第96話 思い出の苺

 オルセント王国の第十二王子フィリスは、豪華な飛行船内の食堂室でナイフとフォークを手に持って皿の中身を睨め付けるように見つめていた。そこ乗せられているのはフルーツケーキ。ラム酒に漬け込んだドライフルーツがどっしりとしたバターケーキの中にふんだんに混ぜ込まれており、フルコースを食べた後のデザートとしてはいささか腹にもたれる一品だ。 

 しかももう四日目とあってはうんざりもする。


「新鮮なフルーツが食べたい」


「殿下、ここは飛行船内。それは少々無理があろうかと……」


「わかっている、言ってみただけだ」


 護衛の者たちは背後に控え、執事が横に立ってそう困ったように言ってくる。ここで食事をしているのはフィリスただ一人だった。

 今この船にいる王族は己一人なので、身分を考えると誰かと食事を共にすることは不可能だ。城にいる時も父や上に十一人もいる兄や他に十人ほどいる姉や妹や弟などと食事をすることは少ない。父一人に対して妃が七人ほどいるため派閥争いが絶えず、王子王女は隔離されて母親と実の兄弟のみと食事をするのが常だ。

 特にここ三年フィリスは忙しくしており食事の席は一人か、事業内容の会議の場であるかのどちらかだった。どちらにしてもあまり愉快な時間ではない。

 時々思う。 

 黙々と食事をするのはつまらないな、と。

 あれが美味しいこれが美味しいと食事の品評をしたり、今日の出来事などの他愛もない会話を交わしながら気兼ねなく食事をしてみたい。庶民というのはそうした食事が当たり前だと聞いたことがある。自分もそんな楽しそうな食事の席についてみたいものだ。

 デザートにはまだ手をつけず、執事に話しかけてみた。


「知っているか? グランドゥール王国には苺という果物があるんだ」


「左様でございますか。どのような果物で?」


「三角形の赤色の実で、皮をむかずともそのまま食べられる。果肉が驚くほどに柔らかく、かじってみるとジューシーな果汁が溢れる。極小さな種まで丸ごと飲み込めるから、食べるのに手間がいらない。酸味がほとんどないくせに果実だからさっぱりとした甘さで、いくらでも食べられるんだ」


 せめて空想でフルーツを味わおうと、フィリスはかつてグランドゥール王国で口にした苺の味を思い浮かべながら答えた。一年で雨季が占める割合が多いオルセント王国の気候では栽培のできない果実。

 三年前に食べたその味わいは、忘れることができない初恋の味だった。

 

 自国より圧倒的に広い王城で迷子になったフィリスに話しかけてきてくれた、あの苺のように愛らしいフロランディーテ王女。淡いラベンダーのドレスに身を包んだ彼女はさながら妖精のようだった。

 ちょっとおてんばでドレスの裾を翻しながら城を案内してくれた。おしゃべり上手なフロランディーテにつられて色々会話をしながら庭園を散歩して、並んで腰掛けたベンチで口にした苺は今まで食べたどんなデザートよりも甘く美味しかった。


 婚約を結んだらまたああして二人で苺を食べたいな、と十五歳のフィリスは頬を赤らめて考える。

 皿に置かれたバターケーキを切り分けて口にすると、苺とはまるで違うもったりした甘さが広がった。一口食べるごとに確実に満腹感が増していく。胃に溜まる味わいだ。

 飛行船の旅は長旅だから、日持ちするよう通常よりも味が濃いものになっているというのは理解している。料理人が悪いわけではないし、こんな空の上でもデザートまで食べられるというのがとてつもない贅沢だということも頭ではわかっている。

 それでも無いものを求めてしまうのが人のサガだ。


 フィリスはため息をバターケーキとともに飲み込み、黙々と食事を進める。


「フロランディーテ王女は僕のことを覚えていると思うか?」


 沈黙に耐えかねてそう執事に聞いてみた。背筋に定規でも当てているのではないかと思うほどピシッとした姿勢をとる彼は力強く頷く。


「もちろんでございます。運命的な出会いを果たしたお二人でございますからきっと覚えておいででしょう」


「僕との婚約を喜んでくれているといいんだけど」


「当然お喜びでしょう。フィリス様は優れた政治手腕をお持ちで、国内での味方も多く国民の人気もおありでございます。眉目秀麗なお顔立ち、凛とした佇まい、勇壮な振る舞い。どれをとっても並び立つものなどおりません」


「褒めすぎだね。だけどありがとう」


 フィリスは苦笑しながら執事の過剰な褒め言葉を受け取った。およそ十五歳の人間にかけるような賛辞の言葉ではない。

 しかし自分でも少なくとも三年前に比べたらマシになっている自覚はあった。何せ上に十一人も兄がいるものだから、大国グランドゥールの王女の婚約者にこぎつけるのは並大抵のことではない。一度会ったことがあるのはフィリスだけとはいえ功績がなければその座を勝ち取ることなどできなかった。

 フロランディーテの隣に一生いたい。そんな思いから必死に勉強もしたし剣術も魔法も習った。王室所有の領も見回り民達の意見も聞いている。彼女から定期的にやってくる手紙を励みにし、けれどどう返信を書いたものなのかいつも迷いに迷って、何週間も考えた挙句に益体のない美辞麗句を並べ立てた返事を送っていた。仕事ならばきちんと意見が言えるようになったが、恋愛になると途端に口下手になる自分ががもどかしい。

 婚約者の座は射止めることができたが果たしてこんな自分をフロランディーテはどう思っているのか。


 ともかく一刻も早く彼女に会い、自分の気持ちを伝えたい。会った時の台詞はもう何ヶ月も前から考えてある。


 口中の水分を奪っていくバターケーキの最後のひとかけらを水で飲み込むと、フィリスはグランドゥール王国にいる婚約者へと思いを馳せた。

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