第91話 アクアパッツァ②

 さて、この世界のカフェ事情を大まかに把握し、コーヒーマシン、コーヒー豆を手に入れた。次は何か。


 当然、ミルクスチーマーだ。

 温めながらきめ細やかな気泡を含んだミルクフォームを作り上げることができなければラテアートを描くことは不可能である。十日カフェに通い詰めて観察したところ、この世界のカフェラテはどうやら温めたミルクを手動の撹拌器かくはんきであわ立ててからエスプレッソに注ぎ入れているらしい。

 全然ダメだ。そんなことをしていてはドリンクがどんどん冷めていくし、とてもではないがアートできるほどの品質のミルクを作り出すことはできない。

 この解決策についてカイトはすでに導き出していた。

 

 つまり、魔法。


 火魔法と風魔法を調節すればうまいことミルクピッチャーに熱を入れつつ撹拌することが可能なのではないかと踏んでいる。


「そんなわけで魔法を指南してくれるという冒険者ギルドという場所に来てみたわけなんだけど」


「そんな理由でここに来る人なんて、後にも先にもあなただけでしょうね」


 今までのいきさつを朗らかに語るカイトに、指南役である女魔法使いは呆れたように言った。黒い帽子に黒いワンピースを着込んだ彼女は自分と同い年くらいだろう。ザ・魔法使いといった出で立ちに、しかしカイトは特に感銘を受けなかった。こっちの世界には随分色々な種族が存在しているらしく、衣服のみで驚くという事はもはやない。人の見た目に関しては石田で鍛えられすぎたということもある。


「ミルクを六十度から六十五度の間で撹拌しながら温めたいんだ」


 そんな魔法使いの様子を気にすることもなくカイトは自分のやりたいことを伝える。目的を明確にしておくことはとても大切なことだ。しかし魔法使いは大げさにため息をついた。


「いい?一般魔法でコンロに火をかけたり、水をシンクに出したりするのは簡単だけれど。そんな風に加える熱の温度を細かく指定したり、風魔法の範囲を一定に保つのはとても大変なのよ。熟練の魔法使いだっておいそれとできることじゃないわ」


「そうかな。でも俺は早く自分の店を持ちたいから、その魔法に関しては三日でマスターしたいと思ってる」


「本気で言ってるの? 冗談?」


「俺はいたって真面目だよ。じゃ、時間が惜しいから早速始めてくれないかな」


「だいたいあなた、異世界人でしょ? この世界に来てから日が浅い人間は魔素が体内に蓄積されていないから、魔法を使うことは……って、あら……」


 目を細め、座っていた椅子から身を乗り出してカイトを見てくる。


「あなた、もう魔素の量が常人以上に蓄積されている。魔法の才能があるかもしれないわ」


「ならラッキーってことだね」


「じゃ、訓練してみるからついていらっしゃい」


 三日の魔法指南の後にカイトが火魔法と風魔法の微力調整を完全にマスターし、魔法の才能があるとのことで熱心に魔法使いになるよう勧められたが丁重にお断りをした。十五年来の夢を今更諦める気はさらさらなく、ジョブチェンジするなど以ての外だ。


「俺は自分の店を持ってコーヒーを作りたいんだ」


「そんな……偉大な魔法使いになれるっていうのに?」


「偉大な魔法使いよりもこの世界のカフェ文化を変える方が俺には合っている。店を開いたら宣伝に来るから、よかったらコーヒーを飲みに来てくれないか」


 そう言ってカイトは颯爽とギルドを去っていった。後に冒険者ギルド内で「天才的な魔法素質を持つカフェ店長」と呼ばれるようになった事は彼のあずかり知らぬ事だ。



 宿に帰ってから必要な材料を取り出して試しにラテアートを作ってみる。

 マキネッタに豆と水をセットし、コンロに弱火にかけてエスプレッソが抽出されるのを待つ。その間にミルクピッチャーに冷たいミルクを注いで、そっと片手を添えた。もう片方の手はピッチャーの上にかざす。

 キュルキュルキュル、と高い音を立てながらミルクが熱を帯びつつ中心から回転する。ピッチャーから伝わって来る熱で温度を確認しつつ、細やかな魔法調整を行う。何千杯ものカフェラテを入れてきたカイトからすればこの温度調整はお手の物だった。

 絹のように滑らかな泡のミルクが出来上がったところで一度テーブルに置き、続いて抽出を終えたエスプレッソをカップに注ぎ入れる。


 やはりクレマが出来上がらないが、カップを静かに傾けた。

 カップとピッチャーを近づけてごく少量ずつのミルクを注ぎ入れていく。トクトクトク、と泡だてたミルクが半分くらいまでカップを満たしたらピッチャーを動かし、淵から中央まで縦に切るように線を入れる。


「出来た」


 室内にカイトの声だけが響く。トン、と置いたカップの中には見事な左右対称のハートが浮かび上がっている。一口飲んでみた。


「うん、まあこんなもんか」


 先日世界一位に輝いた時のカフェラテとは比べるべくもないが、及第点といったところだろう。肝心の豆もミルクも器具も少ない中でここまで再現できたのは上々だ。

 

「次はパティシエを見つけよう」


 石田以上の人材が見つかるかどうか不安だが、これもまたやってみるしかない。


+++


「大変お待たせしました、ロールキャベツだ!」


 そう言ってマノンの前にロールキャベツを出してきたのは、ソラノではなく金髪の背の高い青年だった。


「わあ、ありがとう!」


 マノンは待ちわびたようにナイフとフォークを手に取り、口に入れている。つられるようにカイトもアクアパッツァを食べ進めた。


 過去の出来事を思い出しながら魚料理を食べ進めると不思議とその時に食べたもののように錯覚した。ミラノのアクアパッツァも美味しかったがこれも負けていない。独自の発展を遂げたのか、食べ進めると地球のものよりハーブの風味が強いことに気がついた。あさりもやや大きめで、ハマグリとあさりの中間くらいの大きさだ。身が詰まっていて貝柱も食べ応えがある。


「美味しいよ!」


「じゃあ俺もロールキャベツ食べようかな。すみません」


「はい!」


「ロールキャベツもう一皿もらえるかな?あとワインのおかわりも」


「はいよー!」


 ビストロというよりどちらかというと居酒屋の店員のような相槌を打つ青年に注文を通す。


「……はあ」


「ん?」


 ため息につられて隣を見るとマノンがふてくされたような顔をしていることに気がついた。


「何でそんな顔してんの?」


「だって……またそうやってお金使おうとしてるけどさぁ」


「うん」


「それ、カイトのお金じゃないからね? 借りてるやつだからね?」


「ま、借りているとはいえ俺が使えるお金だよ」


「それ、ダメなやつ! ダメな人のセリフ!」


「大丈夫、あと数ヶ月もすれば完済してるから」


「それもダメなやつ!」


 マノンは金眼をくわっと見開き、八重歯をむき出しにして怒った。


「ははは」


「もーっ、カイトってばわかってるの?私たちまだ一銭も稼いでないんだからね?」


「これからだよ、これから」


 言いながらアクアパッツァをもう一口食べた。キリリと辛い白ワインによく合うこの料理は、世界一に輝いた夜、ミラノでの祝勝会に食べたことを思い起こさせた。

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