第94話 懸念事項


 その日の朝、デルイはポストから一通の手紙を取り出していた。

 リビングに戻って壁に寄りかかり、まだ少し眠たい目で仰々しい封蝋を眺める。王家の紋章だ。上質な封筒に入っている手紙を抜き出す。厚手の紙に書かれている内容は要するに、今度の花祭りにおける舞踏会の招待状だった。ここに書かれてはいないが恐らく祭りの開催を告げる舞踏会の場にて、皆が噂をしているフロランディーテ王女の婚約を大々的に発表するのだろう。

 この招待状は主だった貴族すべてに送られているはずだ。この時期は社交シーズンでもある。毎年毎年同じ招待状がやってくるが、今回は婚約披露とのことで例年にも増して賑々しく開催されるはずだ。列席する貴族たちもさぞ気合が入ることに違いない。


 一通り読んだところで心が動かされることは何もなかった。まだ身支度が整っていない、やや乱れた髪をくしゃりとかきあげる。

 そして一切のためらいなく、手紙を真っ二つに破くと封筒ごとゴミ箱に捨てた。



「おはようございます」


「おはよう、デルイ。待っていたぞ、ちょっとこっち来てくれ」


 職員用の制服に着替えて出勤するなり部門長であるミルドに呼び止められる。ミルドは自席から立ち上がって率先して歩き出し、詰所の一角にある部屋へデルイを押し込めた。普段は検挙した人間の取り調べに使う部屋だった。防音、盗聴防止に優れたあまり広くはない部屋の中でミルドは置いてある椅子に座ったので、デルイも机を挟んだ向かいの椅子へと腰を下ろす。強面のミルドにこうやって対面するとこれから詰問を受けるような錯覚を覚えた。

 分厚い掌を机の上で組み合わせたミルドは眉間にしわを寄せて深刻な声を出す。


「王宮にしつこく問い合わせたところ、口を割ったぞ。お前があのビストロ店で見かけたのは間違いなく第七王女フロランディーテ様と筆頭護衛のロレッツォ殿だ」


「やっぱりですか」


 先日仕事終わりにいつものようにヴェスティビュールへと向かったところ、思わぬ人物に出くわした。王女と最後に会ったのは確か六年も前のことなので、成長が著しくその顔に確信は持てなかったものの、隣に座る老護衛の顔を見て疑念が強く浮かび上がった。王族の護衛を務める近衛騎士、その筆頭であるロレッツォ。

 ここでの仕事を始める前、定期的に連れて行かれていた夜会でよく見かけた顔がなぜ、郊外の空港にいるのか。店でそれとなく観察してみると、幾重にも張り巡らされた隠蔽魔法と認識阻害魔法が二人を包んでいる。注視しなければ、あるいは二人の顔見知りでもなければ「ただのお嬢様とその護衛」程度にしかならないように仕向けられていた。

 数多いる護衛の顔をいちいち覚えている人間の方が稀であり、フロランディーテは変装もしていて王族たる印の特徴的な銀の髪は帽子に隠れて一房も見えなかった。年の頃と瞳の色でおそらく、とあたりをつけて念のために部門長に報告をした。


 そしてその予想は見事に当たった訳だ。


「一体何をしにここに来てるんですか?」


 あれから三日は経っていたが、二人は毎日やって来ては同じ席に座って食事をして帰って行く。空港職員以外で毎日来る客などいないため珍しい。ソラノは王女の好物まで把握しだしており、なんだか仲良くなっていた。ソラノは全方向に色々な人間と仲良くなり過ぎる。


「なんでも、婚約者の本当の姿を見るために通い詰めているらしい」


「何でそんな事を……待っていれば王城で会えるでしょうに」


「ありのままの姿を見たいとのことだ。王城に入ればかしこまってしまうだろうが、長旅を終えて空港に降り立った直後ならば少しは素の姿を見せているだろうからと」


 ミルドは顔をしかめながら言う。デルイも沈んだ気持ちになった。王族がお忍びで空港へ来ているなど全く頭の痛い話である。何かあったら当港の責任になりかねない。


「王宮は止めないんですか」


「勿論止めた。だが王女様が頑なで、行けなければもう部屋から出ないだの婚約は絶対にしないだのと言ってゴネたらしい。筆頭護衛のロレッツォ殿と共に行くということで折れたそうだ」


「何でそこまでして……」


 今度こそ二人揃ってため息をつく。


「王族の到着日は関係職員以外には秘匿されているから、このままだと着港するまでやって来ることになる」


「まだ到着日まで時間がありますね」


「ああ。しかもだ」


「何でしょうか」


「正体に気がついたのならバレないように警護に当たれと命じられてしまった」

 

 デルイは天井を仰いだ。狭い室内の天井には剥き出しの照明器具が下がっており煌々と明かりを落としている。知らんふりをしていればよかったのか。いや、だが万が一にも何かが起これば大ごとだ。気づいてしまった以上は報告するのが筋というものだろう。


「悪いがお前頼まれてくれるか。王子の到着まではまだ日がある。それまで毎日あの店へ行き、不自然な行動を取ることなく周囲の警戒をできる者なんぞお前以外におらん」


「まあそうなりますね」


 素直に頷いた。自国の、しかも婚約を間近に控えていると噂され今一番注目されている王女がたった一人の護衛とともに来ているなどと言えば大抵の人間は緊張して強張ってしまうだろう。


「スカイは連れていくの止めましょう。事情を話せば絶対に店で挙動不審になる」


「そうだな、それがいい。幸い殿下はお前たちの勤務時間外に店に来ている。上がった後に密かに護衛任務についてくれ。残業代はつけておくから」


「わかりました」


 自分一人ならばどうせ毎日のように通い詰めているからして、別段不自然な点は何もない。一点あるとすれば、空港の利用客が多い時期に仕事もそこそこに店で飲んでいるとは何事かと眉をひそめる者もいる事か。それも自分の評判が下がるだけなのでそこまで気にすることではないだろう。

 後輩に仕事を押し付けてのんきに食事をしている嫌な奴、と思われたところで今更どうも思わない。


「王子の到着時の護衛は抜けてくれ。他の者に穴埋めしてもらうようルドルフに手配を頼んでおく」


「はい」


「勤務早々ご苦労だったな、じゃ、スカイのところへ行ってやれ」


「了解しました」


 何事もなければいいのだが。店で見かけたフロランディーテはまだ幼さが残る容貌だった。年若いフロランディーテのことを考えれば、花祭りが平穏無事な婚約発表の場になればいいとデルイは思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る