第214話<書籍化記念SS>ソラノと常連と??
世界最大の空港、エア・グランドゥールは雲の上に存在している。
その空港には、一軒のビストロ店があった。
名をビストロ ヴェスティビュール。
空港という場所の特性上、客との出会いは基本的に一期一会である。一度の出会いを大切に、心を込めておもてなしをするというのが看板娘ソラノの信条だ。
しかしそんな店であっても常連客というのは一定数いるもので、主に空港職員が日々、店にやってきては食事を楽しんでいる。
ソラノは開いた扉の向こうに馴染みの顔を見つけ、笑顔で駆け寄った。
「いらっしゃいませ、アーニャ」
「あぁ、今日も仕事が終わったわー!」
白いウサギの耳が生えた
商業部門に在籍する彼女は店に入るとカウンター席に腰掛け、水とメニューを出すソラノへと話しかけた。
「今日はね、食べたいと思っていたものがあったのよ。
「かしこまりました」
注文を承ったソラノが厨房を振り返ると、そこで調理に勤しむ牛人族のシェフーーバッシへとオーダーを通す。
「バッシさん、グラタン・ドフィノア一つです」
「はいよ」
すかさずバッシが五本に分かれたまだら模様の指を駆使して準備に取り掛かる。
その隙に白ワインを先に出したソラノに、アーニャが話しかけた。
「ねえ聞いてよソラノ。今日は部門長と新しく第一ターミナルに誘致予定の店を見に行ったんだけど、すごいいい感じのお店でね。もしあの店がヴェスティビュールの隣に入るなら、ちょっとやばいわよ。ライバル店よ、ライバル店」
「へぇ」
エア・グランドゥールは基本的に店の類は全て中央エリアに集められており、しかもその価格帯は高級に部類されるものばかりだ。
気軽に入れてそれなりの価格で料理を展開しているヴェスティビュールとはコンセプトが異なるので、あまりライバルという意識はない。
だが、この第一ターミナルに入る店は中央エリアとは異なるタイプの店になるのだろう。
ライバル、と聞いてソラノはちょっとワクワクした。
「楽しみかも」
「呑気ねえ」
「だってバッシさんたちが作る料理が負けるとは思えない」
「大した自信だわ」
ライバル店が誘致されるとあれば、ソラノたちはそれを上回る料理や接客でお客を呼び込む。ただそれだけである。
強気な看板娘ソラノの答えにアーニャが半ば感心していると、ソラノはアーニャの前に料理を置いた。
「お待たせいたしました、グラタン・ドフィノアです」
表面が泡立つほど熱せられたグラタンがアーニャの前に出されると、思わず唾を飲み込んだ。
湯気と共にチーズとベシャメルソースの濃厚な香りがのぼりたち、仕事の後の空腹の胃袋を刺激する。
スプーンを手に取ったアーニャは、早速グラタンをすくう。
表面のチーズが焦げてパリッとした食感が手に伝わってくる。とろりとしたチーズが糸をひき、アーニャは少し息を吹きかけて冷ましてから口へと運んだ。
パクリ。
牛乳とチーズで作られたクリーミーなソースの味わいが広がり、幸せがはじけた。
ほくほくとしたじゃがいもの食感がアクセントとなっており、程よい塩気が癖になる。
「美味しい! 相変わらず、美味しいわね!!」
「ありがとうございます」
にこやかにソラノは礼をいい、目を輝かせながらハフハフとグラタンを頬張るアーニャを見つめる。
と、店の扉に人影が見え、次のお客さまが入ってくるのが見えた。
見慣れた赤みがかったピンク色の鮮やかな髪のお客様の姿に、ソラノは自然と口角が持ち上がるのを感じる。
「いらっしゃいませ、お疲れ様です」
「うん、お疲れ様」
空港職員で日々エア・グランドゥールの治安を守る保安部のデルロイ・リゴレット。通称デルイ。誰もが振り返る整った顔立ちにはいつもと同じ笑顔を浮かべているが、あれ、とソラノは内心で首を傾げた。
「デルイさん、何かありました?」
「……バレちゃった?」
いつも座る、やや店の前から見えにくい奥まった席に腰を下ろしたデルイにそう話しかけると、デルイは眉尻を下げながらそんな風にあっさりと認めた。
「春からの勤務体制がちょっとね」
歯切れの悪い回答をしながら、ソラノが差し出したおしぼりを受け取る。
すると隣の席に座ったルドルフが会話に参加してきた。
「はぐらかしてないではっきり言ったらどうだ? 春から一年間、ずっと夜勤になったって」
「夜勤ですか?」
ソラノが疑問を呈すると、ルドルフが頷く。
「人員配置の関係で、こいつは一年間夜間から早朝にかけての仕事になったんです」
「……誰のせいだと」
「少なくとも俺のせいじゃない」
デルイはいつもソラノに向けている愛想の良さは何処へやら、ドスの効いた声でルドルフに言葉を放った。しかしルドルフはどこ吹く風である。
「ソラノさん。帆立のエシャロットソースください」
「はい。デルイさんは? おまかせでいいですか?」
「あぁ、うん」
ルドルフを射殺さんとする勢いで睨みつけていたデルイだったが、ソラノに問われて慌てて頷いた。
それから肩を落とし、盛大に息を吐く。
「ごめん、ソラノちゃん。一年の夜勤……」
「いえ……謝ることではないかと……」
誰が悪いとかそういうものではない。仕事上決まったことならば、どうしようもない話だ。
「別に私は気にしてませんから。お仕事頑張ってください。私はいつでもここで待ってます。ほら、夜勤なら、出勤前にお食事していくというのはどうですか?」
夜中は昼間に比べて空港の治安が悪いと聞くので、きっと今まで以上に体力勝負になるかもしれない。お腹が空いたら大変なので、ご飯を食べてから仕事に行くのがいいだろう。
ソラノの考えに、デルイは「そうだね」と言ったがやはり彼はどことなく元気がない。
厨房に注文を伝えたソラノは、「何でそこまで落ち込んでいるんだろう」と疑問に思う。
すると一連のやりとりを見ていた同じく給仕係兼調理見習いのレオが、眉間に皺を寄せた。
「ソラノ。お前、バッカだなぁ」
「何が?」
「何がじゃねえよ。男心がわかってねえ」
「えぇ……」
唐突にボロクソに言われ、何が何だかわからず困惑する。何だろ。今の受け答えの何が悪かったのか。給仕をしながらうんうん唸って考えると、ふと一つの可能性に思い至る。
「ソラノ、出来たぞ」
「はい」
バッシが用意してくれた料理を手に、二人の前へと戻る。
「ルドルフさん、帆立のエシャロットソースお待たせしました」
「ありがとうございます」
「デルイさんには鴨胸肉のソテーです」
「ありがと」
カウンター越しに料理を置くと、ソラノは元気のないデルイに前屈みに近づくと、そっと声をかけた。
「あのですね……私、一年くらい、全然待つので大丈夫です」
その言葉にデルイが目を見開いてソラノを見つめた。それから今度は作り笑顔ではない笑みを浮かべると、頷く。
多分デルイは、春先のバッシの婚約騒動の時にソラノに言った、「俺たちももうすぐかなと思ってるんだけど」という言葉を気にしているのだ。
夜勤になるとソラノの仕事時間とものすごくズレてしまうので、一緒に生活するのが現実的でなくなる。なので結婚が先延ばしになると気に病んで落ち込んでいたのだろうと思い至った。
(正直、まだ心が追いつかないから一年猶予があるのは嬉しいけど)
デルイのことは好きだ。でも結婚というのはまだ実感が湧かない。二十一歳で結婚というのは日本で生まれ育ったソラノからすると、ちょっと早すぎて現実味がないせいだ。
やや気持ちにズレがある二人をルドルフがそっと見比べ、やれやれと息をついているのを、ソラノもデルイも気づいていなかった。
ソラノはカウンターから視線を上げて、店の扉を見る。
「あ、お客様」
またもやお客様のご来店だ。空港職員の勤務時間が終わったせいか、どっと人が押し寄せる。
何となくソラノの言葉に出入り口に視線を向けたデルイとルドルフが、店に近づいてきた人物を見て固まった。
「あら? あの人……!」
そして二人の隣に座るアーニャも、同様に固まった。
「皆、どうしたの?」
ソラノは三人の視線を釘付けにした人物を見る。
仕立てのいいグレーの上下を身に纏い、同色の帽子を被った人物。一見普通のお客様にしか見えない。
アーニャは突然立ち上がると、カウンターから出て出入り口に向かおうとするソラノの肩を勢いよく掴んで引き寄せた。
「ソラノ、くれぐれも粗相の無いように対応するのよ!」
「何、何なの」
ぐわんぐわんとソラノの肩を揺さぶるアーニャに思わず聞き返すと、アーニャはこれでもかと顔を近づけて、囁くように言う。
「あの方は……ロベール殿下! グランドゥール王国の王族にしてこのエア・グランドゥールの経営陣のお一人でもあるお方よ!」
言われてソラノは、もう店に入ってこようとしているその人物をあらためて見た。
ソラノとばっちり視線のあった瞳は深い紫色。帽子の隙間から覗く短い髪は銀色で、なるほど以前店に来た王女フロランディーテと同じ色合いだ。三十代半ばに見えるその精悍な顔立ちもどことなく王女と似ている。
ルドルフとデルイの様子からしてもきっとロベール殿下とやらで間違いないのだろう。
そうか、王族。しかも空港経営者の一人。
納得したソラノは、肩を掴むアーニャをそっと押しのけた。
「じゃ、お出迎えしてくる」
相手が大物中の大物であると知ったソラノは、それでもなお特に肩に力を入れずに店の出入り口へと向かった。
相手がどんな立場や身分の人であれ、店に入ってくるならば皆、お客様である。
ワンピースの裾を翻してソラノは近づいていく。
そして笑顔を浮かべ、いつも通りの一言。
「いらっしゃいませ」
入ってきた人物は、店の中に視線を送ると、長い指を振って言う。
「……あの者たちの隣の席へ、良いかな」
「勿論どうぞ」
堂々と入店した殿下はルドルフの隣へと座った。そしてカウンターの上でゆったりと腕を組み、デルイとルドルフを眺める。
「やあ、お前たち。久しいな。一応伝えておくがここでは礼は不要だぞ」
「お久しぶりです、殿下」
「珍しいですね。食事ですか」
「最近空港で噂の店に足を運んでおきたくてな」
ソラノが差し出すメニュー表を受け取った殿下は、ソラノの顔を見ると目を細める。
「そなたがソラノか。噂には聞いている。エア・グランドゥールでも城でも、そなたの話はよく耳にする」
「光栄です」
一体どんな噂になっているのか。内心でドキドキしたが、表に出さないようにぐっと腹に力を込めた。
メニュー表を眺めた殿下は、「よし決めた」と言ってメニューの一つを指差す。
それを見たソラノは「かしこまりました」と承り、バッシに注文を通すべく声を出す。
「バッシさん。注文です。…………を一つ、お願いします!」
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プロローグからしてWEBとは違うのでぜひどうぞ。
【その2】
既存キャラの出番大幅増!
ソラノはさらに頑張り、デルイとルドルフの見せ場も書き下ろし、他の既存キャラの出番も増えています。
【その3】
キャライラストが素敵!
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【その4】
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