第92話 ロールキャベツ

マノンは隣に座って美味しそうに料理を食べるカイトを見ながらわずかな苛立ちを感じていた。彼は一体なぜにこの店に自分を連れて来たのか。やる事は山積しているというのに。

 いやいや、カイトのやる事だからきっと意味がある事なのだろう。そう自分に言い聞かせてからマノンは目の前のロールキャベツを見た。綺麗な俵型にまとめられたひき肉が春キャベツに包まれている。食べやすさを考慮してか小さめのロールキャベツはお皿に三つ並んでいて、三つ子のようで愛らしい。

 ナイフで一口大にカットしてから、キャベツがベロンとならないようにフォークでまとめて口に入れる。噛めば中から肉汁とスープが溢れ出した。


「美味しい……」


 思わず口に出してしまう。頰が緩んだ。カイトも隣で笑顔を向けている。


「だろ?」


「うん」


「美味しいし、見た目もいいだろ」


「うん」


「質の高いものに触れるとね、自分のランクも上がるんだよ。この料理を糧にしてマノンのケーキに経験を落とし込むんだ」


 マノンはカイトの方を見やる。なるほど、そんな理由があって連れて来たのか。 

 マノンは再びロールキャベツを見た。確かにこのロールキャベツはマノンが食べたことのあるどんな料理より見た目に気を使っている。カイトのアクアパッツァにしてもそうだ。 


 カイトは出会ってから一貫して「味だけでなく見た目にもこだわる事」と言い続けていた。それはカイトが作るカフェラテにも如実に表れている。あれは飲み物ではなく芸術品といった方が良いほどの出来だ。


+++


 マノンは元々菓子職人として王都中心街にある大型の菓子屋で働いていた。そこは若き菓子職人がひしめき合う登竜門のような場所で、甘味好きの貴族が出資して経営している店だった。

 店の一風変わったところとして、菓子職人それぞれが割り当てられたショーケースに自分の作った菓子を陳列し売り出している、という点がある。ここに売り出せる条件は二十歳までの職人であること。二十歳までであれば身分を問わず、そして賃料も微々たるものだ。つまりまだ日の目を見ぬ将来有望な職人たちが自分の菓子を世に認めさせるために日々しのぎを削る場所だった。


 ここに籍を置いて二年。鳴かず飛ばずのマノンは既に二十歳にまで秒読み状態になってしまっている。リミットはあと数ヶ月だった。

 やばい。

 焦りはあるものの、今更どうすればいいというのか。マノンには自分で自分の欠点がわかっていた。しかし割り切ることができずに今もこうしてここでマゴマゴとしている。

 

 店内に整然と並ぶショーケースには各々が趣向を凝らしたお菓子が並んでいる。大体皆、十五種類前後。多いと二十種類ものお菓子を並べている人もいた。

 対して自分はどうか。マノンは自身のショーケースに並ぶお菓子を見た。

 クッキー、スコーン、マドレーヌ。ガトーショコラにチーズケーキ、アップルパイ。

 たったの六種類だ。


 マノンは自分が絶対の自信を持つお菓子しか店に出していない。それは師匠たる祖父の教えでもあり、「自分が納得いかないものを人に売らないこと」と幼い頃より口を酸っぱくして言い含められていた。その方針はマノンの心の奥底に根付いており今も変わりはない。

 作ろうと思えば他にも作れるが、味に妥協したものを売るわけにはいかなかった。そしてここではそれを余計なプライドと呼ぶ。


 ここで求められているものは柔軟性だ。多種多様な美味しいお菓子を効率よく作れる器用さ、新たな商品を開発する意欲。事実、有名レストランのパティシエや高名な貴族の専属菓子職人にスカウトされるのはそんな人材ばかりだった。いくら味が良かろうと、頑固な職人気質は受け入れられない。


 焦燥感に駆られ、苛立ちが胸を焦がす。作れど作れどあまりパッとしない自信の評価に虚しさが胸を支配する。この二年で陳列される商品に代わり映えがないマノンのショーケースに近寄ってくれる人すら最近は稀になっていた。

 人は、目新しさを好む。

 売れ残りを処分するのももったいなく、持って帰っては近所の子供保護施設へと寄付する生活だ。子供達は喜んでくれるがそれが世間の評価に繋がるわけではない。


「違う。あたしの作るお菓子はここのどのお菓子より美味しいわ!」


 それは絶対に自信のあることだった。しかしそう心の中で叫んでみるも現実は厳しい。常にマウントを取り続けるこの店内に二年も居座るのは屈辱的なことだった。後から来て天才的な腕前を披露し、数ヶ月もしないうちにスカウトされて去っていく子もいれば、マノンのお菓子より明らかに味が劣っているのに種類勝負の効率重視で貴族の屋敷に就職が決まった子もいる。


 自分の作るお菓子は美味しい、みんなの見る目がないだけ。色々と言い訳を並べ立てて見ても、自分がここで評価されていないという事実は覆しようもない。暗に才能がないと言われているようで、心が折れて諦めそうになった。

 カイトと出会ったのは、そんな時だった。


「この店で売ってる全員分のクッキーとスコーン、ガトーショコラ、チーズケーキをくれないか」


 決して大声を出しているわけではないのに、店の中心に立ってカイトが発した声は全員に聞こえた。ウェーブのかかった短い黒髪に、黒い瞳、白いシャツに黒いカーディガンとズボンを履いた彼の姿はあまりにもシンプルでかえって人目をひいた。


「箱に一人一人の名前も書いてね」


 笑顔でそう言う彼を見て直感する。これは査定だ。すかさず店中の職人たちが言われたお菓子を箱に詰め出す。マノンもそれにならい、心が少し浮き足立った。彼が求めたお菓子はマノンが作り続けているもので、味に自信があるものたちばかりだ。

 


 三日後に再び現れた彼は、「マノンという職人は?」と聞いてくるではないか。震える手を挙げると長い脚を動かしてこちらにまっすぐ向かってくる。


「君の作ったお菓子を全部もらえるかな」


「は……はい!」


 狭いショーケースに並んだお菓子をそっと取り出し箱に詰めていく。それらをお買い上げしたカイトを見送ったさらに二日後。今度は店に入るとまっすぐに自分のところへとやってくる。ショーケースを挟んで対面する。鼓動が早くなった。


「お菓子作りでこだわっていることは?」


「味です。自分が自信を持ってお勧めできるものしかお店には置いていません」


「いい返事だ、俺と気が合う」


 頷いて言葉を続ける。


「俺はカイト。コーヒーを淹れるのが得意なんだ。君のお菓子があればドリンクがますます引き立つ。一緒にカフェを開かないか?」


 マノンが二年間欲しかった言葉を満面の笑顔でカイトは言ってくれた。

 

「はい!」


 一も二もなく即答したマノンだったが、彼が実は異世界からこの世界に来たばかりで、店を開くために一千万もの借金を背負っているということは後から知った事実だった。


+++


「うーん……」


「どうした? 満腹か?」


 カトラリーを置いて気難しい声をあげるマノンにカイトがそう話しかけてくる。マノンはカイトをちらりと見た。彼はアクアパッツァを食べ終えていて、マノンと同じロールキャベツを食べ始めていた。


「いえ。ちょっと出会った時のことを思い出していて」


 そう言ってちらりとカイトを見る。ふた月一緒にいて聞けなかったが、今なら聞ける気がする。広くはない店内はざわざわと他の客の会話する声で満たされていた。決してうるさいわけではなく、各々が連れと話で盛り上がる様は居心地がいい。

 こうした店のカウンターで隣り合い座って料理を食べていると、今まで胸のうちに巣食っていた疑問がするりと喉から声に出る。


「あの時はまさか一千万も借金してるとは思わなかった。わざと内緒にしてたの?」


 出会った時には豪快に金を使ってお菓子を買い漁り、その後も中心街のはずれになかなかな賃料の店を借り、それからコーヒーとお菓子作りに必要な器具を揃えている。マノンに金銭を要求することはまるでなく、最初はどこかの富豪か、ひとかどの経営者なのかと思っていたのだが話を聞けばまるで違った。

 職業はバリスタ、と言われた時には知らない職業に頭の中が疑問符だらけになったし、「コーヒーを淹れる専門職人」と言われた時には正気を疑った。ワインを選ぶ専門のソムリエならば聞いたことがあるが、コーヒーを淹れる職人など見たことも聞いたこともない。

 まあ、彼の淹れるカフェラテを飲んでそんな些細な疑問などは吹き飛んだわけなのだが。


「わざとって訳でもないけど、マノンに肩代わりしてもらう気はさらさらないから言わなくてもいいかなと」


 カイトはワイングラスをカウンターに置き、体をねじって顔をマノンの方へ向けてくる。


「お金のことは気にしないで、マノンは自分が信じるデザートを作っていればいいよ。そうすればあっという間に人気店になる」


 そういうカイトは優しげに微笑んだ。これだ。こうしてカイトは自分が一番欲していた言葉をくれる。めげずに自分の信じる道で努力し続けてよかったな、と感じる。だからついていこうと決めたのだ。


「えへへ」


 素直に嬉しくなったマノンはパクリとロールキャベツをもう一口食べた。少し冷めてしまったがそれでもまだ美味しい。季節は春で、新鮮な野菜が存分に採れる時期だ。キャベツと同じくここに入っている玉ねぎも新物だろうか。


 店の厨房では牛人族のシェフが腕をふるっていて、カウンターでは金髪の男の店員が雑務をこなしている。カイトがソラノと呼んだ女の子の店員はテーブル席の間を縫うようにして移動しながら接客に勤めていた。小さいながらも活気のあるお店で全体の雰囲気がとてもいい。何時間でもお酒と料理を楽しみながら居座っていたくなるような店だ。


「中心街でうまくいったら空港に出店するのもいいな。俺のカフェラテを世界に広められる」


「まだ何も始まってない段階でそんなこと言う……?」


 そう言うカイトの声は弾んでいるがマノンは呆れた。

 今は二人して開店前の店で各々の商品の精度を上げていた。すぐに店を開店するのかと思っていたがそうではなかった。店をやるからにはセンセーショナルなデビューを飾り、人を惹きつけたいとカイトは言っていた。


 そしてそのためにカイトが選んだ手段は、花祭りの行われる中央広場に屋台を出すとい手法だった。広場に出店するのは王都でも屈指の名店ばかりでありこの世界で何の実績もコネも無い人間ができることでは無いのだが、カイトは祭りの主催者たちにその芸術的なカフェラテとマノンの作ったガトーショコラを提供することで実力を認めさせた。

 そして出店料に少々の色をつけることで、いい位置への出店を取り付けたのだ。

 老獪な商会の責任者や祭りへ出資している有力貴族たちを相手取り一向に怯まないカイトには凄みすら感じた。手腕が鮮やかすぎてマノンは口を開いてみているばかりだった。


「夢はいくつあってもいいと思うよ。それに目標は高い方がやりがいがある」


「カイトって自信家だよね」


「それに見合うだけの実力があると自負してるからね」


 カイトの辞書には謙遜という言葉はないらしい。みなぎる自信にいっそ清々しささえ感じる。何ならあたし抜きで一人でも成功するんじゃないかなあという気持ちすら湧いて出て来るほどだ。


「いい事を教えようか、マノン」


「何?」


「どれだけ壁にぶつかっても、努力し続けた者だけが栄光を掴み取ることができるんだよ」


「努力……」


 マノンは口の中で反芻はんすうする。


「マノンは美味しいデザートを作る努力を続ける。俺は美味しいコーヒーを淹れる努力を続ける。そうすれば一見無理そうな目標も叶えられる」


「うん」


 だがしかし、そんな人に自分はパートナーに選ばれたのだ。誇らしい。

 この人と夢を叶える。王都で一番の菓子職人と言われるよう、マノンの挑戦はまだまだ始まったばかりだ。

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