第118話 お礼の品

「アーノルド!」


「あ、父さんと母さん」


「ああ、よかった。どこへ行ったのかと」


 アーノルドを大きくしたかのような狐人族の二名はタキシードとシックなネイビーのドレスを身に纏っている。二人は真っ直ぐにカウンター席まで来るとアーノルドをひしと抱きしめた。


「心配したわ」


「ごめんなさい、僕……」


「目を離してすまなかった」


 アーノルドを抱きしめた両親はそのまま空になったお皿を見つめ、それからソラノたちに向き直った。


「息子を保護してくださりありがとうございます。料理までご馳走になったようでご迷惑をおかけ致しました。代金はきっちりと支払わせていただきます。それから、お礼と言ってはなんですがこちらも」


 言って旅行用にしては大きすぎる鞄から、何やら瓶を数本と小さな紙袋、それから薬剤を取り出した。


「我々はオルセント王国から来た商人でして。親子でレェーヴ商会という商会を営んでいるのですよ。これらは明日よりグランドゥール王国に売り込んでいこうと思っていた林檎酒シードルとアルコールを抜いた林檎のソーダ、黒麦です」


「ほお」


 カウマンとバッシが興味深そうに出された食材を吟味する。


林檎酒シードルは王国でも一部流通していてコアな人気があるな。林檎のソーダも面白そうだ。しかし黒麦は……」


「ああ、わかっておりますよ。体調の異変ですよね」


「体調の異変?」


 ソラノが首をかしげるとカウマンが神妙に頷く。


「以前黒麦を食べた王都民の何人かが体調を崩したことがあってな。幸い大事には至らなかったんだが、その話が王都中を駆け巡ってそれ以来あまり黒麦は王都では食べられなくなったんだ」


「黒麦の抱える問題点はこの薬液で解決ができます」


 アーノルドの父は慌てたように小瓶をカウンターの上に滑らせる。中には水色の液体が入っていた。 


「ふむ?」


「この薬液は特殊な方法で作られておりまして。黒麦と薬剤を混ぜ合わせて皮膚の一部に塗っていただき、赤く反応が出たら黒麦が体質に合わない。出なかったら問題無い、という判定になります」


「なるほどなぁ」


「林檎酒と黒麦のパンは最高の組み合わせですよ。是非ともご賞味ください。もし何かありましたら、私どもは当面<瑠璃色るりいろ柘榴亭ざくろてい>に滞在していますのでご連絡ください。では」


 再びお礼を言うと代金を支払い、アーノルドを連れ立って親子は店から出て行った。


「お姉ちゃん、ありがとう。キッシュ美味しかったです!」


「王都を楽しんでね」


 手を振って見送り、去って行ったのを確認するとレオが渋い顔をして黒麦の袋を見つめる。


「黒麦かぁ……正直見るのも嫌だぜ」


「美味しくないの?」


「ああ。西方諸国だと煮込んで塩で味付けしたり、丸めて食べたりするんだけど。味気ないのなんのって」


「まあこれを王都で広めるのは難しいだろうな」


 カウマンもレオに賛同した。


「俺も一度食べたことがある。味も独特だが、イメージが良くないんだ」


「どんなイメージなんですか?」


「黒麦はどんなに瘠せた大地でも育つから、救荒作物として貧しい国で広く食べられているんだ。だからこの王都のように豊かな国の人々はわざわざ食べない。しかも体調異変のリスクまで背負って食べるのは完全に物好きのすることだ。林檎酒はともかく、こりゃ無理だろう」


「へぇ……」


 そこまで言われるとどんな食べ物なのか逆に興味が湧いてくる。まだ勤務時間まで少し時間があるソラノは黒麦の袋を引き寄せ、口を開けて中身を確認する。

 名前の通りに黒い細かい粉がぎっしりと入っていた。

 ふわり、と米でも小麦でもない独特の香りが鼻をつく。


「ん、これって」


 袋から手にサラサラと流し出し、鼻を思い切り近づけて香りを確かめた。

 芳しく、懐かしい。久しく忘れていた香り。

 これは、間違いない。

 

「そば粉の香りがする」


 黒麦はそばの粉だった。

 俄然テンションが上がる。そば粉、久々のそばの香り。


「そばの香りだ!」


 もう一度、噛み殺した声で言うも、全員が首を傾げて「???」という顔をしている。


「もうっ」


 この喜びが伝わらないのがもどかしい。今から、いや仕事が終わったらノブ爺を連れてこようかなとソラノは割と本気で考えた。


「まあ、そんなに食べてみたけりゃ料理してやるよ、明日はちょうど休みだ。なんならレオもウチ来るか」


「おー、そりゃ有り難え。まあ黒麦料理にはそんなに興味ないけど、暇だし行く」


「じゃあ明日は黒麦と林檎酒で乾杯だな」


「やった、明日が楽しみです」


「とりあえず今日の仕事をしてくれよ」


「はーい」


 このそば粉の香りの黒麦がどんな料理になって出て来るのか。ソラノは手を洗いながら今からワクワクした。

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