第99話 グリンピースのポタージュ
「お待たせいたしました、グリンピースのポタージュです」
フローラたちの前に次に運ばれて来たのはグリンピースのポタージュだ。
表面に生クリームで渦が描かれており、上には食用花がちょこんと乗っている。こうした些細な趣向にシェフのセンスの良さを感じることができた。
伝統と革新。
伝統を大切にしつつも料理に新しい風を吹き込まんとするシェフの意気込みが伝わって来る。本当に王城の料理長たちにも見習ってほしい部分だ。
スプーンで掬って、一口。グリーンピースは独特の青臭さが苦手だったがこれは驚くほどそれが感じられない、ミルクとの調和が素晴らしい逸品だ。
「優しい味ね」
「左様ですな。洗練されているのに素朴な味わいは一体どうすれば作り出せるものやら」
「ここのお料理だったら毎日食べても飽きないのに」
「まるで毎日の食事に飽きているかのような口ぶりで」
「飽きてないって言ったら嘘になるわね。毎日毎日似たようなメニューばかりなんですもの」
フローラはため息をつく。
「あれほど豪勢な食事に飽きるとは」
「食材が豪華ならいいってものじゃないと思うのよ。たまには変化が必要だわ」
「それは一理ありますなぁ」
白髪混じりの顎髭<あごひげ>を撫でつつロレッツォも賛同する。
「フローラ様にとってここでの食事がいい変化であれば何よりで」
「そうね、いい変化だわ」
ポタージュが暖かいうちに食べようとフローラはスプーンを進める。食べるほどに豆の優しい味わいが口に広がって、心まで温かくなった。
「それにしてもフローラ様、本当にかの方をお疑いで?」
かの方、とロレッツォが言うのは婚約相手のフィリス王子のことだろう。フローラはスプーンを置いてしっかりと頷いた。
「ええ、釣書も肖像画も全くの別人よ」
「しかしお会いしたのは三年も前のこと、先方も三年のうちに変化があったのでは?」
「そうであったとしても限度があるわ。十二歳の少年が十五歳になったからといってそこまで劇的な変化が起こるとは思えない」
「まあその通りではありますが」
フローラはついひと月ほど前に送られて来た、自身の婚約者の釣書絵を思い浮かべる。
そこに描かれていたのは絶世の美少年だった。
絹糸のような金髪に利発そうな緑の瞳、すっと通った鼻筋、薄い唇。白磁のような肌を持った凛々しい佇まいのその絵に、ちょっと宮廷画家さん大げさに描きすぎじゃないの?とフローラは鼻で笑いそうになったほどだ。
もしもあの絵から飛び出した人間がこの世にいて、一度会っているならば絶対に忘れることなんてない。自信を持って断言できるほどの美少年が絵の中でフローラに微笑みかけてきていた。
続く経歴も目を見張るものばかり。
王族所有領の見回りに領民への心配り、民の要望による治水事業への提言、実施場所への視察、実施要綱の取りまとめ。その他に剣に魔法に優れており一騎当千の騎士を打ち負かしたとかなんとか。
およそ十五歳の少年の功績とは思えない事ばかりが書き連ねてあった。
「ともかく三年前の彼はあんな容姿ではなかったし、お話ししてみてもあれほどの経歴を持つ方とは思えなかったのよ」
もう一口ポタージュを飲みながらフローラは答える。
そう、その少年は絵とは似ても似つかぬ容貌をしていた。凛々しさはまるでなく、どちらかというとこのグリンピースのポタージュのような優しさに溢れ、ちょっと頼りない感じの男の子だった。
+++
「あら、迷子?」
「あ、うん」
フロランディーテが王城の一角で出会ったのは金髪に緑の目を持つ、少しふっくらした少年だった。広大な城の廊下の一角、人の目が止まりにくい柱の陰で困ったような表情で立ち尽くしている。衣装が王都風ではない所をみるに、現在城に滞在中のオルセント王国の人間なのだろう。
「どこへ行こうとなさっていたの?」
「部屋へ戻ろうかと」
「あら。特に予定はないのかしら」
「はい、特には……」
なんだかぼんやりとした表情の男の子だった。大丈夫なのか心配になってくる。
「ね、予定がないなら私がこのお城を案内するからついて来ない?」
「え、でも、母様が心配するから」
国交のあるオルセント王国からやって来た外遊中の王族をもてなすため、今夜には夜会が催されることになっているがまだまだ時間はある。部屋に戻って時間を無為に過ごすくらいなら、城の中を案内してあげようと思ったのは、フロランディーテの方も時間を持て余していたせいかもしれない。それに年の近い少年というのはあまり身近にはいない存在のため、ちょっとした興味もあった。他国の様子も聞いてみたい。
「大丈夫、友好国の王女とちょっと散歩するくらい誰も咎めないわよ」
言ってフロランディーテは返事を待たずに少年の手を取って歩き出す。
「私はフロランディーテ。この国の第七王女で十歳よ。貴女のお名前は?」
「僕はフィリス。オルセント王国の第十二王子で十二歳」
「年上だったのね」
言ってからフロランディーテは失言だったかしらと唇に手を当てた。フィリスはポヨポヨとした頬を歪ませて苦笑いを浮かべる。
「いいんだ、頼りないってよく言われるから」
「まあ、そんなことないと思うわ」
完全に上辺だけのフォローを入れつつ足を進める。
「ところでどこに向かってるんだい?」
「そうねえ、天気もいいからお庭へ行きましょうか。今の時期は花がとても綺麗なのよ」
ドレスの裾をつまんで先導する。春真っ只中のグランドゥール王国はどこへ行っても花が咲き乱れておりとても美しい。王城のバルコニーから見える王都の様子はさながら天上の楽園のように緑と色とりどりの花に覆われている。
当然国の中心となる城の庭園も素晴らしい。庭師が腕によりをかけて剪定しているバラ園なんかはその最たるものだ。
「じゃあオルセント王国では小麦はあまり食べないの?」
「うん、オルセントは雨季が長くて小麦が育ちにくい土地だからね。代わりに黒麦と呼ばれる作物が育てられていて、それで作った料理が食べられる」
「へええ」
二人は城内に負けず劣らずの広々とした庭を歩きつつ話をする。
他国のことを聞くのは面白かった。気候、文化、人々の暮らしぶり、食物。似た部分もあれば全く異なる部分もある。家庭教師に習うのと実際に住んでいる人から聞くのとでは印象も随分違う。
「僕もグランドゥール王国に来て驚いたよ。このように豊かな国があるなんて。昨日は中心街を訪れたけど様々な種族が集まって暮らし、賑わい栄えて住んでいる民も幸せそう」
「ふふ」
自分の国のことを褒められフロランディーテは気を良くした。
ふとフィリスの顔を見るとじんわりと汗をかいている。話に夢中になり過ぎて少し歩き過ぎてしまっただろうか。
「ね、沢山歩いたしちょっと休憩しない?いい場所があるのよ」
「うん」
フィリスが頷いたのでフロランディーテは庭の一角にある温室へと案内する。中は陽光に優れて暖かく、ふわっと花と果実の甘い香りが鼻腔を満たした。室内は腰棚が何列も並んでおり、そこに緑の葉と親指ほどの白い花、そして赤い小さな果実がいくつも実っている。庭師の一人が剪定作業の手を止めて挨拶をする。
「ごきげんよう、フロランディーテ王女殿下」
「ごきげんよう」
「ねえ、ここは? なんだか甘い匂いがする」
「ここはね、苺を育てている温室よ」
「イチゴ?」
言ってフィリスが首をかしげるのでフロランディーテは手近にあった食べ頃の一つを手にとって説明をする。
「この赤い果実が苺よ。洗えば丸ごと食べられて、とっても甘くてジューシーなの。私、苺が大好きでよくここに来ては摘んで庭園のベンチで食べているの。今日はあなたも一緒にどう?」
「いいの?」
「いいに決まっているわ。さ、一緒に摘み取りましょう。緑のはまだ成熟してないから採らないでね。真っ赤なものが美味しいわよ」
言って二人で真剣に美味しそうな苺を吟味する。これが大きい、これは小さいけど赤くて美味しそうと相談しながら摘み取るのは楽しかった。庭師が用意したバスケットをフィリスが持ちそこにどんどん苺を入れていく。二人で食べるには十分すぎる量の苺を収穫してから、庭師にお礼を言って温室を後にした。
並んでベンチに腰掛けると魔法で出した水で苺を洗いパクリと苺にかじりつく。摘みたてのフレッシュな果汁が口いっぱいに広がって、散歩で疲れた体に水分と甘味が染み渡った。
「美味しい……」
「でしょう?」
隣で苺を同じようにかじっているフィリスが目を輝かせてそう言ったので、フロランディーテは同意した。苺は美味しい。グランドゥール王国が誇る特産品だ。
気に入ったのかフィリスはパクパクと苺を食べ続ける。夢中になって食べる様は年上とは思えず、つられるようにフロランディーテも次の苺を口にした。
ふとフィリスが食べる手を止めて苺とフロランディーテを見比べた。
「可愛いね」
「苺の実が? そうね、美味しいだけじゃなくて可愛いわよね」
「いや、そうじゃなくって」
フィリスは口の中でモゴモゴと何かを言っていたが聞き取れなかった。誤魔化すように持っていた苺を口に放り込み今度は苺をモゴモゴと噛み始める。
「私もいつかオルセント王国へ行ってみたいですわ」
「はい、是非いつかいらっしゃって下さい。その時には僕が案内します」
「楽しみにしています」
そう二人で微笑みながら見つめ合ったのはフロランディーテの心に刻み込まれた記憶だった。
+++
「なのにあれからほとんど何の音沙汰もなく、いきなり婚約の話が出たと思ったらあんな釣書と肖像画を送ってくるなんてひどい話だと思わない?」
フロランディーテ王女の影の姿であるフローラ嬢は静かに怒りをたたえて言う。そう、フローラは怒っていた。仲良くなったフィリスは故郷に戻ってから手紙の一通も送ってくることはなく、フローラから送った手紙には当たり障りのない内容だけを書いてよこした。数行で終わってしまうその手紙はどちらかといえばフローラに突き放すような冷たい印象を与えた。手紙を送るのは迷惑だったかしら。戸惑ったフローラが送るのを止めてしまえばそのまま何ヶ月も相手から連絡が来ることは無い。
あのひと時の邂逅で心が弾んだのはフローラだけだったのかもしれない。
そんな人間が別人のような釣書と肖像画を送って来たとあっては信じろと言う方が無理な話だ。フローラとしてはフィリスが三年前と同じく少し太った容姿であったとしても何も気にしない。気にするのは自分を偽り実際より良く見せようとする浅ましい魂胆の方だった。真意はわからないが、手紙を送ってもどうせ定型文句しか書かれない。本人に聞くよりもこうして待ち伏せして姿と行動をこの目で見る方が、よほど信用できる。
「ところでお相手がフローラ様の意にそぐわぬ人物であったとわかったらどうするおつもりで?」
「どうするって……」
「今更両家の意向を反故することはできますまい」
「それはわかっていてよ」
これは政略結婚だ。フローラの気持ち一つで婚約破棄などしたら両国の関係に亀裂が入りかねない。友好国であるからこそ、穏便に事を運ばなければ。国の関係性なんて些細な事でヒビを生じやすい。ガラス細工のように繊細なものだった。
「その時には私の気持ちは帰るまでに整理をつけて、務めを果たすことにするわ」
「結構なことでございます」
言いながらもロレッツォの皺<しわ>の深い顔にはわずかな憐憫の情が浮かんでいた。
思い出は思い出として胸に収め、王女としての責務を果たそう。フローラは十三歳だけれど王族同士の婚姻がもたらす利益については重々承知しているつもりだった。
国に安寧をもたらし、民が平和に暮らせるなら望まない結婚も受け入れてみせる。
「身分というのは枷ね」
「それはどんな身分の者にとってもそうでございましょう」
「そうなのかしら」
フローラは動き回る給仕係をチラリとみた。例えばソラノと名乗ったこの給仕係は誰に見張られることもなく王都の中を歩き回り、好きな物を食べ、好きな服を着て、好きに恋愛ができるはずだ。
あくせく働くソラノはまるで背中に羽でも生えているかのように自由に見える。正直に言って平民が羨ましい。
王族に生まれついたからには自由な結婚など許されないのはわかっているけれど、せめて好意的な相手の元に嫁ぎたいと思ってしまう。国で上から数えた方が早いほどに高い身分を持っているのに、自由に恋愛もできないし食事だってままならない。いつだって窮屈だ。
グリーンピースのポタージュを掬って飲んだ。そろそろ温くなってきてしまっている。このスープみたいに優しい雰囲気のフィリスは三年の間に何処かへ行ってしまったのかしら。
答えはもうすぐ、わかるはずよ。
そう胸の中で言い聞かせ、来たるフィリスをフローラは店の中で待ち構え続けている。
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