第103話 フリュイ・デギゼ②

 やっぱり今日も会えなかったわ。

 フローラは落胆する気持ちを隠しきれなかった。

 扉横の席では猫人族の二人組が陽気な音楽を奏でていた。王城で聴く重厚な楽団とは違う音色は昨日までならその非日常な音楽を楽しめただろうが、今日は難しそうだ。

 目の前にはデザートの皿。これ一つで後数時間も粘るのは難しいし、帰城の時間は厳しく決められている。

 散々周囲に迷惑をかけておいて何の収穫もなしだなんてあんまりだわ、とフローラは思った。せめて一目見るだけでもできれば、このモヤモヤした気持ちに決着がついたのに。

 しかし言っても詮無いことだった。

 

「ロレッツォ、帰りましょう」


 フォークにデザートで出た最後の苺をぷすりと刺して齧<かじ>る。そのまま食べる苺もいいけれど、こうして飴のかかったものも美味しい。初めて食べる味わいだ。

 けれど大好きな苺もこの浮かない気分を晴らす手助けはしてくれなかった。


「おや姫様、諦めるのはまだ早いかと」


「ここでその呼び方はよしてちょうだい」


 バレたら困ると散々言っていたのはロレッツォの方なのに、ごく自然に姫と呼ばれて注意した。だがロレッツォは悪びれた様子もなく、むしろ愉快そうにしている。


「いやいや、もう隠すのは無理だと思いますぞ」


「どういう意味……?」


 ロレッツォの真意を測りかねてそう問えば、フローラの座る席の前に何者かが立ちふさがり影が落ちる。フローラはそこで初めて目を上げた。


「こんばんは、僕の可愛い婚約者さん。もしかして出迎えに来てくれたのかな」


 その人物は恭しく膝を折り、片膝で座っているフローラと目線を合わせて来る。


「なっ……フィリス様……?」


「三年ぶりだね。フロランディーテ王女殿下」


 そこにいたのは肖像画と瓜二つの美貌を持つフィリス殿下その人であった。流れる金髪、緑の目。体躯は細さと筋肉を兼ね備えた絶妙なバランス、白地に金縁の衣装が似合う、長い船旅の疲れを感じさせない完璧な王子が笑顔を浮かべている。

 唐突な王子の来店に先ほどまで流れていた演奏も止まっている。

 店内は静寂に包まれ、二人の一挙手一投足に注目が集まっていた。


 店の外には大勢の護衛が詰めかけている。

 フローラは覚悟を決めて、ずっと被っていた帽子を脱いだ。万が一にもほつれないようきちんと結われた銀糸の髪が露わになると、店内と店外の人々が息を飲むのがわかった。

 銀の髪は、王族の証だ。

 ゆっくりと帽子を膝へと下ろすとフローラは口を開く。


「お久しぶりですわ、フィリス様。その、随分とお変わりになりましたのね」


「ええ。あなたの婚約者となるべく随分と努力いたしました」


 フィリスは破顔する。


「貴女と出会い、国に帰ってから色々と考えましてね。何せ上に十一人も兄がいるものですから、かつての弱気な僕では愛らしい貴女の隣に並び立つ事などできなかったのです」


「まあ」


 その言葉に胸が高鳴った。

 何のことはない。色々と御託を並べてみたものの、結局フローラは初恋の人が様変わりしていたら、と想像して一人怯えていたのだ。

 しかしどうだろうか。フィリスのこの嬉しそうな表情に嘘偽りなど見えない。

 フローラは拗ねたように言ってみた。


「お手紙の返事がつれなくて、私それはそれは落ち込んだものですの。送るのもいつも私からですし」


「それは本当に申し訳ない。何分女性関係に不慣れでして・・・どう返事を書こうか迷った挙句、いつもつまらない内容になっていたことは自覚しておりました」


「そうでしたのね」


「ところ何を召し上がっていたのですか?」


 空になっている皿を見つめてフィリスが尋ねてきた。


「フリュイ・デギゼという苺を使ったデザートです」


「苺ですか!」


 フィリスの顔がますます輝いた。


「実は船旅の間、いやこの三年間ずっと苺が食べたかったんです。ここで頂けるとは幸運だ。僕にも一皿もらっても?」


「あ、どうでしょう」


 フローラはこの静まり返った店内でどうしたものかと給仕係をちらりと見やる。さすがに素性が知られてしまった以上、居座るのも申し訳のない気持ちになっていた。

 しかし給仕係であるソラノは驚きをおくびにも出さず、さっと動き出した。


「かしこまりました」


 浮かべる笑顔は先ほどまでフローラとしてここに座っていた自分に向けていたものと寸分違わない、親しみのこもったものだ。

 この、フローラとフィリスを中心に時が止まってしまったかのように硬直している店内で、開いたお皿を片付けてテーブルの上をあっという間に綺麗にしていく。


「一皿でよろしいのでしょうか?」


「私にもお代わりを頂けるかしら」


 意味ありげに目線を送られたので、フローラはそう答える。

 できる護衛であるロレッツォはすでに席を立ち、己の座っていた椅子をフィリスに明け渡していた。礼を言いつつフィリスがそこに腰掛けるとフローラと向き合う。

 

 二人は見つめあい、やがてフローラの方が可笑しそうに笑い始める。


「フィリス様、宮廷画家に伝えてくださいませ。目元はもう少し優しく描いた方が良さそうだと」


「ああ、伝えておくことにするよ」


 つられたようにフィリスも笑い出し、和やかな雰囲気が漂う。

 ああ、ずっと待っていたのはこの人だったんだわとフローラは心の底から思った。


「お待たせいたしました、フリュイ・デギゼです」


 テーブルに置かれた、二つのお皿。先ほど食べた透明なドレスを着て洒落込んだ苺が品良く盛り付けられている。


「これは素晴らしい」


 フィリスがフォークに苺を通した。フローラもそれに倣<なら>う。

 ゆっくりと味わうようにフィリスが口を動かした。


「そのままの苺も美味しいけど、こうして水飴を纏うとまた味わいが変わるね」


「そうですわね。知っていまして?デギゼというのは「変装」という意味なのだそうですわよ」


「成る程、洒落た名前ですね」


 そこでフィリスは皿に乗った苺とフローラのことを見比べる。


「うん、姿を変えても可愛らしい。むしろ一層可愛らしさが増しているかもしれません」


「まあ」


 その真意を汲み取ったフローラは思わず赤面した。フィリスは嬉しくてたまらないという顔をしてデザートを口にしている。見かけこそ凛々しくなったものの、その表情は三年前と何も変わっていなくてフローラはホッとすると同時に愛しさが込み上げてきた。

 誤魔化すように二つ目の苺を口にする。


「控えめな甘さなので二皿目も軽く頂けそう」


「二皿目なのですか?」


「ええ。先ほどの空いたお皿を見ていましたでしょう」


「では僕もお代わりをしようかな」


「冗談がお上手ですわね」


 他愛もない会話をしながら、三年ぶりの思い人との食事を楽しむ。

 止まっていた音楽が再び鳴り出した。王都でも有名な春の到来を寿<ことほ>ぐ祝いの曲だ。アコーディオンとサックスのみで奏でるその音は、楽団のものよりも親しみがあり暖かい。店の雰囲気にぴったりだ。


「君と食べる苺はどんな料理よりも美味しい」


 フィリスは嬉しそうな顔をして苺を頬張っていた。婚約の話を聞いて以来胸の中にわだかまっていたものがすっと溶けていく。まるで三年前のあの春の庭園に戻ったかのようだった。


「奇遇ですわね、私もそう思います」


 まだ十代前半の幼い二人の王族が向かい合わせて空港の片隅にある小さなビストロ店で食事を楽しむ。城の広いテーブルに腰掛けるよりよほど気軽で、不思議だけれどもこの距離感が心地いい。

 二皿目のデザートは先ほどよりも、数倍美味しく感じた。



ーーーそしてこの日の夜、王女殿下と婚約者の王子殿下が仲睦まじく空港のビストロ店でデザートを召し上がった、という噂が瞬く間に王都中に広がることとなった。

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