第212話 春はすぐそこに

「はぁ……………」


 クララはゴミを引きずりながら非常に重い溜息をついた。そのテンションは勤務前とは天と地ほどの差がある。


「終わったわ、私の結婚…………」


 バッシの前で猫を被っていたことがバレてしまった。大人しい女性を装っていたのに、酒場で大ジョッキ二十個を悠々と持って歩く場面を見られてしまうとは。ちなみにこれは誰にでもできる芸当ではない。繊細な魔法操作とバランス感覚、腕力が必要で、店でもクララを含めて五、六人くらいの給仕係しかこんなに一気には運べない。ちなみに給仕係の総数は五十人ほどいる。シフトで動いているというのと、店内が広いので数が多いのだ。

 クララは内心で頭を抱えた。

 もう終わりだ。まさか店に客として来るなんて思ってなかった。こんなことなら、店の名前を教えなければよかったとクララは激しく後悔した。


 ズルズルと引きずるようにして持って来たゴミを焼却炉にぽいと投げ入れると火魔法で火をつける。

 こんなにも心にダメージを受けているのにクララは仕事ではそんなそぶりをおくびにも見せなかった。十年働いた職場だ。店にも共に働く仲間にも愛着がある。皆いい人たちだし、ピークタイムのクソ忙しい最中に落ち込んで足手まといになることだけは避けたかった。

 いいのよ。クララは自分に言い聞かせる。あの瞬間、仕事を優先したことでクララの心は決まっていたのだ。私は仕事に生きることにしたの。私の選択は正しかったわ。

 

 でも……。


 クララは燃え盛る炎を見つめながら、自身の頬に涙が伝うのを感じた。


 でも、この炎の中に身を投げてゴミと一緒に燃えてしまいたい、という気持ちがほんの少しだけあることを、自分でもわかっていた。


「さようなら、私の夢…………」


 身投げはできないけど、お嫁さんになるという夢はここで燃やして灰にしてしまおうと思った。

 その時。


「クララさん」


 ハッとする。

 そのバリトンボイスは、ここ数週間で聞き慣れた彼のもの。

 恐る恐る振り返ると、そこには手に何か抱えたバッシが佇んでいた。

 バッシはにかっといい笑顔を浮かべながら、近づいて来る。

「店に戻ったら、ゴミ捨てに行ったと聞いたから」


「ええ……」


 一体何をしに自分を探しに来たのだろうか。別れ? 別れ話を言うためにか? そう考えるとしっくり来る。

 クララは、数メートル先にいるバッシにくるりと向き直り居住まいを正した。

 来るなら来るがいい。もはや覚悟は……ぶっちゃけできていないけど、できている。

 でもやっぱり怖い。嫌だなぁ……そんな気持ちが胸の中に去来して、クララは泣かないようにするので精一杯だった。

 いい歳をした女が人前で泣くなんてみっともないわ。

 半ば根性で笑顔のようなものを浮かべてみせるクララ。


 するとバッシは手に抱えていたものをすっとクララに差し出して来た。


「これは……?」


「ウチで作ってる自家製ハムを挟んだサンドイッチ。こっちはハムの塊」


 なぜそんなものを。別れの選別だろうか。ネガティブな思考が止まらないクララはどう対応するべきか迷った。バッシはそんなクララの思いを知ってか知らずか、言葉を続けた。


「大変そうな職場だったから、スタミナつくモンがいいかなと思ったんだ。だがすぐに用意できるものってぇと作り置きしてるハムと、あとはあまりのバゲットで作ったサンドイッチくらいで……」


「そう……ありがとう」


「…………」


「…………」


 気まずい沈黙が辺りを包む。聞こえるのはゴミが燃えるパチパチという音くらいだ。

 クララとしては何を話していいかわからない。それでも何か話さなくてはと、この重すぎる空気に耐えられなくなったクララはわざと明るい声をあげた。


「ごめんなさいね、私、本当はガサツな女なのよ! 失望したでしょ?」


「! そんなことはない!」


 目を見開いたバッシは意外にも即座に否定する。そして目を左右にさ迷わせ、頬をぽりぽりとかきながら、はっきりと言った。


「お、俺は……仕事熱心な女性は、いいと思う。うん」


「それって、つまり…………」


 てっきりバッシは別れ話をするためにクララを探しているのだと思ったが、どうも彼の様子を見ていると違うような気もする。これは、つまり。もしかして。


「これからはありのままのクララさんを、見ていきたいと思ってる」


「…………!」


 クララは堪えていた涙腺が緩むのを感じた。視界がぼやけ、涙でバッシの姿が霞む。


「バッシさん!」


「クララさん。もう一度言う。俺と結婚してくれ」


 あぁ、なんということだろう。なんて素敵な人なんだろう。私はやっぱり、幸せ者だわ!

 クララは衝動のままにバッシに抱きつき、答えた。


「……喜んで!!」

 




+++




「で、結局二人は上手くいきそうなの?」


「はい。一時はどうなることかと思いましたけど」


 事の顛末をデルイに報告したソラノは、その日のことを思い出して息をついた。今現在、二人は中心街にあるカイトのカフェに来ている。

 珍しく連続で中心街に来ているわけだが、言い出したのはまたもデルイだった。

 クララの予想外の実態を、バッシは広い心で受け入れた。そして二人は無事に心から結ばれたというわけだ。


「『考えてみれば、冒険者用の酒場で働く女性がそんなに大人しいわけないよな』って笑って言ってました」


「その場でまだ猫を被っていたら、きっとその方が失望しただろうね」


「そうですね、バッシさんはそういう人です」


 仕事熱心な人間をあざ笑ったりはしない。バッシは自身が仕事に誇りを持っているが故、クララが中途半端な対応をしたのならばがっかりしただろう。だからあの場において、クララの見せた態度は大正解である。


「花祭りが落ち着いた初夏には披露パーティを女王のレストランでするって言ってました」


「楽しみだね」


「はい」


 ソラノは頷く。人気レストランでのパーティ。きっと素敵だろう。その日ばかりはソラノも普段とは異なり、給仕される側にまわるというわけだ。


「お待たせしました、カフェラテどうぞ」


「わあ」


 と、カイトがやって来て二人の前にカップを置く。そこにはきめ細やかなミルクフォームの上に描かれた繊細なリーフ模様が。相変わらずの美しいそのカフェラテに、見ているだけで幸せな気持ちになっている。


「俺の店も今年中には空港に移転する予定だよ」


「決まったんですか?」


「ああ。まだ内密だからあんまり広めないでくれ」


「そっか……おめでとうございます!」

 

 カイトの店が隣にできたら、同じ日本人同士何かと心強い。ソラノが心の底からの祝福を送る。去っていくカイトを見送ると、カフェラテに口をつけた。

 ほんのり甘いミルクの味わいに、エスプレッソのかすかな苦味。口の中に幸せが広がる。


「楽しみだなぁ、あとはどんなお店が入るんだろ? ビストロ店とカフェと……軽食店とか、パン屋さんとかかな?」


 第一ターミナルに飲食店が増えれば、それだけ交流も増え、人の目にも留まるだろう。

 新たな年の幕開けに想いを馳せるソラノをニコニコと見つめていたデルイが、おもむろに口を開いた。


「楽しみといえば、俺たちももうすぐかなと思ってるんだけど」


「何がでしょう?」


「バッシさんたちを尾行している時、俺が言っていた結婚適齢覚えてる?」


 言われてソラノはその時のことを思い出す。確か貴族子女で十六、七歳。庶民で二十歳そこそこと言っていたような。二十歳そこそこ。

 

「あっ」


 思わず口に出してしまった。


 ソラノは今年で二十一歳になる。まさに二十歳そこそこ、結婚適齢だ。

 それはつまり、そういうことになるのか?

 しかし日本で生まれ育ったソラノからすると、この年齢での結婚というのはちょっと考えられない。漠然とあと五年くらいは先のことかと思っていたので、急にそうした選択肢を突きつけられるのはちょっと……。

 そーっと、伺うようにデルイを見ると……彼はその端正な顔に、それはそれは楽しげな表情を浮かべていた。


「楽しみだね。せっかくだからこのまま指輪をに見に行くのはどうかな。買うのは先にしても好みが知りたいし」


 ノリノリっぽいデルイを前に、どう答えればいいかわからない。

 そのために中心街まで来ていたのか……。

 ソラノはひとまず笑ってごまかし、カフェラテを口へと運ぶ。

 柔らかなミルクとエスプレッソの味わいでも、この動揺を抑えることはできなかった。


 季節は移ろい、春へと変わる。

 浮き足立つ人々の心に押されるかのように、都が最も賑わう美しい季節は、もうすぐそこへと迫っていた。


++++


 これにて番外編、「恋する料理人」おしまいです。

 お読みいただきありがとうございます。

 現在、別作品の和風グルメファンタジーを連載していますので、

 よろしければどうぞ!

 皇帝陛下の御料理番

 https://kakuyomu.jp/works/16817330648389943932

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