第237話 クロワッサン・パーティ

 ヴェスティビュールの店内には、クロワッサンが並んでいた。

 店を閉める前にやって来たアーニャが持ってきてくれたものだ。

 アーニャは先ほど、見た事のない人物と食事をしにやって来たのだが、聞いた話だとそれは国の王子であるロベール殿下なる人物らしい。

 確かに王女のフロランディーテとどことなく似通った風貌をしているとは思っていたが、やはりだ。おまけにこのエア・グランドゥールの経営者の一人だという。アーニャがガチガチに緊張していたのも無理のない話だ。

 そんなガチガチに緊張していたアーニャは、仕事を終える時間になると再びやって来て、「今日視察に行ったお店のクロワッサン、よかったら食べて」と言って袋を差し出してきた。商業部門の人たちに配ったらしいのだが、余った分を持って来てくれたらしい。

 有難いので受け取り、閉店後にこうして食べている。

 普通のクロワッサンをはじめ、クロワッサン・フレーズ、クロワッサン・アールグレイ、クロワッサン・カボチャ<ポチロン>。

 目にも鮮やかな色とりどりのクロワッサンは見ていて楽しいし、異なる味わいというのはとても興味深い。

 もらったクロワッサンは各一つずつなので、全員で試食するべく人数分に切ってあった。例によって閉店まで店に残っているのはソラノとレオ、バッシの三人である。通常より小さめのクロワッサンなので、一人につき一口分ずつだ。


「早速、頂きます!」


 待ちきれないソラノはクロワッサンを手に取り、口へと入れる。まずは普通の味のものから。

 サクリとした軽い食感、続くほんのりとした甘みは砂糖以外に卵、ミルクの優しい味わいだった。

 噛み締めるごとに甘みが感じられ、あと引く美味しさのクロワッサンだった。一口で終わってしまうのが悲しいくらいだ。


「フゥファニイ兄弟のクロワッサンは相変わらずうまいなぁ」


 同じくあっという間に一口で普通のクロワッサンを食べてしまったバッシは、名残り惜しむようにもぐもぐと口を動かしながら言った。

 ソラノは二つ目のいちご味のクロワッサンを手に取りながら首を傾げる。


「バッシさん、このパン屋さん知っているんですか?」

「あぁ、実はフウファニイ家のパン屋は、親戚の酪農家のミルクや生クリームを使ってくれているんだよ。当時、親戚の家はあまり経営状態が良くなかったんだが、フゥファニイ家が品質の良さを気に入って、取引をしてくれてなぁ。その後に彼らの作るクロワッサンが売れたおかげで親戚の酪農家も持ち直したんだ。いくら感謝しても足りないくらいだ」

「そういや、この店で使ってる乳製品も親戚の家だって前に言ってたな」

「おう。王都に近い街で酪農業を営んでいる。そういえば明日、店に来るって言ってたな」

「明日ですか?」

「そうだ。時間が取れたからって言っててな。土産持ってくるって言ってたぞ。ミルクとチーズと生クリーム」

「いいですねえ。搾りたてミルク!」

「生クリームもこってりしてて美味いんだ。デザートに使うと絶品だ」


 言われてソラノはかつて日本にいたときに行った牧場を思い出す。牧場といえば、ソフトクリームだ。濃厚な味わいのソフトクリームとコーンのサクッとした感じが美味しかったなあ。考えるとソフトクリームが食べたくなってきた。

 いやいや、今はクロワッサンに集中しようと首を振って手にしていたクロワッサンのかけらを口に入れた。

 苺の香りが口いっぱいに広がり、クロワッサン生地と絶妙にマッチしている。なるほどこれは、癖になる。次はどんな味だろうと全部試してみたくなるのも頷ける味わいだ。


「生地に粉末にした果物や野菜を混ぜ込む……斬新な発想だな。俺も見習いたい」

「料理にわざわざ違う香りのものを混ぜ込んだら、混乱しないか?」

「そこはやりようだろ。例えば、べニェの衣に何か風味をつけたら……面白くないか」


 べニェというのは小麦粉の衣をつけて揚げた料理の事で、日本では天ぷらが一番近い料理と言える。ふわふわの衣に包まれて揚げるので、中は非常にしっとり、ジューシーな仕上がりになるのだ。ソラノも好きな料理の一つだ。


「今なら春野菜をべニェにするのがいいな。野菜の風味を邪魔しない何かがあればいいんだが」

「あ、私、いいもの持ってます」


 バッシの話を聞きながらソラノが手を挙げる。反対の手には、三つ目となるクロワッサン・アールグレイが握られていた。


「ほう、なんだ?」

「これです」


 ソラノは、今朝仕事に行く前に立ち寄った郊外の市場でもらった抹茶の粉を取り出す。ぱかりと筒を開けると、フワッと独特のお茶の香りが。鼻を近づけたバッシが香りを吸い込むと首を傾げた。


「なんだこれは。煎茶を粉にしたものか?」

「これはですね……抹茶というものです」

「マッチャ?」


 日本食がそれなりに普及している世界でも、抹茶はメジャーではないらしい。確かに使い所が難しいので、それもそうだろう。売っていたおじさんも、「全然売れないからおまけに持っていってくれ」と言ってソラノに渡してくれたくらいだし。


「これを衣に少し混ぜたら、風味が良くなると思うんですよ。私のいた世界だと、抹茶を使った料理やデザート、ドリンクなんかが溢れてましたし」


 おじさんがおまけにくれた抹茶が早速役に立つとは思わなかった。抹茶は粒子のように細かな粉末状になっているし、入れる量の加減ができる。入れすぎると苦いけれど、ほんの少しならば風味づけにピッタリでは無いだろうか。


「抹茶には無限の可能性がありますよ。私が自信を持って断言します」

「そこまで言うなら……やってみるかぁ」


 バッシはどっこいしょと腰を上げ、春野菜のべニェの施策に取り掛かる。


「俺も手伝う」

「よろしくな」


 レオも立ち上がり、バッシのサポートへと回る。調理段階になるとソラノに出来ることはほぼ無い。調理は、その道のプロに任せるべきである。

 どんな料理が出来上がるか。バッシの作る料理をわくわくと待ちながら、ソラノはアーニャの土産のクロワッサンを口へと運んだ。


+++

本日コミカライズの最新話が更新されました。王都にお出かけです。

https://comic-growl.com/episode/2550689798901601905

また、漫画の1巻が11/8に発売予定です。

https://comic-growl.com/article/bisutoro


別作品「もふもふと行く腹ペコ料理人の絶品グルメライフ」の書籍版1巻も10/30に発売します。是非ともよろしくおねがいします。

https://kakuyomu.jp/works/16817330669730532121

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