第95話 サーモンのムニエル弁当

「ルドルフ、ちょっといいか?」


「はい」


 自身のデスクで書類仕事をしていたルドルフのところへミルド部門長がやって来た。今しがたまで眺めていた書類から目をあげ、最近視力が落ちて来たためにかけていた眼鏡をくいと上げる。


「フィリス王子の警備体制なんだけどな、デルイの奴が抜けることになったから他の人間の手配を頼む」


 その言葉を聞きルドルフは目をしばたたせた。オルセント王国フィリス王子の護衛と言えばここしばらくの間で一番大きな警備対象だ。王族を乗せる船が着港した瞬間からエア・グランドゥールを飛び立ち王都まで到着し、王城へ向かう馬車に乗り込むまでの警備を一手に引き受ける。しかも今回は、着港早々にエア・グランドゥールの視察予定も組み込まれていた。

 暗殺・襲撃など不測の事態に備えて厚く警備態勢が敷かれており、これを担うのは保安部の中でも実力と経験がある者となっていた。デルイはその点申し分のない人材でありルドルフも真っ先に彼を入れることに賛成したのだが。


「あいつまた何かやらかしたんですか?」


 実力はあるが時折予想外の行動をとるのがデルイだ。かつて相方であったルドルフは嫌という程思い知らされている。心配になってそう聞くもミルドは苦笑いを浮かべながら首を横に振った。


「他にやってもらうことができたんでな。そっちに注力してもらうことになった」


「そうですか。わかりました」


 そう言いつつも内心納得してはいなかった。王子の警備以上に重要な案件などあっただろうか。しかし聞いても仕方のないことなのでそう相槌を打つ。バディを解消した今となってはデルイの動向をいちいち気にしてなどいられない。自分の仕事が他にある今、そちらに注力しなくては。異動したてのルドルフはやることが山積していた。


「じゃ、頼んだぞ」


 ミルドはそう言うと去っていく。ルドルフは眼鏡を外して強張った目元をもんでほぐした。仕事内容が変わって座っていることが多くなり全身凝りかたまっているが、一番ひどいのは目だった。眼精疲労が凄まじい。少し落ち着かせてから時計を見るとすでに昼時に差し掛かっている。己のデスクを見てみれば大量の書類がバランスを失って崩れそうになっている。


 この時期の空港は忙しい。

 花祭りの観光に来る客が数多く押し寄せてきており、おこぼれに預かろうと商人達も品物を抱えてやって来る。良からぬものを持ち込もうとする人間があとを絶たず、混乱に乗じて国外に違法品を持ち出そうとする者もまた増える。それを取り締まるために人員配置がいつにも増して厚く敷かれていた。

 手荷物検査に長蛇の列が出来、待つのに飽きた客達がいさかいを起こすことだってある。それを諌めるのも保安部の仕事だ。やることは枚挙にいとまがなく花祭りが終わるまでの間、保安部の人間は全員が残業だ。いや、保安部だけではなく空港で働くほぼ全員が残業する時期だった。


「妖樹騒ぎが落ち着いたと思ったらこれか」


 ルドルフは嘆息した。とは言っても手を抜くわけにはいかない。

 

 空港とは、防波堤だ。


 国内に危険物を持ち込ませないよう、あるいは危険物を持ち出されないようきっちりと取り締まらなければならない。


 ひとまず昼にしようかと立ち上がる。先ほどまでの仕事も片付いていないし、デスクで簡単に食べられるものにしよう。となるとサンドイッチかお弁当か。

 ルドルフは休憩中の散歩がてらに第一ターミナルへと足を向けた。



「らっしゃい!」


「こんにちは」


 最近店に入ったレオという青年がルドルフを元気に迎え入れる。相変わらずの砕けた口調だったが職員相手ならこのくらいでもいいだろう。利用客はともかく職員で気にしている者はいない。むしろ親しみやすさと、この時間はまだ店にいないソラノの代わりに明るい雰囲気を作り出していてプラスに動いているかもしれない。

 ホールではマキロンが接客に勤<いそ>しんでいた。最近は空港自体に利用客が増えたため、必然的に飲食店も入る人が増えて忙しそうだ。奥ではカウマンが腕をふるっている姿が見える。


「ルドルフさんだっけか。ベントー? サンドイッチ?」


「チキンのサンドイッチ一つで」


「そんだけ? 足りなくね?」


 レオは注文を受けてから顔をしかめる。ルドルフは苦笑いした。


「体を動かす仕事じゃないから、あまり腹が減らないんだ」


「いくら座ってるだけっつってもちゃんと食わねーとダメですって。頭まわりませんよ。そうだ、魚のベントーにしたらどうだ?今日はこれ、サーモンのムニエル入ってる」


 そう言ってレオがサーモンのムニエルが入ったお弁当を差し出してきた。付け合わせに炒り豆とたっぷりの野菜をトルメイ<トマト>で煮込んだものと、茹でたハム、野菜のマリネが入っていた。なるほど確かに美味しそうだしこれならそれほど胃に負担がかからないだろう。


「いいね、じゃあそっちで」


「はいよ! ゴハンとパンどっちがいい?」


「パンかな」


「オッケー。焼く?」


「お願いするよ」


「ハイハイ。ちょっと待っててくださいね」


 慣れた手つきで弁当の用意をしてから手渡してくる。代金を支払って受け取るといい笑顔を向けてくれた。


「毎度あり、また来てな!」


 デスクへと戻り今しがた買ったお弁当を早速開く。

 一つにはバゲットが食べやすい厚さに切られて並んでおり、もう一つには先ほど見たサーモンムニエルが入っている。とりあえずフォークを手にとってサーモンを切る。表面に薄い小麦粉をまとい、こんがりといい色に焼けた皮目は時間が経っていてもパリッとしていて、切った時の手応えが良かった。一口大にしてから口へ運ぶ。

 ほのかなバターの味わいが良い。肉厚な魚だというのに生臭さが全くなく、上に乗った輪切りのレモンの酸味もアクセントになっていた。

 味付けは塩胡椒のみのシンプルなものだったが、焼く時に使うバターと仕上げのレモンによって飽きずに食べ進められる。


 炒り豆と野菜の煮込みは弁当用に汁気が飛ぶまで煮詰められているので、さっとスプーンですくった。口に入れる直前で踏みとどまり、気がつく。


 これ、バゲットに乗せたら美味しいんじゃなかろうか。


 そう思ってしまったからには実行せずにはいられない。スプーンに乗せた具材をそのまままだ温かいスライスバゲットに移し替え、パクリと口に頬張った。サクリと良い音がして硬めのバゲットを噛みちぎる。炒り豆と野菜がジューシーなトルメイ<トマト>に包まれてマイルドな旨みを醸し出していた。旨みがバゲットに浸透していく。間違いのない組み合わせだった。

 茹でたハムにもフォークを伸ばしてみる。同じようにバゲットに乗せて食べればハムの塩気が淡白なバゲットに恐ろしいほどよく合った。しっとりジューシーなハムは自家製だと以前にカウマンが言っていた。

 豆と野菜煮込み、ハムと交互にバゲットに乗せて食べ進める。合間にムニエルも忘れない。


 貴族の、それも侯爵家出身のルドルフは家を出るまではこんな食べ方をしたことがなかったが、騎士学校に入学したあたりから段々と庶民の仕草に馴染むようになっていた。 常にマナーを気にして食事をしていた頃よりもこうして美味しいと思った方法を気軽に実行して食べる方が良いと思っている。あまりにも下品な食べ方には眉をひそめるが、バゲットに煮込み料理やハムを載せるくらい良いだろう。

 その点に関してあの第一ターミナルにある店は絶妙な立ち位置にある。美味しくて洗練された見た目の料理をごく気軽に頂ける。最低限のマナーに最低限のドレスコード。仕事帰りの気ままな一杯。理想的ではないだろうか。


 あまり空腹を感じていなかったはずだが、あっという間に食べ終えてしまった。

 旨いものを前にすれば食が進む。

 惜しむらくは今が仕事中だということだろう。この弁当内容、絶対に白ワインが合う。キリリとした飲み口のフルーティな香りが鼻腔をつく爽やかな白ワインだ。


 空っぽの弁当箱を脇に寄せ、一息ついた。思っていたより充実した昼食時となったことで午後のやる気も湧いてくる。


 ひとまずミルドに言われた件について調整をかけようと、王子が到着する日の勤務体制表を手元へと引き寄せた。

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