第100話 白身魚と春野菜のソテー

「あ、やばい。もう上がる時間だ」


 保安部の詰所にかかる時計を見ながらデルイがそう声をあげた。

 周囲の職員はバタバタと慌ただしく走り回ったり書類を書いたり他部所と連絡を取ったりしていて、いつにも増してざわめきが広がっている。暇そうな人間は一人もいない。


「じゃ、スカイ。後は頼んだわ」


「ええっ!? この状況で!?」


 スカイが間抜けな声を上げる。無理もない。今現在二人はつい先程検挙した犯罪人を連行している最中であり、これから騎士団に引き渡して尋問するところだった。そんな中途半端な状況で仕事を後輩に押し付けて帰る人間などそうはいないだろう。

 しかしそうしなければならない理由がデルイにはあった。

 お忍びで空港に来ている王女の護衛。これ以上に重要な仕事など存在しない。

 

 さすがに犯人に逃げられては困るので尋問する小部屋までは帯同する。忙しそうに走り回る騎士の一人を無理やり捕まえて部屋に押し込み、スカイに後の仕事の説明だけした。

 

「尋問終わったら報告書の作成な。出来上がったら後で目を通しておくから机の上に置いといて。お疲れ様ー」


「マジっすか! 先輩!!」


 すがるような声を出すスカイに構わずデルイはさっさと着替えるべくロッカーへと向かった。もう王女は店へ来ているに違いない。護衛には筆頭護衛のロレッツォがいるため何か起こるとは考えにくいが、万一のことを考え急いだ。


「先輩!」


 ロッカーに向かう道すがらについ今しがた別れたばかりのスカイが追ってきた。困惑したような苛立っているような、なんとも言えない表情を浮かべている。


「最近おかしいっすよ。いきなり王太子の護衛を外されたかと思ったらさっさと仕事切り上げて、何してんのかと思ったらあの店に入り浸ってるって話聞きましたよ。先輩はそんな半端な仕事の仕方するような人じゃないでしょう」


 足を止めて話を聞いてみればそんな非難の声が飛んできた。

 どうしたものかと思い悩む時間が惜しい。この状況を最速で切り抜けるための最適解をはじき出したデルイは腕を組み、片眉を吊り上げて薄い笑みを貼り付ける。最近は回数が随分と減ったが、かつて数え切れないほど浮かべてきた表情だ。


「そうは言われても、俺は元々軽薄な人間だよ。仕事帰りに彼女がいる店に行って何が悪いんだ」


「いや、絶対何か隠してますよね。妖樹の時にはあんだけ働いていたのに今回に限っては行動がおかしすぎます」


「ふーん、俺の何を知ってんの。ついこの間組んだばっかりだろう」


「いや、そうっすけど」


「とにかくもう俺の仕事はおしまい。お前は仕事に慣れるためにもさっさと戻って残業しておけ。後で確認だけしておくから」


 まだ何か言いたげなスカイを放置して踵を返す。今後の事を考えるともう少し軋轢あつれきを生まない方法を考えるべきなのだろうが、だからと言って今は急いでいるのだし理由を説明するわけにはいかないからこんな対応になってしまう。

 悪い事をしているな、と思ってもどうすることもできなかった。兎にも角にも王子の到着は本日の夕方、もうすぐそこに迫っている。今日が終わればこの護衛任務もおしまいとなり、そうすれば通常の仕事に戻ることができる。 

 

 多忙を極める保安部の中、定時にきっちり上がり続けるデルイに針のむしろのような視線が集められていることは知っていた。自分の事をよく思わない連中に何を言われているかは想像に難くない。

 だが、それがどうした。

 騎士の家系に生まれついたことで幼少のみぎりより一人魔物が蔓延はびこる森に放り出されたり、貴族のドロドロした駆け引きの中にその身を置いていたことで備わった、強靭なメンタルを持つデルイにとってそんな事は些事に過ぎなかった。

 部門長であるミルドは事情を知っているわけだし、あまりに非難の声が上がればフォローしてくれるだろう。

 そんな事より護衛だ護衛。フロランディーテ王女に何かある方がよっぽど困った事になる。



「お疲れ様です、デルイさん。お席にどうぞ!」


 料理が乗ったお皿を両手に一つずつ掲げながらソラノがそう挨拶をしてきた。いつもに比べてやや適当な挨拶になっているのは店が忙しいせいだろう。


「おーい、店員さん。こっち」


「はい、少々お待ちください!」


 手を挙げた客の一人に呼ばれ、ソラノはデルイの方を見向きもせずに料理を運びに行ってしまった。デルイは窓の方を向いて座るフロランディーテとロレッツォに一瞥をしてからいつもの席に座った。ここが空いているのは、空けてもらっているからだ。席の前には<予約席>と書かれた札が置かれている。それを手先で弄んだ。


「おー、デルイさんお疲れ様っす」


「お疲れ様。忙しそうだね」


「おかげさまで大繁盛。注文どうします?」


 聞かれてデルイはうーんと唸る。いつもならばソラノのおすすめに任せているのだが、これほど忙しそうな時にメニューまで考えさせては申し訳ない。昨日は何を食ったかなと思い出す。確か肉料理、その前も肉料理だった気がする。


「ちなみにデルイさんは四日連続で肉料理食ってますよ」


「え、そんなに連続して食べてたか?」


「おおよ、間違いねえって。今日は魚を食わせろとソラノに言われているから、悩んでいるなら魚にするぜ!」


 快活な笑顔を浮かべながら有無を言わさない口調でレオが言うので、デルイは苦笑しながら「ならお願いする」と伝えた。普段注文するメニューを考えるということをしないせいか、自分で頼むと偏りがちになってしまう。


 山ほどの食器を抱えたソラノがカウンターに戻って来て軽く話しかけて来た。動き回っているせいか額にじんわりと汗をかいている。

 

「こんばんは、今日で十日連続で来てますね。お魚料理にしましたか?」


「うん、レオ君に言われてね」


「よかった、お肉ばっかりだと栄養が偏りますから」


「あ、待って」


 ソラノが会話をしながらデルイのよく頼む銘柄のワインを取り出そうとしたので、待ったをかける。ソラノがキョトンとした顔をして振り向いて来た。


「今日はアルコール無しで」


 そう告げれば大きな黒い瞳が疑念で揺れた。店に来てアルコールを頼まない事など今までに一度も無かったから、戸惑うのも当たり前だろう。


「たまには休肝日」


「そうですか……?」


 全く信用していなさそうな表情で、しかし一応納得したのかワインを引っ込めた。そのままバッシから出来立ての料理を受け取って、差し出して来る。


「じゃあお酒がない分まで料理を味わってくださいね!白身魚と春野菜のソテーです。バゲットもどうぞ」


「ありがとう」


 ソラノは何か言いたそうな目を向けて来るも、結局何も聞いて来なかった。

 聞いてもちゃんとした答えが返ってこないことを知っているのか、それとも仕事中に私情を挟むべきではないと思ったのか。

 いずれにせよ聡い子だなぁ、と思ってしまう。そしてそれゆえに申し訳なさが胸に押し寄せる。仕事柄、話せない事など両手の指では足りないくらい存在するが、同じ場所で働いている以上色々噂は耳に入って来るだろう。モヤモヤした気持ちが燻っていたとしてもおかしくないのに聞かないという選択をし、いつものように振舞う姿は健気だ。


「あ、ごめんなさい、行きますね。ごゆっくりどうぞ!」

 

 そして笑顔を残してカウンターから出て行ってしまう。

 目の前の皿に視線を落とした。白と緑のアスパラが添えられた白身魚のソテー。身をナイフとフォークで切って口に入れれば、絡んだソースの味わい。これはバジルのソースか。

 カリカリのバゲットに合わせて食べ、無意識にカウンター上に伸ばした手が空を切った。


「おっと」


 つい今しがた断ったばかりだというのに、いつもの癖でワイングラスを掴もうとしていた。収まりが悪すぎるので果実水を手にとって飲み込む。爽やかな味わいの果実の水は、これはこれで美味しいけれどやはり物足りなさを感じる。


 ワインが飲みたい。バジルソースに合う、清々しい味わいの白ワインがいい。

 

 けれど今日ばかりは駄目だった。これから王太子が来ることを知っていて、そしてこの店に王女がいることを知っていて、それで尚ワインを飲める程愚かな人間ではない。


 船の着港までもうあと一時間程だ。管制塔からは見えていることだろう。ターミナルの一つを丸ごと貸し切っての着港に、その後は移動してここ第一ターミナルから王都へと降りる。


 何も起こらず穏便に終わって欲しいとデルイは心底から願った。

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