第120話 難航する商談①

 豪華な応接室に向かい合って座るふた組の実業家。

 一方は痩せぎすな体型に上等な背広を着込み、指には金色の指輪がいくつも嵌められている中年の男。もう一方はふかふかの毛の上から装飾のないシンプルな背広を身につけている、狐の獣人である狐人族の男。

 テーブルの上には今回の商談の品である林檎酒シードルとソーダ、黒麦が置かれている。

 痩せた男の方が眉間にしわを寄せながら言葉を紡ぐ。


「飲み物の品質は良いとは思いますが。黒麦の方は到底受け入れられません」


「しかし、此度のフロランディーテ様とフィリス様のご婚約により、必ずやオルセント王国の特産品に注目が集まるはずです」


「それも一時的な話でしょう」


 狐人族の男の訴えを痩せぎすの男はにべもなく退ける。


「ご存知でしょうが、この国ではかつて黒麦を口にしたことで体調を崩す者が続出したという経緯があります」


「ですが、こちらの薬液により特異体質な方を判別することが可能でして」


「そうまでしてこの麦を食べたがる者が何人いますかなぁ。小麦や米に比べると味が独特すぎる」


「黒麦は小麦や米に比べて栄養価が豊富にございます。健康志向な方々には気に入られるかと」


「けれど精製した状態で大量輸入するのは品質保持の観点から無理がありましょう。となれば国内で精製する必要が出てくる。この国に黒麦を精製できる工場はありませんし、作るにしたって金がかかる。その採算を取れなければいけませんが、見込みは全くありません」


「袋の口を密封し、錬金術師が作成した特殊な素材を共に封入することで製粉した状態でも一年は品質を保持できるようにしております。まずは様子見として粉を引いた状態のものを輸入し、一定の需要が見込めるようなら精製工場を建てる、という手はいかがでしょう」


「ふむぅ」


 男は腹の前で腕を組む。チンツ張りのソファにどっしりと身を沈めてしばし考えた後、ゆっくりと左右に首を振った。


「やはり引き受けかねます。林檎酒とソーダであれば喜んで取引に応じましょう。では本日はこれにて」


 狐人族の男、アルジャーノン・レェーブは肩を落とした。この商会で本日三件目の商談であったが、いずれも黒麦には難色を示される。 

 豊かな国では黒麦は敬遠されがちな食材だということは聞き及んでいたが、祖国の慣れ親しんだ食材をこうも否定され続けると悲しい気持ちになるというものだ。黒麦は優秀な食物だ。オルセント王国のような雨季が長く小麦や米が根付かない土壌であってもよく育つし、西方諸国のように魔物に蹂躙され続け土地が痩せ細っている場所でもたくましく実をつける。慣れれば味だって美味しい。

 体質異常に関しても苦心して解決策を構築したというのに。

 以前にこの安価な黒麦をグランドゥール王国で導入しよう、という動きがあった。

 しかし黒麦の持つ物質が特定の人間に過剰な反応を引き起こし、体調不良を起こさせるという問題が発覚したのだ。事態を重く見た王都民たちは黒麦を口にすることがなくなってしまった。せっかくの機会がフイになったのだ。

 先祖代々、長く食べ慣れたオルセント王国民はそのような体質異常が発生することがなかったのでこれには国王を筆頭に皆が驚いた。この問題を解決せねばこれから先も黒麦を輸出することは難しいだろう。

 以降、これを何とかしようとオルセント王国の学者と錬金術師が国をあげて研究に研究を重ねて出来上がったのが、先ほど披露した薬液。


「はぁ……」


 アルジャーノンはため息をつく。しかしここで諦めるわけにはいかない。

 祖国オルセントのブランデル地方。特に土壌のぬかるみが酷いこの地域は王室主導の大規模な治水対策により劇的に環境が良くなった。魔法使いも参加した掘削工事によって地形に手を加え雨水を素早く河川に逃がすことにより田畑の冠水を抑え、作物の水害を減らす。そうして年々良くなる黒麦と林檎の収穫量。

 特に最後の三年間、第十二王子であるフィリス殿下が来てからの発展は目覚しかった。初めは十一歳の子供など頼りないだけだと皆侮っていたが、公務にかける思いは並々ならぬものがあった。引っ込み思案だった王子は城で治水に関する膨大な知識だけは身につけていたものの、それを実践する思い切りがなかったらしい。

 王子が変わったきっかけは何であったのか。河川敷で泥だらけになりながら塩で味付けしただけの黒麦粥を労働者とともに頬張っている時に、その答えが明らかになった。


「愛する人ができたんですよ」


 朗らかに笑う王子は最初に会った時のふっくらとした体型とは異なり、過酷な治水事業の間にしっかりと筋肉のついたたくましい体型に変わっていた。


「その方は大国の王女でね。この国にともに帰った時、素晴らしいと思ってもらえるような国にしたいのです。僕は民が豊かで貧困に喘ぐことなく、笑顔が絶えない国にしたい」


 民のためと大義名分を掲げて何もせず、搾取するだけの貴族もいる中で王子の発言は年相応の素直さが滲み出ていた。

 それに現場に立ち会う王侯貴族など珍しい。ともに河川を掘り起こす王族ともなればお目にかかることなどほとんどないだろう。


 アルジャーノンは都の中心にそびえる王城を見据える。巨大な威容を誇る城の中に、敬愛するフィリス王子が滞在しているはずだ。

 王子たちのおかげで黒麦の収穫量はかつてないほどに上がっている。それはもう、国内でこれ以上捌けば値崩れが免れないほどに。

 市場を国外に求めるしかない。

 アルジャーノンはここで諦めるわけにはいかなかった。

 ブランデル地方を代表する商会人として今この国に来ている。持参した品物は一級品だ。切々と訴えればどこかの商会の人間がきっと耳を傾けてくれるに違いない。

 着込んだ一張羅のジャケットの襟を正し、次なる訪問先へと足を向けた。

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