第102話 フリュイ・デギゼ①

 時間は少し前に遡る。

 管制塔に常勤している管制官の課長ヴィクトーは遠視の魔法を使ってその船の姿を確認していた。

 オルセント王国フィリス王子の乗るガレオン船は遠目でもわかるほどの絢爛豪華さを備えていた。王族が利用する外交船はその国の威信と国力の象徴であり、どの国であっても最新鋭の技術と賑々しい装飾を湛えた船を造る。

 船からの通信が入った。クリアな音声が塔に備え付けの特殊な通信石から聞こえて来た。


「こちらオルセント王国フィリス王子殿下のおわす飛行船です。着港するターミナルの指示を下さい」


「こちらエア・グランドゥールの管制塔。第三ターミナルへお願いいたします」


「了解致しました」


 指示を出したヴィクトーはフーッと息をつく。船は次から次へとひっきりなしにやって来るが、この船に関しては特別だ。何せ王国が誇る第七王女の婚約相手が乗っているとなればわずかでも粗相や手違いがあってはならない。


「いらっしゃいましたね、王女様の婚約相手」


「ああ」


「第三ターミナルの空港案内係グランドスタッフに報告します」


「頼む」


 部下の一人が飛行船向けではなく職員向けの通信石を起動して連絡を取っているのをヴィクトーは耳を澄まして聞いていた。

 公の婚約発表はまだであるが国中の人間が知っている、いわば公然の事実だ。

 船首を向けて進んで来る船に向けてヴィクトーは静かにお辞儀をした。




「いよいよいらしたわ、皆準備はいいかしら」


「はい!」 


 第三ターミナルに勤務する空港案内係グランドスタッフのローザは一列に並ぶ職員の列に加わっていた。手荷物の類などはないため、通常の仕事とは異なりここでは出迎えのみとなる。整然と居並ぶのは制服をきっちり着込み首元でスカーフを結んだ空港案内係の職員たちと、護衛を受け持つ保安部の面々。どちらも部門長を筆頭として豪華な顔ぶれが揃っており、緊張した空気が流れていた。


 無理もないわ、と胸の中で独りごちる。国の第七王女は愛らしい見た目から国民に愛されている人物だ。そんな人の婚約者を迎えるのだから緊張するなという方が無理がある。噂ではフィリス王子の方も凛々しい見た目の傑物であるらしいし、お似合いの二人だと目下評されている。


 ターミナルにある大きな窓から巨大なガレオン船が滑るように着港するのが見て取れた。

 接続口が音もなく伸び、ガレオン船のエントランス扉が開く。

 大勢の足音が床を叩く音が響いた時、ローザは頭を下げてフィリス王子の来港に備えた。



+++


「エア・グランドゥールへようこそ。大変な長旅お疲れ様でございました」


「こちらこそ、このような出迎えをして頂き大変に嬉しく思っております」


「僭越ながら当港の保安部部門長である私ミルドと部下の者で空港内及び飛行船内の警護を請け負わせて頂きます」


「よろしくお願いするよ」


 空港職員の歓迎の言葉を受けフィリスは丁寧に挨拶を返した。ズラリと居並ぶ職員の人数に圧倒されることもなく案内されるがままに歩き出す。三年前は自国の空港との圧倒的な規模の違いに驚き萎縮してしまったものだが、今はそんな無様な姿は晒さなかった。

 この三年で様々なことを経験し、もてなされることに慣れていた。悠々と周囲を観察しながら歩く余裕さえある。

 たとえ王族であろうとも一度このエア・グランドゥールで下船をし、それから第一ターミナルにへりを寄せている船に乗り換えて王都に降りなければならない。乗って来た船の検査と修繕という名目だが、この世界に名だたる素晴らしい空港を見せつけたいだけなんじゃないかとフィリスは睨んでいた。


「三年ぶりに来ましたが、こちらの空港は素晴らしいですね。我が国も見習いたい」


「お褒めいただき恐縮でございます」


 四方八方を自国から連れて来た護衛と職員に囲まれながらフィリスは言葉を発する。十五歳という年齢の自分を舐めてかかるような愚かな人間はここにはいない。


「確かターミナルの数は十でしたっけ」


「左様でございます。中央には飲食と物販が楽しめるエリアが」


「僕も気軽にショッピングを楽しんでみたいものです」


「ご用命とあれば随行いたします」


 ミルドの言葉にフィリスは愛想笑いを返す。随員が沢山いては楽しめるものも楽しめない。気軽に、という部分に関しては難しそうだ。

 空港は割合高位な者達が利用する場所だが、それでも王族は滅多にやって来ない。前後左右をがっちりと固められたフィリスに、利用客達は自ずと道を開けてくれる。買い物中の小さい子供が興奮したようにこちらを指差し、母親にたしなめられていた。フィリスが手を振ると子供はブンブンと手を頭の上にあげて大きく振り返してくれた。


 中央エリアを抜けて、第一ターミナルへ。第三と第一に関しては割合近いのにわざわざ中央エリアの真ん中あたりを通って行くあたり、やはり空港自慢なんじゃないかと勘ぐってしまう。

 確かにここは素晴らしい場所ではあるが、フィリスとしては一刻も早く王城へ向かいたかった。

 三年間焦がれ続けた、愛しのフロランディーテの元へと今すぐにでも馳せ参じたい。

 釣書の肖像画の中から微笑む彼女は一層可愛らしさに磨きがかかっていて、絵だというのにときめいてしまった。

 

 第一ターミナルに着けば窓から大型の飛行船が見える。


「さすがに船は一般のものとなりますが、船内は貸切になっておりますのでご安心を」


「色々と手をかけてしまってすまないね」


 そう言いつつも船に乗り込もうかと足を進めていたその時。

 ふと、音楽が耳に届いた。


「こんな場所で楽隊が?」


 これも歓迎の一種かと足を止めて思わず音の出所を探る。ターミナルの隅にあるガラス張りの小さな店が目に止まった。


「さすが世界最大の空港ですね、あのように小さな店にも音楽家を雇い入れるとは」


「いえ、あちらは不定期で開催される演奏会のようなものです。殿下が目に入れるほどの場所ではないかと」


「ふむ……」


 緑の髪に眼鏡をかけた空港職員の一人がそう声をかけて来た。

 しかし、そう言われると却って興味をそそられる。

 少し近寄ってみれば、柔らかい光が灯る店の中にはラベンダー色のワンピースを纏った客の姿が見て取れた。

 まさか、あれは。

 形は違えど記憶と寸分違わない色のワンピースを見つけてしまい、フィリスの心は落ち着かなくなった。こんな場所にいるはずがないという思いと、まさか自分に会うためにここまで来てくれたのかという淡い期待がないまぜになる。もしかしたら全くの別人で、恥をかく羽目になるかもしれない。

 しかし確かめずにはいられなかった。

 フィリスはくるりと護衛達と職員を振り向く。


「ちょっと気になるので、あの店へ行ってみても?」


「え、ええ。もしご要望でしたら」


 そうしてフィリスは足早にその店へと向かう。

 店の名前はビストロ ヴェスティビュールとあった。

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