第117話 迷子の男の子

 いいランチメニューの案が出ないままに数日が過ぎてしまった。

 ソラノは本日も店へと出勤するべく飛行船に乗り空の旅へと繰り出している。すっかり慣れてしまったが、空の上に空港があってお店があるなんて不思議だなぁとふとした瞬間にしみじみ感じる。

 初夏の香りが漂う王都だが、湿気がないので日本よりも断然過ごしやすい。気温はそこそこ上がるのは去年体感済みだったが、真夏でも命の危機を感じるほどの暑さという訳ではなかった。反対に冬は雪が降るほどに寒いのだが、ともあれ夏、過ごしやすいのはとても助かる。

 エントランスがひらけば接続ゲートを通って第一ターミナルへ。

 そのまま店へと向かおうとしたが、ふと待合所の椅子に小さな狐の男の子が一人、座っているのが見えた。

 狐だ。

 ちょこんと座るその姿は、狐のぬいぐるみのようであった。

 きつね色のもふもふした体毛の上からジャケットを羽織り蝶ネクタイを締め、チェックのズボンを履いた足は床に届かずブラブラと宙に浮いている。行儀よく膝の上に手を揃えて置いていて、時折キョロキョロと周囲を見回しては糸のように細い目をさらに細め、シュン……とうな垂れた。


 迷子かな?


 哀愁漂うその姿に、ソラノは声をかけずにはいられなかった。


「もしもし、そこの君」


 そっと近寄りしゃがみこんで男の子と目線を合わせて話しかけてみる。

 男の子は糸目を開いてこちらを見る。


「誰と来たの?」


「父と母です」


「そっか、お父さんとお母さんはどこ?」


 すると首を横に振った。やっぱり迷子のようだ。

 こういう場合は確か保安部に連絡するんだったっけな、と思い出していると、男の子のお腹がクゥと小さな音をたてて鳴った。


「ん?」


 恥ずかしそうに両手でお腹を押さえ、ふさふさの尻尾を左右に忙しなく振っている。


「お腹空いてるの?」


 ソラノの問いかけに男の子は小さく頷く。


「そっかそっか。ならさ、私あの店で働いてるんだけど、何か食べながらお父さんとお母さんが迎えにきてくれるの待ってよっか?」


「え、でも、知らない人について行っちゃダメだと母が言っていました」


 なかなかにしっかりした子のようだ。どうしたものかなとソラノは腕を組んで考えると、またも男の子のお腹の虫がクゥクゥ騒ぎ出す。どうやら相当にお腹が空いているようだ。


「すぐそこだから大丈夫。ここにいて誘拐でもされたらそっちの方が心配だし、お店の中なら他の人の目もあるから危ないこともないよ。ねっ?」


 男の子は迷ったそぶりを見せた後、やがてコクリと頷いた。


「じゃあ行こうか。私はソラノ。お名前は?」


「アーノルド」


「アーノルドくんね、何歳なの?」


「七歳です」


「小さいのに立派だね」


 連れ立ってお店まで行き、クッションを下敷きにして高さを合わせたカウンター席に腰掛けてもらう。保安部への連絡をマキロンさんに依頼して注文を尋ねた。


「何食べたいかな」


「……黒麦のおかゆ」


「黒麦?」


「うん。ありませんか?」


「聞いたことないなぁ。バッシさんは黒麦って知ってますか?」


「んん?」

 

 厨房にいるバッシに声をかけてみると、答えは意外な人から返ってきた。


「知ってるぜ。西方諸国でよく食われてる麦の一種だ」


「レオくん」


「お前西方から来たのか? にしては随分身なりが整ってんな」


「ちがいます。僕はオルセント王国から来ました」


「オルセントから?」


 それは先だってこの店にやって来たフィリス王子の祖国ではないだろうか。アーノルドは行儀よくはい、と頷く。


「僕の家は商会をやっていまして。この度の王女殿下との婚約を機に、グランドゥール王国に商機があると睨んだ父に連れられてここまで来たのです」


「おぉ……」


 随分と立派な話し方をする子だなぁと感心する。ソラノがこの歳の頃、商機なんて言葉は知らなかった気がする。

 しかし黒麦はここでは扱っていない。それを見越してすでに今日のメニューを把握しているレオがアーノルドに別メニューを提案した。


「すまねえな、ここでは黒麦は扱ってねえんだ。代わりにキッシュなんてどうだ? 黒麦の百倍は旨いぞ」


「キッシュ?」


「ああ。今日のはズッキーニが入ってる。小麦と卵、生クリームの生地でふんわりサクサクだ」


「!」


 それを聞いたアーノルドは細い目を精一杯見開いてキラキラとさせた。


「それください!」


「おお、ちょっと待ってろ」


 快活な笑顔を浮かべたレオがいうが早いが支度を始める。


「ソラノの賄いもおんなじもんでいいか?」


「うん、お願い」

 

 出来上がったキッシュを二人で向かい合って食べることにする。

 程よく再加熱したキッシュにフォークを入れればサックリとした手応えを感じる。そのまま切り取り、口へと運ぶ。

 何層にも折り重なったサクサクのパイ生地は甘いデザートタイプのものではなく、塩気のあるおかずタイプのものだ。

 ズッキーニの食感、優しい味わい。そして包み込むとろりとしたチーズ。

 

「美味しい!」


「よかった」


 アーノルドも気に入ってくれたらしく、パクパクと食べ進めている。

 にしても、黒麦がどんなものなのか気になって来た。


「ねえ、黒麦ってどんな食べ物なの?」


「んん?」


 アーノルドは食べる手を止めて考え出す。


「そうですね。小麦よりはくせのある食べ物ですけど慣れると美味しいですよ。栄養もたくさんあるって父に聞いています。父はこの黒麦をグランドゥール王国に輸出したいのだとか」


「黒麦の輸出か……」


 聞いていたカウマンとバッシ、マキロンにレオ。揃いも揃って微妙な顔をしている。

 あまり良い事ではないのだろうか。

 パクパクと嬉しそうにキッシュを食べ進めるアーノルドの前では聞くのをためらってしまう。

 ひとまず黒麦についての話題はそこまでにしてソラノもキッシュを味わう。


「美味しいですねぇ。オルセント王国は小麦はそれほど食べないんですけど、これからはいっぱい食べられるようになるといいなぁ」


 しみじみと言うアーノルドの尻尾が左右に振られていてなんとも言えない可愛さがある。耳とヒゲが連動して動いていて、愛くるしいとはこういうことを言うんだろう。


「ね、アーノルドくんの種族名は?」


「僕たちは狐人族こじんぞくです」


「狐人族ね」


 ここで働いていると本当に色々な種族に出会うことができる。面白いなぁと思っていると、店のガラス越しに駆けてく狐人族が二人見えた。保安部の職員らしい人も後ろに見える。

 ソラノはアーノルドにそのことを教えた。


「アーノルドくん、お迎えが来たみたいだよ」

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