボクが行って一言添えれば織枝様も聞いて……」

「くれるわけ無いだろう。そこいらの女性と一緒にするな。曲がりなりにも御巫家のご当主だぞ」

「……その御巫家自体が、偽物だったり」

「「……」」


 これまで瑠璃と傍観を決め込んでいた千鳥が小さく呟いた一言、これにより、部屋の中がまるで吹雪いているかのように凍り付く。瑞枝と紅葉は咎めるように千鳥に視線を向けたが、発言した本人はいつの間にか瑠璃の後ろへと隠れている。

 だが、そんな絶対零度の空気の中で、唯一汗を滝のように掻いている人物がいた。鈴音だ。

 かつて彼女の前で和沙は祭祀局を統率している御巫家は何だ、という質問に対し、こう言った。


「知らない」


 と。

 ついでに言えば、和沙がこの時代に来ている時点で、御巫家は完全に衰退している、とも。

 つまるところ、織枝は和沙の直系ではない。名乗るのに何らかの理由はあるのだろうが、そうだとしても、この事実が表に出れば、現代の御巫家はまず確実に凋落する。それも、緩やかに、ではない。今鈴音が掻いている汗の如く滝のように、だ。

 今この国の実権を握っているのは祭祀局だ。その中でも、御巫家が中枢を牛耳っているものが過半数に至る。だが、ここで御巫家が偽物であると判明すれば、この国の政治関連は間違いなく混乱する。その結果、他国が隙を突いて介入してくる、ならまだいい。国の最高責任者が不在となれば、各地の温羅やその被害に対する対応も確実に遅延する。それだけは防がなくてはならない。

 この場での話し合いは一度棚に上げ、鈴音は和沙とこれからどのようにこれらの事態に対応するのか、話し合う必要がある、と考えていた。

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