第98話 サラダニソワーズ
本日のおすすめ
前菜:サラダニソワーズ
スープ:グリーンピースのポタージュ
魚料理:白身魚と春野菜のソテー
肉料理:パプリカのファルシ
デザート:フリュイ・デギゼ
「いらっしゃいませ、フローラさん、ロレッツォさん」
「ごきげんようソラノ。今日のおすすめは何かしら?」
エアグランドゥールに通い詰めること約十日。すっかり店の給仕係とも顔なじみとなり、本日もフローラこと王国の王女フロランディーテは窓際の席に優雅に腰を下ろした。
店が忙しそうでも給仕のソラノは慌ただしさを感じさせない丁寧な仕草で水を差し出して来る。
「本日のおすすめは前菜がサラダニソワーズ、スープがグリーンピースのポタージュ、魚料理が白身魚と春野菜のソテー、肉料理がパプリカのファルシ、デザートがフリュイ・デギゼです」
「今日も美味しそうね」
フローラは心の底からそう感想を述べる。十日通い詰めてこの店がすっかり好きになってしまった。最初に来た時はシェフを引き抜こうかとも考えたが、その考えは消え失せている。
このお店の雰囲気で食べるからこそ、料理が引き立つ。
人々の会話や笑い声は賑やかだけれど決して五月蝿すぎることがなく、合間に聞こえるシェフが包丁で野菜を切る規則正しいトントントンという音やフライパンで肉を焼くジュッと油が爆ぜる音は新鮮で耳に心地いい。
普段王城で食事をしている時には決して聞くことができない音達だ。
貴族はもちろん冒険者らしき人々もやってくるのでフローラには物珍しかった。彼らはテーブルマナーをあまり気にせず、豪快に食事をしては去っていく。こういう人たちもいるのね、と、絵物語の登場人物達を間近で見ているようで楽しい。
大国王家の末娘フローラは蝶よ花よと大切に育てられて来たためあまり王城から出たことはなかった。たまにお忍びで出たとしても行くところは決められているし、こんなに連日外出することは初めてだ。
もしかしたら婚約前の最後の自由としてお父様もお母様も出歩くのを認めてくれたのかもしれないと、ここ数日は考えるようになった。
「でも、デザートのフリュイ・デギゼって何かしら」
聞いたことのないデザート名にフローラが首をかしげるとソラノはスラスラと答えてくれる。
「フルーツの砂糖がけのことです。デギゼは『変装した』って意味を持っていて、果物を煮詰めた飴でコーティングしてあるんですよ。面白いネーミングですよね」
無邪気に説明するソラノにギクリとして思わず肩が跳ねてしまった。まさかこのタイミングで、何も知らないはずの給仕係から「変装」という言葉が出てくるなんて思いもよらなかった。
まさか正体に気づかれたのかしら?
そんなあらぬ空想が頭をよぎってしまう。フロランディーテの変装は完璧であり、さらに複数の魔法によって正体がバレないようにしているはずだ。
気づかれる要因はないはずだが、それも少し自信がない。初日に会ったデルロイ・リゴレットに看破された可能性があるし、そうであればソラノはデルロイとは仲が良さそうなので彼にこっそりと教えてもらっている可能性もある。
デルロイはいつもフローラ達が来店して少し経つと店にやって来てはカウンターの同じ席に陣取って、店の人間と時折言葉を交わしながら食事をしている。とても場に馴染んでいて、なんなら店の一部のようですらあった。
「ああいうのを常連というのですぞ」と城に帰ってからロレッツォが説明してくれた。そんなお店が持てるなんてフローラからすれば羨ましい話だ。
ドキドキしながらそのロレッツォを見ると、なんとも愉快そうに笑っているではないか。
「それはそれは洒落た名前のデザートですな。食べるのが楽しみですなぁ、フローラ様」
「そうね、ロレッツォの言うとおり楽しみ」
「はい、楽しみにしていてください。では今日も前菜からお持ちしますね」
「ええ、お願いするわ」
一礼して去っていくソラノを見送るとフローラは憮然とした表情でロレッツォを見た。
「私がドキドキしているというのにあんな風に笑うなんてひどい話ね」
「すみません、フローラ様があまりに驚いた顔をしていたのでつい」
「ついで済む話じゃないと思うわ。万が一を考えたら驚くのも当然でしょう?」
「いやはや、左様でございますな。けれどもフローラ様が懸念するようなことは何もございませんよ」
「そうかしら」
「そうでございますとも。あのソラノという給仕係はデザートについて聞かれたから説明をしただけのこと。他意はありますまい」
「ロレッツォがそう言うのならそうなのでしょうね」
筆頭護衛として長年王族の護衛を任されているロレッツォは、他の追随を許さない程の腕前を持っていると聞いたことがある。そのロレッツォが心配ないと言うならば心配ないのだろう。
「でも、リゴレット家のあの方はどうなのかしら」
「あれは気づいていますな」
声を潜めてフローラが尋ねると、ロレッツォはあっさりと言った。
「そっ……それは如何なものなの?」
「大丈夫です、警護を受け持つよう王宮から要請しているので、毎日ここに来ているのはその一環でしょう」
にべもなくそう言うロレッツォにフローラが面食らった。ということは何か。空港の職員の一人が密かに自分の警護に当たっているということになるのか。
「なんだか私、沢山の人に迷惑をかけているわね……」
嘆息するフローラにロレッツォが声をかけるより先にソラノがやって来て前菜のサラダを置いた。
「お待たせいたしました、サラダニソワーズです」
「ありがとう」
次いでジュースとロレッツォのためのワインを置くと一礼する。ひとまずフローラはサラダニソワーズに注目した。
平皿に敷き詰められたレタスの上に茹でたインゲン、新ジャガイモ、新タマネギ、オイル漬けの
フォークでまとめてサクッと野菜を突き刺して口に入れると、生野菜のさっぱりとした味にタマネギの辛みがわずかに効く。塩辛いアンショワとトン<マグロ>のオイル漬け、シンプルなエリヤ油<オリーブ>と塩のドレッシングのおかげで生野菜の味を飽きずに食べ進められる。
ジャガイモはホクホクとしている。特にこの時期に採れる新ジャガイモは歯ざわりが優しく、甘みがあるのでサラダに適していた。
ニソワーズって何かしら、と以前王城で給仕長に問いかけたところ、異界の地方の名前だと答えが返って来たことがある。遥か昔、異界から来た人間がこの地で熱心にフレンチを広め、その中にこのサラダニソワーズもあったらしい。
本場のサラダニソワーズは生野菜のみを使うと給仕長は言っていて、王城で出て来たものも野菜は生のものだけで構成されていたが、こうしてアレンジが利かせてあるとまた違った味わいで新鮮だ。
この世界にはない国や地方の名前が料理の中にだけ存在するのも不思議な話だった。
一方通行ではあるが、その世界とこちらは確実につながっており我々人間はその世界からやって来たのが起源である、というのは家庭教師に教えてもらったことがある。
そしてこの世界にある様々なものが異界から持ち込まれたものであるということも。
フローラはサラダを見つめる。
例えばこのサラダに入っている野菜たち。これらの野菜は異界にあるものをこちらの世界で再現したらしい。全く同じものもあればわずかに異なるものもあるとか。
そんなことを考えながらインゲンを食べてみると、やや固めに茹でられているそれはコリコリと歯ごたえがあった。
「このサラダニソワーズにはロゼワインがよく合う。言わずともベストなワインを持ってくるあたりあのソラノという給仕係はなかなか気がききますな」
ロレッツォは言いながら透き通ったピンク色のワインで口を湿らせた。護衛中とはいえワインの二、三杯で酔うことなどないので、料理とワインのマリアージュを存分に楽しんでいた。
「辛口でフルーティ。この上に乗っているマグロのオイル漬けのみでもつまみになる」
純粋に食事を楽しむロレッツォの横でフローラは少し気持ちが沈んでいた。
「ねえロレッツォ、花祭りまであと三日しかないわ。一体いつ彼はこの国にやってくると思う?」
「そうですなぁ」
フローラは毎日昼過ぎにこの店へ現れ、夜前に帰っていく。
慣例としてオルセント王国の国賓が現れるのはこの時間帯が多いため、到着する可能性が最も高い時刻にこうして張り込みをしているわけだ。安全面を考慮して正確な到着日に関してはフローラ達にすら知らされていない。知っているのはフィリス王子の護衛を受け持つ近衛騎士と空港の保安部職員の限られた人間だけだった。
だからこうしてフローラは連日エア・グランドゥールへと通い詰める事態になっている。
このお忍びでの偵察も密偵ごっこのようで少しわくわくするし、ヴェスティビュールでの食事も楽しいからフローラとしては文句もない。
しかし父と母、城に数多いる侍従や護衛騎士はフローラが出歩くことを手放しでは喜んでいないし、空港職員にまで迷惑をかけているとあっては話は別だ。そろそろ来てくれなければフローラとしても焦れてしまう。
「ま、今日あたりお越しになると思いますぞ」
「本当に?」
「さすがに前日ですと慌ただし過ぎますし、二日前でもバタつきます。今日であればゆっくりと旅の疲れを癒した後に花祭りの開始を告げる夜会兼婚約披露の場に向かえますからな」
「そう……」
いよいよ会えるかもしれないと思うとフローラは少し緊張し、誤魔化すようにサラダニソワーズを口に運んだ。
「あっ、辛い!」
「ほっほ、フローラ様、いくら新玉ねぎとは言ってもそんなに口に入れれば辛いに決まっております」
無意識に玉ねぎだけをフォークで刺していたらしい。いくら辛みが少ないと言っても限度がある。ツンとした辛さが口内を覆って、シルベッサのジュースで胃に流し込んだ。口直しにジャガイモとトン<マグロ>のオイル漬けを食べる。
「そんなに緊張せずとも大丈夫でございますよ。そもそもあちらはフローラ様がお越しになっていることに気がつきもしないはずです」
「わかっているわ」
やんわりと言うロレッツォに少し拗ねた口調でフローラが言った。
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