第69話 巨大蛸とセロリのマリネ/保安部新人職員
「俺、いつも仕事終わりに寄ってる店があるんだけど。良かったら一緒に来るか?」
「はえ?」
近々バディを組むこととなっている先輩と手合わせが終わり、地面に転がされているスカイは間抜けな声を出した。スカイは打ちのめされまくってボロボロだというのに、先輩の方はまるで何事もなかったかのように息一つ乱さずに立っている。
ひとまず立ち上がり、剣を鞘へと納める。
「店、っすか」
「そう。見たことくらいはあんじゃないか? 第一ターミナルにあるビストロ」
「ああ、あの小洒落た感じの」
「そうそう」
先輩はロッカーへと歩く道すがらに話してくれる。
「料理もワインもうまいし、店員の女の子が可愛くてね」
「先輩が言うんだからさぞかし可愛いんでしょうね」
スカイは興味をそそられた。この先輩、名はデルイと言うのだが、やたらに顔が整っている。何せ襟足まで伸びた鮮やかなピンクの髪色が似合う男などそうはいまいだろうが、デルイはとてもしっくりきていた。そのデルイが言うからにはきっととても可愛い子がいるに違いない。今しがたまで疲労で家に帰りたくて仕方がなかったのだが、考えが変わった。
「行きます」
「おし。奢ってやるよ」
「太っ腹!」
「今日だけな」
デルイはとっつきやすそうな人だった。この春入職したばかりで、ようやくオリエンテーションを終えたばかりの右も左も分からない自分の初のバディの相手だ。
スカイは若い。まだ二十歳で、騎士学校で首席卒業したばかりだ。騎士になるよう求められたが安定を求めて空港での職を志願した。この歳で安定を望むなど如何なものかと言われたが、そういう性格なのだから仕方ない。騎士になれば部署によっては魔物討伐などの遠征に駆り出される。スカイはなるべく王都にいたかった。
着替えを済ませて第一ターミナルへと行くと、ガラス張りの小ぢんまりとした店へと向かう。慣れたようにデルイが店の扉を開けると、明るい声が飛んできた。
「いらっしゃいませ。あ、デルイさん。こんばんは、今日もお疲れ様です」
カウンターから顔を覗かせているのはスカイと同じ位の年齢の女性だった。
「お疲れー」
デルイは気軽に挨拶をすると、カウンター席、それもこの店員の顔がよく見える真ん前の席に陣取る。
「こいつ、俺の新しい相方になる奴」
「さっきルドルフさんから聞きました」
店員はにこりとこちらに愛想のいい笑顔を向けて来る。
「いらっしゃいませ。私はソラノです」
「スカイっす。よろしく」
「スカイさん! 私も空って意味の名前なんですよ。一緒ですね」
「あ、そうなんすか?」
ソラノは水とメニューを手渡しながら相変わらずニコニコしながら言う。
「今日のオススメある?」
デルイがソラノに尋ねた。
「今日は
「じゃ、それ二人前と先にシャンパンちょうだい」
「はーい」
ソラノは注文を聞き用意を始める。カウンター上のホルダーから人差し指と親指でグラスを抜き取ると、シャンパンを注いだ。マリネも同時に盛り付けられて用意される。
「はい、どうぞ」
すっと音もなくカウンター上に提供されたマリネを見てスカイは困惑した。
「え……これがマリネ??」
「そうですよ。茹でた巨大蛸とセロリ、黒オリーブをマリネ液に漬け込みました」
「いや……そうじゃなくて、見た目が」
「見た目が?」
「お洒落」
たかがマリネの見た目がお洒落でスカイは戸惑った。巨大蛸は、魔物だ。通常より五倍は大きな蛸の足からくり出されるパンチは非常に強力だと聞いたことがある。その巨大蛸は今、薄くスライスされて鮮やかな赤色の吸盤と中身の白のコントラストが美しいマリネになってスカイの目の前に提供されている。そして薄緑のセロリと輪切りにされた黒いオリーブ。
赤、白、黒、薄緑の目に鮮やかな彩の饗宴だ。
「味も美味しいので、ぜひ」
そう言われてフォークで刺してかじってみる。
「うまっ」
よく具材に染み込んだマリネの酸っぱさがたまらない。セロリの鼻から抜けるような香味も、オリーブの独特な食感も、蛸のコリコリした食感も全部合わさって旨い。
マリネが、こんなに旨いとは。冷えたシャンパンをあおると、疲れた体に染み渡った。
ソラノは他の客に呼ばれてカウンターから出て行った。そのタイミングでデルイが話しかけてくる。
「旨い?」
「っすね」
「ソラノちゃん、可愛いでしょ」
「うーん、まあ、可愛いっすけど……」
マリネを頬張りながら、テーブル席で接客するソラノを見る。編み込まれたひとつの三つ編みを揺らしながら、相変わらず笑みを絶やさずにいた。
「けど?」
「先輩ならもっと可愛い子狙えますって」
スカイの素直な感想だった。可愛いがなんとなく、デルイが狙うにしては親しみのありすぎる感じの子だ。彼ならもっと麗しい貴族令嬢でも、なんなら王族のお姫様でも落とせるだろうに。しかしデルイは気を悪くしたふうでもなく、こう言う。
「わかってないね」
何がだろうか。聞きたくても聞けないし、答えてくれないような気がした。
そんなにこの子がいいのか? スカイはシャンパンをぐっと飲み干すとじーっとソラノを見る。皿を持ってカウンターに戻ってきた彼女はそのまま洗い場で皿洗いを始める。長いまつ毛に縁取られた大きな黒い瞳と常に上に弧を描いている唇が印象的だ。
「すみません」
「はい、ただいま」
呼ばれれば作業を中断してあっという間に去って行く。
「いかがなさいましたか?」
「追加でデザートお願いできるかしら? シルベッサのコンポート」
「はい、かしこまりました」
そして厨房にいる体躯の大きな牛人族のシェフへとオーダーを通す。そこでふと、スカイと目があった。
「あ、ごめんなさい」
ソラノは初めて笑みを崩し、申し訳なさそうな表情をした。スカイの空になったグラスをすっと手に取る。
「お代わりいります? それとも別の飲み物にしますか?」
「あ……じゃあ、同じもんで」
思わずそう答えた。じっと見つめていたせいで注文を要求していると思われたらしい。
「はい」
にっこり微笑みそう言ってシャンパンが注がれる。
「どうぞ」
「ども」
完全に流されて頼んでしまった。押し付けがましく言われたわけでは決してなく、ごく自然な聞き方だった。あまりにソツがなさ過ぎて、なんか断る雰囲気ではなかった。
頼む予定のなかった二杯目のシャンパンを口にしながら、あーこの子、いいかもなーと感じたのはここだけの話にしておこう。
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