第101話 パプリカ・ファルシ

一体あいつは何やってんだ?

 ルドルフの脳内には疑問符が渦を巻いていた。原因は言わずもがな、かつての相方デルイのせいだった。

 別の仕事があるからとオルセント王国フィリス王子の護衛を外すよう依頼されたのはつい先日で、結局穴埋めをできる人間がいなかったためルドルフが護衛の任に就くことになった。それはまあいい。

 しかし肝心のデルイは何か特殊な仕事をしている様子はなく、それどころか定時に上がっては残りの仕事をスカイに押し付けて自分は食事を楽しんでいると言う。一体どういうことなのか、本人に問い正そうにも一緒に働いているわけではないためそんな時間はあまりなく、一言二言交わしてものらりくらりとかわされてしまっている。

 周囲からの批判は厳しく、その小言はなぜかルドルフに集まった。

 どうして俺に言うんだと言えば、あいつに直接言っても皮肉を返されてイラつくだけだからという不毛な答えが返って来る。いい迷惑だった。


 仕事に不真面目な人間ではなかったはずなのだが。ならば今の状況はどう説明すればいいのだろう。それともミルドが言っていた別の任務というのは建前で、実は何かをやらかして護衛を外されただけなのだろうか。そして腑抜けになってしまったとか。

 にしては食事を一通り楽しんでから戻って来てスカイの作成した報告書に目を通しているというのだから、よくわからない話だ。


 考えても答えは出ず、そして王子がもう間もなくやってくるのでかまけている時間はない。各部署への連絡調整、ターミナル間移動ルートの最終確認、護衛人数の確認。やることは挙げても挙げてもきりがない。自分としても久々の護衛任務に少し心が緊張していた。

 と、そこへミルドがやってくる。


「おーい、ルドルフ」


「何でしょうか」


「お前昼飯食ってないだろ」


 予想外の言葉をかけられて虚を突かれた。言われてみれば今日は朝に出勤してから一秒たりとも休みを取っていない。すでに夕刻を回っていて昼食の時間などとうに過ぎていた。


「休みはちゃんと取らんと。今からあの店行って食ってこい」


「いえ、ですがもう後一時間もしないうちに王子の船が着港します。終わってからの方が……」


「来るからこそ腹ごしらえしておかんと。来てからだとまた何時間も拘束される」


 それも一理ある。まっすぐ王都に降りるにしても時間というものはどうしてもかかる。


「ほれほれ、あの店行って食ってこい」


 ミルドは念を押すように同じ言葉を繰り返した。ルドルフは少し違和感を覚えて、内心で首を傾げつつも「はい」と答えて立ち上がる。


 あの店に何かあるのか?

 店が建て直るまでは色々とあったが最近は落ち着いていたと思っていた。それとも自分が預かり知らぬところで何かが起こっているというのか。

 疑問に思いつつも早足で第一ターミナルへと向かい、職員用通路から抜け出て利用客でごった返す場所を抜ける。少し開けた空間の向こう、ガラス張りの真新しい店構えから開いた扉を入っていく。


「いらっしゃいませ! ルドルフさん、お疲れ様です」


「や、ソラノさん。少し急いでいるのですぐに食べられるものをお願いできますか」


「はい、かしこまりました」


 店に入ればいつものようにソラノが元気な挨拶を返して来る。まだ席にすら着いていない状態で注文をすると空いている席を探した。店内は満席に近く、不幸なことに一番座りたくない場所しか空いていない。


「お、ルドじゃん」


 カウンター席でのんきに料理をつついているデルイの隣だ。


「お前な……」


 込み上げて来る呆れと怒りのままに隣の席を引く。


「こんなところで飯食ってていいのか?」


「そのセリフはそっくりそのままお前に返そう」


「ハハッ、まあそうだね」


 乾いた笑いを漏らしてから魚を口に運んでいる。さすがに申し訳ないと思っているのかワインは頼んでいないようだった。


「引け目を感じるくらいなら残って仕事すればいいだろう。今更残業が何だ」


「うーん、そういう理由じゃないんだよな」


「ならどういう理由で……」


 問いかけた時、丁度ルドルフの分の料理が出て来た。


「お待たせしました、パプリカ・ファルシです」


 正面からソラノによって差し出された料理は肉詰めされたパプリカが上品に輪切りにされて並び、下にライスが敷き詰められた一品だった。一皿で肉も野菜もライスも味わえる今の急いでいる状況にぴったりな品だ。

 ひとまず会話を打ち切ってスプーンを手にする。

 ライスをすくえば白い糸が引いた。口にすれば少し芯が残る米のぽりぽりとした食感と炒めた玉ねぎの甘み、それからチーズの味わいが一緒に広がる。糸を引いていた正体はチーズだったか。


「美味そう、俺も頼もうかな。レオ君、俺にもこの料理ちょうだい」

 

「はいよー」


 あっという間に注文を通し、快活な笑顔で返事を寄越すレオ。

 ルドルフは少し忙しなく手を動かしていた。肉詰めパプリカが輪切りになっているので、下のライスが肉とパプリカの旨味を吸っていてライスだけでも満足感がある。スプーン一つで食べやすいのもいいポイントだった。


「で、結局どうしてこの店に入り浸っているのか、理由は聞かせてもらえるんだろうな」


 二度も釘を刺すようにミルドに言われてやって来たのだ、酒を飲まない理由が引け目を感じているからではないならば、なぜここに留まっているのか。よくよく考えればソラノだって忙しそうだし、一人何時間も店にいて楽しいと言えるのか果たして疑問だ。


「ルドなら気がつくと思うけど」


「気がつく?」


「ああ」


「何かおかしなところでもあるのか」


「どうかな」


 それ以上は言えないとばかりに口を閉ざしたデルイはワインの代わりに水を飲んでいる。

 やはり店に何かあるのか。首をひねって視線を巡らす。

 店内は予約の札が置かれた一席を除いて満席だ。通常の店より高い天井に人々の声が反響している。ソラノは一組の会計を担当していた。

 耳をすませば、どこかで聞いた覚えのある声がした。


「すみませんソラノさん、次のお料理いいかしら」


「はい!」


 元気よくその声に応えるソラノの声がする。窓際に座ったラベンダーカラーのワンピースを身に纏<まと>った令嬢と、護衛であろう壮年の男。

 貴族令嬢と護衛が食事を共にするのは珍しい。よくよく気配を探ってみれば、二人の周囲には幾重にも魔法が張り巡らされている。普通の令嬢にしては過剰なくらいの保護がなされている。

 見つめすぎたのか、令嬢の方と視線が合う。

 

 その顔を見たルドルフは瞬間、自分の顔が強張るのを感じた。


「でっ……!」


 殿下、という言葉はすんでの所で止まり、喉元から出て来ることはなかった。

 なぜならばルドルフの目の前に銀色のフォークが飛んで来てカウンターに刺さったからだ。刺さったフォークはルドルフの手元でビイィィン、と音を立ててわずかに振動している。

 目にも留まらぬ早業だった。

 この店にいる客の全員が、このフォークが飛んで来たことすら気がついていないだろう。それほどの速度だ。見ていたルドルフですらかろうじて軌道が視認できた程度で、反応できたとはお粗末にも言えない。


「すみませんが店員さん、フォークを落としてしまったようで。新しいものをいただけますかな」


「はい」


 フォークを放った張本人である、令嬢の隣に座っている壮年の男が悠々と手を挙げてソラノにそう注文をした。新しいフォークを持って行ったソラノは取り落としたフォークを探して床を見るも、落ちている様子がなくて戸惑っていた。あまり足元をジロジロ探すのも無礼なため、不思議そうな顔をしながらも去って行く。


「ソラノさん、フォーク落ちていましたよ」


「え?? あれ?」


 ルドルフはカウンターに突き刺さったフォークを引き抜いてソラノに手渡した。抜いた場所に四本の小さな穴がくっきりと残っている。随分な手練れだな、と背中を冷や汗が伝う。目にも留まらぬ早業に、正確無比な投擲。なるほどこれが王室の筆頭護衛であるロレッツォか。下手な騎士が十人も二十人もいるよりよほどの強さと警戒心を持っている。

 ロレッツォのいる場所からルドルフがいる場所は割と離れているからソラノはますます頭に疑問符をいっぱいに浮かべている。 結局、「? ……ありがとうございます?」と言いながらフォークを受け取ってくれた。


「で……? 何? 俺の名前でも呼ぼうとした?」


 ソラノが去ったタイミングであまりにもわざとらしくそう言うデルイを見て合点がいく。彼は今のやり取りの間に提供されたらしいパプリカ・ファルシのライスをすくっていた。


「そういうことか」


「まあね」


「まさか十日前からずっと来ているのか?」


「ああ」


 そういうことか。ここ数日のデルイのおかしな行動が全て腑に落ち、同時に恐ろしさを感じた。

 婚約を予定している国の第七王女フロランディーテが、いくら腕が立つとはいえたった一人の護衛とともにお忍びで空港に訪れている。

 何かあったら只事では済まない案件だ。そりゃ層が厚い王子の護衛を外れてこちらの身辺警護に回るよう命じられもするだろう。極秘で進めなければならない案件であり、担当する人間はかなり限られる。白羽の矢が立ったのがデルイだとしても何の不思議も無い。

 何だかんだ五年も一緒に仕事をしていた仲だ、実力は十分に認めていた。


 ため息をつきつつパプリカ・ファルシを口にした。輪切りのパプリカに詰まった肉はライスに肉汁が溶け出しているにも関わらずまだジューシーで旨い。


「婚約者の偵察か?」


「みたいだな。さすがに声をかける事はないと思う」


「ここで鉢合わせする事態だけは避けたいな」


「まあ、こんな小さい店に足を止める事はないだろ」


 ルドルフも頷く。王子たちは通常の利用客と同じく第一ターミナルから王都へ降りる事になっているが、わざわざこの店の目の前に足を運ぶ事はあるまい。

 デルイがそう言った直後に扉から人が入ってくる気配がした。振り向くと、楽器を持った猫人族の二人組がソラノに出迎えられている。


「お待ちしていましたよー、お久しぶりです」


「うん、ブイヤベースあるかな」


「勿論です」


「じゃ、待っている間に一曲」


 いうが早いが予約席に腰を落ち着け、一人はアコーディオン、もう一人はサックスを吹き始める。

 広くはない店内に音楽が満ちる。食事中の客は勿論、ターミナルまで流れる音で人々は足を止めていた。

 ルドルフとデルイは顔を見合わせる。


 音楽は、良いものだ。普段ならば大歓迎だ。しかしよりにもよって今日とは。

 この規模の店で音楽が奏でられるなど普通では考えられない出来事だった。どうしたって目立ってしまう。


「……ルド、時間いいのか」


「そろそろやばい」


 勿体無いが味わっている時間はない。残りの料理を急いで食べて代金を置き席を立った。

 明るい曲調の音が店内に溢れ、弾むような音色を奏でている。これが心の底から楽しめればどんなにいいか。今はただ心配のタネが一つ増えただけだった。


「全部終わったらゆっくり飯を食いたいな」


「ワイン付きでね」


 水を掲げてみせるデルイに苦笑いを返すと、自身の仕事に戻るべくルドルフは店を出た。

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