第213話 お嬢様はかつおぶしの良さを知らない

「ニャニャニャニャー♩ かつおぶし♩」


 猫妖精のご機嫌な鼻歌とともにかつおぶしの香りが広がる。それを横目で見つめるシスティーナは、不満の声を漏らした。


「クーってば、せっかくビストロのお店に来ているのにかつおぶしばかりなのね」


「だってクーはニンゲンの料理を食べニャいし」


「もう」


 システィーナはクーのビー玉のようにまん丸い青い瞳を見て唇を尖らせた。召喚士として名高いシャインバルド家のご令嬢が連れているのが、かつおぶし大好きな猫妖精というのは威厳に欠ける。艶やかな灰色の毛並みに神秘的な青い瞳の猫妖精は黙っていれば高貴な召喚獣に見えなくもないのに、口をひらけばかつおぶしの事ばかりだ。


「そういうティーナこそ、かつおぶしを食べればいいのに」


「私が? 冗談じゃないわ」


 システィーナはクーの言葉に即座に反論した。


「どうして私がこんな木屑みたいなものを食べないといけないのよ」


「木屑とは失礼ニャ。これは唯一無二にして至高の食べ物ニャ」


「大げさねえ。どこからどう見ても木の屑よ」


 システィーナは言ってかつおぶしを一つ摘まみ上げる。向こう側が透けて見えるほど薄く削られた茶色いそれを、ここの給仕係が嬉々として削っているところをシスティーナは見たことがある。手に握れるサイズの茶色いそれは叩くとゴンゴン音がする、立派な木片にしか見えない。「それは本当に食べ物?」と怪訝な顔をしてシスティーナが問えば、給仕係は至極当然のように「そうですよ。かつおを加工したものです」と言っていた。

 一体どこをどうすればかつおがそんな木片になるのよ、とシスティーナは顔をしかめる。削れば確かに香ばしい魚の香りがすることから、給仕係の言っていることは間違いではないのだろう。しかしあまりにも魚の形からかけ離れている。最初にかつおぶしを考案した人間は、何をどうしてこの形状にたどり着かせたのか甚だ疑問だ。


 そんな風にシスティーナが思っていると、声をかけられた。


「システィーナさん。今日は私からとっておきのお料理があるのでぜひ食べていただけませんか」


「あら、ソラノ」


 件のかつおぶしを嬉々として削る給仕係、ソラノだった。

 黒髪を三つ編みにし、モスグリーンのワンピースの上からエプロンを締めた彼女はシスティーナの恋敵であったのだが、色々あってシスティーナは恋に破れ完敗した。思い出すと複雑な気持ちになるのであるが、負けは負けである。それにシスティーナが恋した相手はシスティーナに一片たりとも恋愛感情を持っていないのだから、これ以上ムキになっても仕方のないことだった。

 それにここはお料理が美味しいし。クーもここのかつおぶしが気に入っているし。

 

「どんなお料理なのかしら」


「はい。こちらです!」


 言ってソラノは白いお皿に盛り付けた変わった形のオムレツを差し出してくる。半円形のオムレツが輪切りになってふた切れ、お皿に乗っている。それは心なしか薄茶色だった。


「……オムレツ? なんで茶色いの?」


「オムレツじゃありません。これはだし巻き卵です」


「ダシマキタマゴ?」


「そうです。私の故郷の料理です」


「つまりワショクね」


「はい!」


 和食がこの国に浸透しているのは、ソラノのように異世界からやって来た人間が積極的に布教したせいだ。それでも貴族の人間が口にする機会はそうそうなく、システィーナとしてはそれは一般庶民が食べる味わいという認識でいる。

 しかし一度ニクジャガを食べたことのあるシスティーナとしては、なかなか悪くない味わいじゃない、と密かに思っていた。脂が少なくあっさりした味わいのニクジャガは作り手であるソラノの想いがこもっているのもあり、美味しかった。


「いただくわ」


「是非どうぞ」


 システィーナはフォークを持ち、ダシマキタマゴにぷすっと刺す。柔らかい。ふるふる震えるダシマキタマゴを一口大に切り分けて口へ運んだ。


「ん!」


 不思議な事が起こった。

 一口噛むと、ジュワッと中から旨味を含んだ水分が広がったのだ。それは卵の味わいと微かなしょっぱさと混じり合い、ダシマキタマゴを絶妙な美味しさに仕上げている。

 オムレツとは確実に異なる味わいにシスティーナは困惑する。

 初めての食感に初めての味わい。だが決して悪くはなく、それどころかもっと食べたくなるような味だ。

 もう一切れ、フォークで刺して口へ運ぶ。

 

 ぱく。

 ジュワ。

 じんわり口に広がる優しい味わいは、ワショクならではのものだった。


「いかがです?」


 頃合いを見計らったかのようにソラノが声をかけてくる。システィーナは迷ってから言った。


「悪くないわ」


「そうですか」


 言ってソラノはふふふと笑みを漏らしている。それがなんとなく気に食わず、システィーナはジト目でソラノを見た。


「……その笑いは何よ」


「私、知ってますよ。システィーナさんの『悪くない』は『美味しい』って事だって」


「…………!」


 バレている。


「ところでシスティーナさん、そのだし巻き卵と以前に召し上がっていただいた肉じゃがには『だし』というものを使っていまして。それが和食の旨味の正体なんですけど」


「あら、そうなの」


「そうなんです。で、その『だし』なんですけどね。クーちゃんの大好きなかつおぶしから出来ているんですよ」


「何ですって? この木屑から?」


「木屑じゃなくて、かつおを薄く削ったものです。煮出して使う事で凝縮された魚の旨味が出ているんですよ」


 システィーナはダシマキタマゴに視線を落とし、もう一切れ食べてみる。じんわりと染み出すその味わいは言われてみれば魚介によるもののような気もする。

 隣で美味しそうにかつおぶしを食んでいるクーを見て、呟いた。


「……信じられないわ……」


 こんなぺらぺらのものから、こんなに深みのある味わいのだしとやらが取れるなんて。

 視線に気づいたクーが顔を上げてシスティーナを見た。


「見直したかニャ?」


 その顔はどことなく得意気だ。


「悪くないと思っただけよ」


「本当にティーナは素直じゃないニャア」


「うるさいわねえ」


「でもそこもシスティーナさんの可愛いところだと私は思いますよ」


 ソラノの意見にシスティーナはうっとなった。


「あなたはいつも素直ね」


 自分を良く見せようとしないその性格が、少し羨ましい。するとソラノは笑って言った。


「でも、昼の賄いにかつおぶしを乗っけた白米を食べようとしたら、『店でそれはやめろ』と言われました」


「ビストロ店でその賄いは無いわね」


 システィーナはすかさず反論する。素直すぎるのも考えものだわね、と思いながら口にしたダシマキタマゴはやはり後引く美味しさがあり、やっぱり悪くないわと思ったのはここだけの話だ。


+++

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