第114話 商業部門長の視察
「お疲れ様です、エアノーラさん」
「お疲れ様」
部下に挨拶を交わしながらエアノーラは自身のデスクから立ち上がり颯爽と歩いていく。本日も十センチヒールの靴音が商業部門のフロアに鳴り響き、部門長であるエアノーラが歩けば皆が顔を上げて労いの言葉をかけてきた。
どの部下もこちらの顔色を伺って来てばかりで正直に言えば鍛え甲斐がない。もう少し骨のある人材が来てはくれないかしらと内心で眉をひそめつつ、本日この後行く予定の店にうってつけの人間がいたわねと思い直す。
部下ではないけれど、部下にしたい人間ナンバーワンがいるその店へエアノーラは足を進める。
職員用の通路を通って第一ターミナルへ。いつもならそのまま飛行船に乗って帰路に就くのだが本日は足向きを変え、このターミナルに唯一存在している店へと向かう。
まだ真新しい、ガラス張りの瀟洒な作りの店の名前はヴェスティビュール。
商業部門にこの人あり、数字の鬼、向かう所敵なしと讃えられるエアノーラと丁々発止を繰り広げた末に改装案を通過させたビストロの店だ。
「いらっしゃいませ」
愛想のいい笑顔を向ける店員の大きな黒い瞳がさらに大きく見開かれた。予想外の訪問にもう少したじろぐかと思ったがそんな事はなく、他の客と同じように接する。
「エアノーラさん、お久しぶりです」
「ええ。いいかしら」
「勿論です、カウンター席へどうぞ」
席に促されて脚の高い座席に腰掛け、藍色の髪を後ろにさっと靡かせた。
本日のオススメを伝えられ、通常メニューを手渡される。しかしエアノーラはそれを一切見なかった。飲食店に入る時は何を頼むのかいつも決めている。
「ご注文はお決まりですか?」
「ええ。この店の一番の自信作を頂戴。ワインも合わせてね」
ハッと、店員であるソラノの目の色が変わる。言わんとしていることが伝わったらしい。鈍い人間ならば意図が伝わらない事もままあるが、この子には物事を見抜く力があるようで結構な事だ。
「かしこまりました」
恭しく頭を下げシェフにオーダーを通す。
そう、これは視察である。
天下の空港エア・グランドゥールの商業部門長たる自分が、ただ食事を楽しむためだけに店に入ることなどあり得ない。店の内装、雰囲気、店員の態度から供される料理に至るまで全てがこの空港にふさわしいかどうかの判断材料となる。
「お先にワインをどうぞ。ロゼです」
淡いピンク色が特徴のワインが滑るように置かれる。このワインが出されたということは出てくる料理は一体何か。ひとまず前菜、それも野菜がメインのものだろう。仕事柄、数々の美食を堪能して来たエアノーラが脳内でメニューを諳んじる。
ひとまずワインに手を伸ばし、舌鼓を打つ。嫌味なほど高級なわけではないがそれなりに格の高い銘柄のワインだ。この店の持つ雰囲気にはもってこいだろう。
「お待たせいたしました、ラタトゥイユです」
「あら。なるほどね」
皿に盛り付けられた料理はラタトゥイユ。炒めてペースト状になったトマト《トルメイ》によって赤く彩られた野菜たち。
「夏野菜が出回る時期なので、旬の野菜がたっぷりと使われています。ぜひご賞味ください」
そう言ってソラノが去っていく。夕飯時も近づいた店内は賑わってきており、店員は忙しそうに働いていた。奥には厨房で腕を振るう、かつて女王のレストランに勤務していたシェフのバッシ、そしてフロアにはもう一人、新しく雇ったのだろう金髪に長身の青年が忙しなく動いている。三人の連携は完璧で、阿吽の呼吸で動いていた。流れるような無駄のない動作は見ていて好感が持てる。何より三人とも、楽しそうにしているのがいい。
ひとまずエアノーラはラタトゥイユにフォークを伸ばした。一口大に切られた
淡白な茄子は油とニンニクとトルメイ<トマト>の旨味を存分に吸い上げていて、絶妙な味に仕上がっている。
続いてズッキーニ。茄子と同じ淡白な味わいだが、こちらは食感がいい塩梅に主張をしている。炒め煮にされとろとろになったズッキーニの味がたまらない。
パプリカも玉ねぎも旨味が溶け合い混ざり合う。夏野菜のいいところがふんだんに取り入れられた一品となっていた。
「いかがですか?」
「美味しいわね。次の品も楽しみだわ」
「シェフが腕によりをかけて調理中ですので、楽しみにお待ちください」
「あら、言うわね」
「だってエアノーラさん、当店の料理好きですよね。お弁当もプレゼンの時にお出しした料理も完食して下さってますし」
商業部門で最高位にある自分相手に全く物怖じしないこのソラノという人間を、エアノーラはかなり気に入っていた。組織社会で働いたことがないからこその恐れ知らずな言動も、目的に向かってひたすら突っ走るその性格も好ましい。鍛え甲斐がある、とついつい感じてしまう。
エアノーラには「お局気質」「若い男好き」といったあらぬ噂をかけられているのだがそれは全くの間違いだ。
若い職員が好きだというのは認めよう。しかしそこに男女の差別はない。彼ら彼女らは若さゆえに怖いもの知らずで、ともすればこの自分に食いついていこうとする気概がある。
歳をとってある程度の役職に就いた人間は守りに入る傾向が強く、目上の人間に逆らうことが少なくなる。それは組織社会で生きていく上で必要なことでもあるが、エアノーラはガッツのある人間が好きだった。それは昔の己がそのような人間であったからなのかもしれない。
しかし自分の後継者を育てようにも、仕事に少々厳しすぎる傾向のあるエアノーラについてこれる人間がおらず、老いも若きも皆心が折れて異動を願い出てしまうのだ。これは由々しき問題であった。
二杯目のロゼワインを注いでもらい、次の料理を待つ間にソラノに声をかける。
「王女様がいらして、召し上がったデザートで大変な騒ぎが起こったそうね」
「ええ、商業部門の事務職員さんにまで手伝っていただき、ご迷惑をおかけしました」
「格好の宣伝になったじゃないの」
王族が店に来たとなればその宣伝力は底知れない。この店のことは王都のそこここで噂になっており、空港を利用する時には是非寄ってみよう、と人々の口の端に登ることが多くなっているとエアノーラも耳に挟んでいる。
「この波を逃さない秘策はあるのかしら」
「そうですねぇ」
流行なんてすぐに去ってしまう。ここできちんと客の心を掴むことができるかどうか。
それは店の実力にかかっているだろう。
ソラノは顎に指を当て思案した。
「色々と皆で考えてはいるんですけど、まだ固まり切っていないと言いますか」
「あら、うかうかしてるとすぐに飽きられるわよ」
「それはわかっています」
「ならなるべく早くに動くとこね」
「はい。ひとまずは夏の食材を使った料理をメインにお出しする予定です」
「このラタトゥイユみたいに?」
「そうです」
「なるほど」
季節を取り入れメニューに変化を持たせるのはいい手だ。同じメニューでも新鮮味が出る。
「ゼラチンで固めたテリーヌとか、
「相変わらず見た目にもこだわっているのね」
「それが当店の強みですから」
味だけでなく、見た目でも魅せる。そういえば同じようなコンセプトのカフェが王都の中心街に最近出来上がったと聞いたことがあった。今度視察に行ってみなければね、とエアノーラは脳内で一人考える。
「では、お待たせいたしました」
不敵な笑みを浮かべながらソラノが次の料理を差し出してくる。
果たして次は何が出てくるのか。エアノーラは自身が少しワクワクしながら待っていることに気がついた。
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