第75話 ブイヤベース

 ブイヤベース。簡単に言うと「魚介の煮込み料理」だ。

 鍋にエリヤ油オリーブをたっぷりとひき、みじん切りにしたニンニクと玉ねぎ、セロリ、長ネギリーキを炒める。香りが出て来たらフレッシュ・ペースト両方のトルメイトマトと白ワインを加えて煮込む。

 セロリもリーキも魚の臭みを抑えてくれる香味野菜で、ブイヤベースにぴったりだ。

 そこに魚介類を入れるのだが、本日はカサゴ、ホウボウ、魔物の一種のアーマークラブとシブリーダイを入れてある。使う魚介類は市場で仕入れた新鮮なもの。

 アーマークラブは硬い殻を持つ五十センチほどのカニの魔物。ハサミに気をつけ関節を狙って矢や剣で攻撃して倒すとのことだ。

 シブリーダイは鯛に分類される魔物で、鱗の真ん中に的のようなまん丸い黒い点があるためシブリーマトダイと呼ばれているらしい。強さでいえばあまり強くなく、鋭い歯でつり竿を噛み砕いてくるらしいが、魔法で鱗の黒点を狙えば簡単に倒せるらしい。

 これらの魚介類は一口大に切り、ワインと塩を振って下処理をしておく。

 鍋が煮立ったら魚介とハーブ、水を加えて丁寧にアクをすくいながら煮込めば完成だ。

 店ではここにニンニクと赤唐辛子のマヨネーズルイユソースニンニク入りマヨネーズアイオリソースのどちらかを添えて出すことにしている。


「そこの店員さん、ちょっといいかニャ」


「はい」


 そのブイヤベースを上品に食べている二人の猫人族がソラノを呼びつけた。時刻は午後の八時を過ぎ、店は満員だ。次々とやってくる客に対応し、ソラノは時に注文を聞き時に料理を運び、合間にワインのおかわりを注いだりお会計をしたりと忙しい。

 店は夕飯時から閉店前までが最も賑わっていた。どれほど忙しかろうが笑顔を絶やさないのがソラノの信条だ。


「いかがしましたか?」


 呼ばれたソラノはテーブル席へと素早く移動し、お伺いをたてる。


「うん」


 猫人族というのは、見た目は二足歩行する猫そのものだった。壁際のハンガーには彼らが身につけていた小粋な紫の中折れ帽と、同じ生地の金色の刺繍がついたジャケットがかけられている。一人がズボンを履きもう一人がスカートを履いていること、そして声の調子に高低があることからおそらく男女の二人組なんだろうといううことが察せられる。

 この猫人族もカウマン一家牛人族も、獣人族は見た目で年齢や男女の区別が非常につきにくい。


「このブイヤベースはとても美味しいニャ」


「ありがとうございます」


「前菜も良かったし、ワインも美味しい。でもこのお店には決定的に欠けているものがあるーー何かわかるかニャ?」


 もったいぶった調子でそう言う男性の猫人族。灰色の毛並みに覆われた顔についているグリーンのビー玉のように大きな目がソラノを見つめている。ソラノは少し考えて首を横に振った。

 すると猫人族の男性は鉤爪が鋭い指を一本ピンと立ててこう言った。


「この店には音楽が欠けている」


「音楽……」


 納得した。確かに店にはBGMというものがかかっていない。というかそれはほとんど不可能な話だった。店を改装するにあたって、一度話に出したことはあった。

「お店に音楽かけられないんですか?」と何の気なしにソラノが尋ねたのだ。そこで返って来たカウマン一家からの返事は「無理だな」の一言に尽きる。

 この世界にレコードの類は存在している。蓄音機もある。

 だがそれは、手回しするタイプのやつだった。自動で再生できる電気式蓄音機に代替する発明がこの世界ではまだなされていない。よって音楽といえば生演奏か手回しの蓄音機を利用するかの二者択一となっている。

 高級な店であればピアニストやちょっとした楽団を雇い、食事とともに音楽を楽しむこともできる。実際この空港でもそうした類の店は存在するし、ソラノが以前バッシとともに行った店もそんな感じだった。しかしこの狭い店内でそれを実行するのは実質不可能だった。お金だって余計にかかるし、場所も取ってしまう。ないのが普通ということだったので、そんなもんなのかとソラノも納得した。

 

 しかしこの猫人族は二人合わせてそのかぎ爪付きの指をチッチッチ、と左右に振る。

 

「諦めちゃいけないニャ。確かにプロを招いて演奏するのは色々と大変だ」


「だから私たちがこのブイヤベースのお礼に一曲プレゼントするニャ」


 二人は床に置いてあったかばんを開き、楽器を取り出した。アコーディオンとサックスに似た楽器だが、どちらもキーの数が尋常ではないくらい多い。器用に爪先を添え、トントンとリズムをとる。そして二人はーー演奏を始めた。


 決して広くはない店内に音楽が溢れる。軽快なアコーディオンとサックスの音色が奏でる音楽はジャズに似ている。二人の演奏は息ぴったりで、店内のお客は思わず食事の手や会話を止めて演奏に聴き入った。


 アコーディオンの音が弾んでサックスの低音がそれを追いかける。高低入り混じった音は伸び、弾み、時に途切れる。しかし指先を見ているとキーは確かに叩いているようだから途切れたと思っているのはソラノだけかもしれない。振り向けばカウンターから顔を覗かせているバッシの耳は動いているから、おそらく人間族には聞き取れない音を出しているのだろう。螺旋階段のように音と音とが絡まり合って巧みなハーモニーを奏でていた。緩急をつけた音楽は明るく、体でリズムを刻みたくなるような曲だ。

 音楽は店内に留まらず、第一ターミナルへと流れていく。気がつけば店の前には小さな人だかりができていた。


 曲が止んだ時、店内外から拍手が溢れた。


「ブラボーッ!」

「いい演奏だ」

「美味い料理に加えていい音楽が聴けるなんて最高だな!」


 口々に褒める店内客に、外で聞いていた空港利用客。


「すごいですね!」


 ソラノも拍手喝采だ。日本のカフェの店内で流れているBGMはこんなに真面目に聞いたことはなかった。生演奏の迫力は違う。思わず聞き惚れてしまう。


 スカートを履いた女性の猫人族はアコーディオンを降ろし、聴衆に向かってお辞儀をした。そして糸のように目を細めてーー語り出す。


 二人は南国の出身だった。メディーティエースは国の南端、人魚族も顔を出すような美しい海に囲まれた場所にある。当然魚は豊富に獲れ港町には新鮮な魚を使った料理で溢れていた。

 だから二人は気がつかなかった。


 音楽の才があった二人は国を出て音楽家として方々を渡り歩いて演奏する生活をし始める。猫人族はあまり生まれ育った土地を離れないため二人はかなり特殊だった。各地でコンサートを開いたりストリートライブをするうちに二人の名は徐々に広まっていき、そして行く先々で声をかけられるようになった。お金に困らず、好きな音楽を生業として生活する日々。それでも二人の心はーー浮かなかった。


「美味しい魚料理が食べられニャい」


「うん……」


 どこの国に行ってもメディーティエースで慣れ親しんだ魚料理を食べることができなかった。内陸の国に行けば言わずもがな、外界に面した国であっても味がどこか違う。

 二人は美味しい魚料理をひたすらに求めた。故郷に帰る、という手もあるがそれにはまだ早い気がした。気ままに各地を旅し、音楽を広める生活は性に合っている。故郷は料理こそ美味しいが刺激が足りず、そして音楽への熱量も足りていない。

 そんな気持ちのまま二人はグランドゥール王国を次なる拠点と定め、やって来たところだった。そして船を降りて何の気なしに入ったビストロ店で運命の出会いを果たす。


 数種類の魚をたっぷりのトマトと水で煮込んだブイヤベース。臭みを抑える野菜とハーブで煮込んだこの料理は故郷のものに比べれば遥かに上品であるものの、本質としては変わりがない。ブイヤベースは魚の煮込み料理。漁師たちの味だ。

 一口味わい確信した。濃厚ながらもしつこすぎない魚介の旨味がふんだんに溶け出したスープ。骨のアラまで使われたスープは余すことなく魚の味が染み込んでいる。魚介も一種類ではなく数種類使うことで複雑な味わいが出ていた。一緒に入っている野菜も魚の味を邪魔せずいい引き立て役になっている。


 食べ終わる頃には満ち足りていた。そして二人は同時に思う。

 この店に音楽がないなんてもったいないと。

 どちらともなしに店員を呼び、気づけば音楽を奏でていた。

 それは遠く故郷でよく弾いていた思い出の曲だ。漁から帰還した漁師たちの無事を祝い、酒場で歌う歌の曲。決して上品な曲ではないが温かみのあるその曲が二人は好きだった。


「……だからね、店員さん。こういうのはどうかニャ」


 語り終えた女性の猫人族は一つの提案を出して来た。


「ワタシたちはしばらくこの国の王都に滞在する予定ニャ。そしてたまにこの店に来て、生演奏を披露する。ギャラは飛行船の往復運賃と食事代、食事にはブイヤベースを用意してもらうことーーっていうのはいかがかニャ」

 

 ソラノはバッシを振り向いた。彼はニカッと大きな歯をむき出しにして笑う。


「これだけの演奏に対して破格の条件だろう。こちらからお願いしたいくらいだぜ」


「だそうです!」

 

 ソラノも笑顔を返した。


「交渉成立だニャ」


「美味しいブイヤベース、楽しみにしてる」


 互いに通信石で連絡を取れるようにし、猫耳族の二人が来れる日には予め連絡をもらうようにする。店内客のアンコールに応えて気前よく二曲目を引き出す二人を横目にソラノは接客へと戻る。


 こうして店ではしばらく不定期で猫人族の生演奏が聴けるようになった。

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