第70話 金毛羊のロティ/デルイ
二杯目のシャンパンをあおるスカイを見ながら、デルイは自分の分のシャンパンを口にする。そして思う。
またソラノちゃんの術中にハマった奴がいるな、と。
ソラノはすごい。親しみやすい笑顔と話術で自然に人との距離を縮めてくる。絶妙なタイミングでワインのおかわりや追加注文を聞いてくるもんだがら、気がつくと会計が当初の予定より増えてしまっていた。
別にデルイに限った話ではなく、以前バッシが「店の売り上げの半分はソラノのおかげだ」と言っていたのを聞いたことがある。その通りだろう。彼女の接客術は売り上げにとても貢献している。おかげで朝にお弁当を買いに来る職員の中で、ソラノに会えずがっかりしている人間も多いくらいだ。
デルイはこの店をかなり気に入っていた。料理もワインも美味しいし、ソラノが接客してくれると一日の疲れも忘れられる。仕事柄、犯罪者や密売人など心の薄汚い人間とばかり対峙しているのでソラノの屈託のなさにはとても癒される。
「今日もお疲れ様です」と笑顔で言われてワインを差し出されればもうそれだけで疲れなど吹っ飛んでいく。
色々あって馴染みの店の一件も持てずに長年腐っていたが、そこそこ真面目に頑張ってきてよかったなと思わされた。
「そういえばさっき、ソラノったらお客さんの一人に攻撃されかけたんですよ」
「うん?」
ソラノが他の客の相手をしに行った隙にアーニャがルドルフとスカイの頭越しにデルイに話しかけて来た。
「こう、フォークがソラノめがけてビュッとありえない速度で飛んで来たんですけどね。当たる直前にばーんって弾かれてフォークの先が折れて飛んで行ったんです」
物騒な話だとデルイは眉をひそめる。冒険者というのはとかく血の気が多いが、そんな蛮行に及ぶほどの失態をソラノが犯したのだろうか。
「なんでそんなことになったんだ?」
「何か、メインが出てくるまでに五分待たされたとかで怒ってました」
「たった五分で……」
デルイもルドルフも、ついでにスカイも呆れる。むしろメインが五分以内に出てくる店があったら、それはどんな店なんだよとツッコミを入れたくなる。
タイミングよくソラノが戻って来たので、四人で見つめた。四人分の視線を感じてソラノが若干たじろいだ。
「何……どうしたんですか?」
「さっき攻撃されかけたって聞いた」
「ああ、そのことですか。デルイさんの障壁のおかげで助かりました。ありがとうございます」
ソラノがご丁寧に頭を下げてお礼を言ってくる。
「役に立ったんならよかった。怖かったでしょ」
怪我をしたとは思っていない。あれにはかなり強力な魔法を仕込んであって、なんども発動していたり、仮に破られるようであれば検知できるようになっている。けれど、目の前で凶行に及ばれれば力も持たず慣れてもいないソラノにはとても恐怖を感じるだろう。
「実は、ちょっと……でも、これがあれば大丈夫だと思っていたんで」
ソラノはそう言ってピアスに触れて笑顔を作ると、カウンター内へと戻る。
「ソラノちゃんはズルイな」
「ええ? 何がでしょう」
恐怖を感じた時に、守られているから大丈夫だと思ってくれた。こんなに信頼されていて、嬉しく思わない男なんていないだろう。
ソラノの方は自分が何を言ったのかイマイチ理解していないらしく、出来上がったらしい料理を出してくれた。
「お待たせしました、金毛羊のロティです。赤ワインが合いますよ! 入れますか?」
「うん、お願い」
コトリと置かれた皿の上には、長時間低温で焼き上げた金毛羊を厚めにスライスしたロティが並んでいる。横には赤ワイン。スカイにも同じものを提供している。
「金毛羊なんてよく手に入ったね」
金毛羊も魔物だ。高原に群れで住むその魔物の羊毛は、毛のくせに防御力がやたらに高く、物理だろうが魔法だろうが並みの攻撃ならば弾き返す。羊毛は鈍い金色に輝いていて、織物にすればその光沢の美しさと防御力の高さから冒険者にも貴族にも人気があるし、肉は柔らかくこちらも食用に人気がある。
「ちょうど騎士の方達が狩りに行ったみたいで、市場にたくさんあったらしいですよ。羊毛も市場に卸すそうです」
「金毛羊の毛は高級だから」
目の前に提供された金毛羊のロティは表面がこんがり、内部はしっとりジューシーに焼き上がっている。ナイフで切ってフォークで口へ運ぶ。
低温調理され、調理段階で逃されなかった肉汁が口の中で溢れる。肉がとろけて舌の上で溶けた。
「ソースにも羊の骨や骨周りを焼いて煮詰めてダシにとったものを使っているそうですよ。凝ってますよね!」
ソラノは出勤したら、カウマンとバッシからその日提供する予定の料理を聞くところから始めているらしい。だから聞けばスラスラと答えてくれるし、聞かなくてもこうして教えてくれる。勉強熱心なことだ。
この金毛羊のロティはソラノの言う通り赤ワインに良く合う。
金毛羊の柔らかい肉質を最大限生かした調理法で仕上げられていて、赤身と脂身のバランスも絶妙だった。
しかし今日ここを訪れたのは、料理を味わうことだけが目的ではなかった。ワイングラスをカウンターデスクへ置き、デルイはにっこり人好きのする笑みを浮かべて、お皿を拭いているソラノへ話しかける。
「ねえ、ソラノちゃん。店も落ち着いて来たよね」
「そうですね、大分慣れました」
「じゃ、そろそろ俺との約束守ってよ」
ソラノの流れるような動作が止まり、デルイと目があった。
「約束ですか」
「うん。前にバッシさんとディナーした店あるでしょ? あそこの本店が王都の中心部にあるんだけどさ」
「はい」
「今度のソラノちゃんの休みの日に一緒に行こう」
ソラノは三十秒は押し黙った。いつでも即断即決、歯切れのいいソラノにしてはかなり長い方だ。拭いていた皿を置いて、恐る恐るといった風に聞いてくる。
「……あそこはずっと前から予約を取らないと行けないくらい人気だと聞いていますけど……」
「そうだよ。だからもう予約してあるんだ」
「うっ」
逃げ場はない。デルイは追い討ちをかける。
「ソラノちゃんが一緒に行ってくれないと、俺、ルドでも誘って行くことになっちゃうんだけどさ。男二人で行くような店じゃないんだよね」
「おい、俺を巻き込むな」
ルドルフが嫌そうな顔をして言った。
「ルドもこう言っていることだし。ドレス着てディナーするのが嫌?」
「そういうわけじゃないです」
「じゃ、俺と行くのが嫌なのかな」
我ながら卑怯な聞き方だなと思うけれど、なりふり構っていられない。放っておけばこの微妙な関係が何年でも続きそうだったし、ソラノと、ついでに自分を狙う輩が増える一方だ。
ソラノは観念したのか、耳を赤くして叫ぶように言った。
「嫌じゃないです! わかりました、行きますよ!」
他の客が何事かとこちらを見てきて、ソラノは頭をさげる羽目になっていた。申し訳ないとは思うが、これで約束は取り付けた。
「楽しみにしてるから」
ここ数年で一番の笑顔を浮かべるデルイに対し、追い詰められた小動物のような顔をするソラノ。
果たしてデートがうまく行くのか、行かないのか。
二人の仲が進展するのかしないのか。
それを今ここで皆まで語るほど野暮なことはしないが、一つ言えることがあるとすれば、デルイは曲がりなりにも貴族の出身で、貴族には面倒なことが山ほどついてくるということだけは言っておこう。
まあしかし、二人とも行動力だけはやたらにあるから、きっとなんとかするだろう。
ーー結ばれるまでは多分、あと一歩だ。
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