第119話 黒麦の料理
「できたぜ」
「ありがとうございます」
翌日は店休日だった。早速カウマンに頼んで自宅にて朝から黒麦を使ったパンを焼いてもらう。
「一応みんなこの薬剤で体質チェックをしておこうか」
「俺は散々食ってきたからんなことしなくても大丈夫」
朝から家に来ているレオは断りを入れている。レオの家は王都と平野とを隔てる城壁ギリギリに建っており、カウマンの家からだと割と近い。
黒麦と薬液を混ぜ合わせたものを皮膚に塗る。この薬液、瓶に入っている時は澄んだ水色だったがこうして塗り広げると無色になる。しばらく待ってみても反応はないためどうやら問題はないようだ。
「じゃあ早速いただきます!」
黒いパンを一つ掴んで口へと運ぶ。まだ熱々のそれを食べてみると予想通りソバの味が口の中に広がった。ふわふわの食感にソバの優しい味わい。ソバ味のパンなんて初めて食べたが、これはこれで美味しかった。
「こうするとウメェな」
なんだかんだ言っていたレオが一番スピード早く黒麦パンを平らげていく。高速で黒麦パンがレオの口へと消えていき、リスのように頬を膨らませて咀嚼している。最後は林檎ソーダで一気に流し込んでいた。
「レオくん気に入った?」
「ああ。調理法が違うだけでこんなに変わるなんて。料理って奥が深いな」
しげしげとパンを見つめながら言う。
「林檎酒も飲みてえんだけど」
「朝からお酒はやめようよ」
「だよなぁ。でも絶対このパンに合うと思うんだけどな」
「まあ、アーノルド君のお父さんもそう言ってたからね」
言いながらソラノも林檎のソーダに手を伸ばした。甘くて芳醇な林檎の味わいに弾ける炭酸の刺激。小麦と違い香り高い黒麦のパンにぴったりの飲み物だった。
カウマン一家も満足そうにパンとソーダの朝食を楽しんでいる。
「けど、やっぱり流行らないだろうねぇ」
ため息をつき首をふりふり言うマキロン。
「まあなあ。この国には小麦のパンも米もあるからな」
「わざわざイメージの悪い黒麦を定着させるにはよっぽど努力が必要だな」
「無理だろ、こうやって食べてみるとまあ旨いけどさ。あの親子には悪いけど、敢えてこれを食うっつー意味がねえし」
マキロンを筆頭にカウマンもバッシもレオもこの黒麦に否定的だった。
しかしどうだろう、意味がないとは聞き捨てならない。
日本人として生まれたソラノはこのそばに非常によく似た食べ物を否定されるのが我慢ならなかった。
これはこれで美味しい。
小麦と米が毎日食べる主食に適した食材だとすれば、この黒麦はいわば日常にちょっとした変化をもたらす食材だ。
例えば暑い夏に食欲があまり出ず、パンもお米も食べたい気分じゃないなぁ、ってな時でも、ソバなら食べられる。喉越しが良く、胃にもたれずにつるりと食道を通っていくこの軽やかかつ風味豊かなソバ。この黒麦というのはそういう類の食べ物ではないだろうか。
そんなわけでソラノは反論を試みる。
「ちょっと待ってくださいよ、黒麦美味しいじゃないですか。そんなに否定しなくってもよくないですか?」
「まあ美味いけど毎日食べたい味じゃないだろ」
「確かに毎日食べるかと聞かれたらそういう味じゃないですけど。ふとした瞬間に食べたくなる、これはそういう類のものだと思います」
「そうかねぇ」
手元の黒麦パンをしげしげと見つめながらマキロンが疑念の声を上げる。
「食べ方が良くないんですよ。レオくんも言ってたでしょう、調理法が変わると印象も味わいも変わるって、だから……」
ソラノはここで言葉を切り、ハッと気がついた。
そうだ、調理法。
「これ、ガレットにして食べましょう」
ガレット。どうして思いつかなかったんだろう。
卵とハムを薄焼きにしたガレットで包み込めばちょうどいいランチのメニューになる。
しかしこのソラノの提案に四人は一様に首を傾げた。
「ガレットって……何だ?」
「えっ……黒麦を薄く伸ばして焼いた生地の上に、ハムとか卵をのせて包み込んだ料理です」
「聞いたことねえなあ」
「うそ!」
思わず机をバーンと叩いて立ち上がる。
「ガレット、ないんですか!?」
「無いなあ。バッシお前聞いたことあるか」
「いいや」
「何てもったいない!」
黒麦が流行っていないせいなのか、ガレットはこの国に存在していないようだ。それはもったいない。カリッカリの生地にとろりとした半熟卵を絡めて食べれば、見た目のオシャレさも相待って何とも言えない至福の気持ちになれるというのに。
かくいうソラノもこの国に来る寸前まで滞在していたフランスで本場のガレットを食べていた。確かブルターニュ地方という場所が発祥の地のはずだ。
「作りましょう、ガレット」
俄然やる気が出た。そば粉、もとい黒麦の良さを伝えなければ。こんなに美味しい食べ物を普及させないなどもったいなさすぎる。体調の異変というのはおそらくアレルギーのことだろう。それさえあらかじめこの薬液で確認しておきさえすれば、恐れることは何もない。
「よしわかった」
二つ返事で頷いたのはカウマンだ。
「俺も料理人の端くれ。美味い調理法があると聞けば興味がわくぜ。そのガレットとやらを作ってみよう」
「で、ソラノ。そのレシピ知ってんだろうな?」
「あ」
レオに言われて気がついた。
「私、ガレットの作り方知らないや……」
致命的だった。あからさまに落胆する四人に申し訳ない気持ちになりながら、でも普通の女子高生はガレットの作り方なんか知らないよ、と言いたくもなる。しかし言い出した手前やり遂げなけれなならない。再現できるのはソラノしかいない。黒麦の命運はソラノの手にかかっていると言っても過言ではない。
「大丈夫です、見た目と味は記憶にはっきりと残っているので作りましょう」
「大丈夫かよそれ……」
凄まじく心配そうな顔でレオに見つめられながらも、兎にも角にもソラノを筆頭に休日のカウマン宅でガレット作りが始まった。
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