第93話 タルトフレーズ
「やっと手が空きました!」
「じゃ、デザートにタルトフレーズ二つもらっていい?」
客の流れが落ち着いたソラノは朗らかにカイトへと話しかける。カイトはお連れの女の子とのんびりロールキャベツを食べていた。
「はい、お待ちください。バッシさん、タルトフレーズ二つ……あ、四つください」
言いかけてから訂正したのは、ちらりと見えた窓際のお嬢様と壮年護衛の二人組もロールキャベツを食べ終えたのが見えたからだ。空いたお皿を下げに行く時、お嬢様の方がどこか寂しげな瞳で窓の外を見つめているのに気がついた。誰か待っているのだろうか。聞くのはあまりに野暮なため、お皿だけを下げて去って行く。
「ほいよ、タルトだ」
「ありがとうございます」
受け取ったタルトを持って再びテーブル席へといく。
「お待たせいたしました、タルトフレーズです」
「わあ……!」
少し寂しそうな表情をしていたお嬢様はタルトを見て目を輝かせた。
「とっても綺麗なタルトね!」
「ありがとうございます」
フレッシュな苺がナパージュと呼ばれる透明なゼリーを身にまとい、つやつやと輝いている。八等分されたタルトにはぎっしりと苺が並べられており、その下にカスタードクリーム。アーモンドタルトは軽い口当たりのサクサクとした生地で、この季節ならではの自慢の逸品だ。苺が採れるのは春先から初夏にかけての時期だけに限られている。日本のように年中あるわけではない。
フォークを刺して、タルトを食べるお嬢様。口に入れるととろけそうな幸せな表情をした。所作は美しいがまだ幼さが残るお嬢様のその表情は年相応だ。
「味も美味しいわ。私、苺が大好きなんだけれど、こんなに綺麗で美味しいタルトフレーズを食べたのは初めてよ。家の料理長にも是非とも見習わせたい」
「恐縮です」
ソラノは頭をさげる。先ほどまでの表情は何処へやら、すっかりタルトに夢中になっている。
「ねえ、お願いがあるのだけれど」
「はい、なんでしょう?」
お嬢様はフォークを置くとナフキンで口の端をちょっと拭き、それからソラノへと顔を近づける。かがんだソラノはお嬢様の被っているラベンダー色のつば広帽におでこがぶつかりそうになった。
「私はしばらく、毎日同じ時間にこのお店に来るわ。だからこの席、私達用に空けておいてくださらない?」
秘密話をするかのようにごく小さな声でそう言うお嬢様。ソラノは目をしばたたせてから頷いた。なるほど席の予約というわけか。別に問題ないだろう。
「かしこまりました」
「ありがとう」
ホッとしたようにタルトに再び向きなおる。カウンターに戻る途中、今度はデルイに呼び止められた。
「ソラノちゃん」
「はい、何でしょう。あ、ワインのおかわりですか?」
「うん」
ワインを注いでいると、話しかけられる。
「ね、さっきのお嬢様に何話しかけられてたの」
「ああ、席の予約をしたいとのことでした」
「そうなんだ」
注いだワインに口をつけながらデルイが言う。こういう時は何かしら考えているんだろうな、と思いつつ別段深く追求はしない。追求したところで答えてくれないことをソラノは直感していた。
「ソラノちゃん」
そう思っていたら今度は、少し離れたカウンターに座るカイトに呼ばれた。何だか忙しい。
「はーい、何でしょうか」
カイトの前まで行くと、なぜか連れの女の子が真剣な顔でタルトを見つめている。「この見た目、この味……完敗だわ」と呟いて、猫耳の生えた頭を抱えていた。どうしたというんだろうか。首を傾げていると、カイトが説明してくれた。
「この子、マノンって名前なんだけどパティシエでね。今度俺と一緒にカフェをやるんだ」
「ああ、パティシエさんなんですか、なるほど! 一緒にカフェ、いいですねえ。ちなみにカイトさんのご職業は?」
「バリスタって知ってる?」
「なんとなく知ってますよ、コーヒーを淹れる人のことでしょう? あの、緑のロゴマークのお店にいっぱいいる人たち」
「まあそうだね、あそこにはいっぱいいる」
苦笑を漏らしながらそう言うカイト。ロゴを思い浮かべたらあの店のドリンクが飲みたくなってきた。フラペチーノとか、美味しいよねぇ。そんな風に思っているとカイトが言葉を続ける。
「今度の花祭りの中央広場で出店するんだ。中心街まで来る機会があったら是非寄って行って。ビーフシチューのお礼に今度は俺がカフェラテをご馳走するから」
「それは楽しみです。そういえばこっちの世界のカフェラテ飲んだことないや」
「あ、そうなの?」
「はい、だから一杯目がカイトさんの淹れるカフェラテですね」
「そっか。安心して、俺のカフェラテは世界一美味しいから」
「それは期待が持てます!」
その言葉が言葉通りの意味を持つということをソラノは知らない。隣でタルト相手に唸っていたマノンが会話に参加して来る。
「ちょ……あたしのケーキだって、せっ、世界いち……」
言葉が尻すぼみになって、再びタルトを見つめ、あうあう言ってからがっくりとうなだれた。
「ダメだわ、このタルトフレーズを前にして世界一なんて大それたことは言えない……!」
「まあまあマノン。挫折するのもいい経験だ。このタルトを超えるものを作れるようになればいいんだよ」
「だって、この生地のサクサク食感、カスタードクリームのもったりした甘みに、それをしつこくさせないための苺の酸味! 完璧なタルトフレーズよ! おまけに仕上げのこの表面のツヤは一体何なの? どうしてこんなタルトを作れるの?」
「お褒めに預かり光栄だな」
ひと段落ついたバッシがヌッと出てきて満更でもなさそうな表情を浮かべた。
「あなたが作ったの? 専属のパティシエじゃなくて?」
「店が狭くてそこまで雇えないんだ。これは俺が女王のレストランで働いている時に仲間のパティシエに教わったタルトだ」
「じょ、女王のレストラン!? 超人気店じゃないの!」
マノンが度肝を抜かれた声を出す。
「バッシさんはそこのサブチーフだったんですよ」
「おうよ」
同意するバッシ。マノンはへなへなと脱力してカウンターに突っ伏した。
「か、完敗よ」
「マノンはまだ若いんだから頑張ればいいんだよ」
戦っているわけでもないのに勝手に打ちのめされているマノンにカイトがそうフォローをしている。いいコンビらしい。
「あたし、このタルトを超えるデザートを作ってみせる」
「なかなか根性あるお嬢さんだなあ。出会った時のソラノを思い起こす」
遠い目をしながらそんなことを言い出すバッシ。
「頑張れよ」
「ありがとう、じゃあこうしちゃいられない。帰って早速お菓子作りよ」
「ごちそうさま。また花祭りの会場で会おう」
「はいー、ありがとうございます」
カイト達のお会計を済ませれば、先ほどのお嬢様にも会計に呼ばれる。
「とっても美味しかったわ。明日も楽しみにしている」
「ありがとうございます。また明日もお待ちしています」
そうしてにこりと笑顔を浮かべて見送ると、お嬢様は去っていった。続いてデルイが席を立つ。
「ごちそうさま、また明日来るから」
「はい、お待ちしております」
店にいる時はあくまで店員とお客の立場を崩さない。お辞儀をして見送ると彼は軽く手を振って店を出る。
三組の客がいなくなっても、まだまだ店は営業している。次の来店に備えるべくソラノは店内の片付けを始めた。
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